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第三章 立って戦えるのならば

「な、何で入学して早々、四月に体育祭があるわけーっ!?」


 ロングホームルーム後の教室、はるかはツインテールに結った髪が躍るように跳ねるのにも構わず、ぐるりと後ろの席の級友、翠に振り向いて詰め寄った。

 そんなはるかに、翠は何でも無いような顔をして答えた。


「そりゃあ、花見を兼ねるからな。初等部や中等部にとっては、運動会な訳だし」

「花見って……」


 思いがけない着想に、はるかは虚を突かれる。

 そんなはるかに、翠は窓の外を示しながら説明した。


「ここの校舎、桜の木にぐるっと囲まれてるだろ。後、隣の桜山神社も文字通り桜の木ばっかだし。つまり父兄を招いて花見をしながら昼食を食べようってこと」


 この北の街は春が来るのが遅い。だからこそ桜の咲く頃に体育祭、そして運動会ができるのだ。


「さすがに、中等部以上になると来る父兄もぐっと減るけどな」

「ふーん、ねぇ、翠のご両親は……」


 間髪入れず、答えが返って来る。


「当然来る! あの宴会好きどもが、花見の機会を逃がす訳がねぇべ!」

「翠、口調、口調」

「おっと、親父たちのことになると、つい地が出るなー」


 翠はショートにしている頭を掻く。


「はるかんとこは?」


 遠慮の無い問いに、はるかは苦笑する。


「あのねぇ、うちのお父さんは、海外よ、海外。来れる訳無いじゃない」


 そう言いつつも気落ちしないのは向かい合う翠の、良く言えばさっぱりとした、悪く言えば単純な人柄のお陰か。自然と口元に笑みが浮かぶはるかを他所に、翠は軽く肩を落として見せた。


「そっかー、残念だなー。挨拶したかったのにー」

「どんな?」


 試しに聞いてみるが、翠は真顔を作ったかと思うと、


「お父さん、娘さんを僕に下さい! キリッ!」

「誰があんたの嫁か! あと、口に出してキリッって言うな!」


 と、碌な返事が帰って来ない。

 それで、ロングホームルームで決めた出場競技だが、


「翠は、ソフトボールよね」

「ああ、飲む、打つ、買う! ここまで三拍子が揃ってる競技も無いからな!」


 翠は指折り数えて、宣言する。大声で何を言い出すのか。


「それを言うなら、投げる、守る、打つだろ」


 呆れ半分に、はるかは突っ込みを入れる。


「はるかは、バレーか」

「まぁねー。家の手伝いで、部活はやってなかったけど運動は苦手じゃないし」


 そこで、はるかは声を潜める。


「サキさんは、バスケットボールの補欠ね」

「ああ、足、痛めてるからな」


 あのカラス退治の翌日から、サキは足を引きずるようになっていた。

 原因は、本人が語った所によると寄宿舎の階段で足をひねったから。完璧に物静かなお嬢さんに見えて、結構ドジだとはるかは思った。


「意地っ張りめ」


 サキを見つめて翠はつぶやく。


「ん? 何が?」

「何でもねー」


 はるかの問いに首を振って、翠は言う。


「早く来ねーかなー、体育祭」

「あんたは、小学生か!」


 はるかが突っ込む。

 そんなはるかたちの喧騒とは別世界に住んで居るかのように、サキは白く涼しげな顔と対照的に黒く長い髪を窓からの微風に晒しながら、相変わらず窓際の一番後ろの席で文庫本のページをめくっているのだった。




 そして、体育祭当日。


「おつかれー」

「榊さん、大活躍だったわね」

「そ、そう?」

「凄かったよねー」

「ねーっ」


 はるかが参加したバレーの試合、割と運動が得意なはるかはクラスのチームを引っ張るような形で活躍し、クラスメイトらから称賛の声をかけられていた。

 それを照れくさく感じながら、はるかは皆と共に第二体育館に向かう。そこでは、バスケットボールの試合が行われているはずだったのだが、


「な、何よこれー!」


 はるかは思わず叫ぶ。

 前半、第二ピリオドを終え、二十点以上の大差が付いている試合は珍しいものではない。選手の制限は、その部活をしている生徒は出場不可と言うだけなので、出場している選手の質にはクラスによって相当のムラができるからだ。はっきり言って、現役で無くとも競技経験者が居るチームはそれだけで手強い。

 しかし、


「ああ、榊さん、手当てをお願い」


 保健委員の仕事が、大量に出来ているとは何事か!


「まぁ、原因はメンバーの人選ミスって奴だな。ゴール下でのポジション争いやディフェンスのブロック、リバウンド。バスケットは接触プレーの多いスポーツだからなー」


 と、冷静と言うかのんびりと解説するのは、こちらも自分たちソフトボールの試合を終えた翠だった。

 言われてみると、バスケットボールの代表に選ばれたのはほとんどが純粋培養なお嬢様で占められていた。完全な人選ミスだった。


「だったら、あんたがやれば良かったでしょー!」


 噛みつくはるかに、翠は涼しい顔で答える。


「またまた御冗談をー。私がやったら、こんなもんじゃ済まねーぜ。もちろん相手チームが」

「何でよ」


 どういうことかとはるかは問う。

 翠はおどけるように言った。


「いや、何せ接触して来るような奴が居たら、反射的にカウンター入れちまうから。しかも、密接状態だと肘とか膝が出るぜ」


 冗談めかしてはいるが、言っていることは物騒極まりない。


「ほんとに役に立たないわね、あんたの、その格闘技って」


 呆れ返るはるかに翠は胸を張って言う。


「役立つような状況にならないように、立ちまわるのが兵法じゃん」

「あーもー、ああ言えばこう言う!」


 そんな話をしながらも、はるかの手は負傷した選手たちの患部に冷却スプレーを振りかけ、テーピングで固定していた。


「後は、患部に負担をかけないよう、保健室に連れて行って安静に。患部を心臓より高く上げて、冷やしすぎない程度に冷やして。まぁ、その辺は、保健の先生がちゃんと診てくれるだろうけど」


 負傷した選手に肩を貸し、保健室まで搬送することにする。


「みんな、手を貸して。行くわよ」


 これは翠も手伝ってくれた。鍛えているだけあって足を負傷したクラスメイトを軽く背負って運んでくれるのには、助けられた。

 そしてはるかたちは保健室で女性の養護教諭に引き継ぎを行う。本職に診てもらった所、最初のはるかの見立て通り、皆、大したことが無いということだった。

 それにほっとして第二体育館へ、後半戦が始まっているだろう、バスケットボール会場に戻る。

 そこで、はるかは本日二度目の驚愕の声を上げた。


「な、何でサキさんが、試合に出てるのーっ!」


 手近なクラスメイトを捕まえて事情を聞く。


「そ、その、卑怯なことをしてくる相手チームが許せなくて、みんなで怒っちゃって」


 その言葉に翠は呆れたように言う。


「卑怯って、バスケットボールに接触プレーは付きもんだろー」

「翠は黙って! それで?」


 翠を制してはるかは話の先を促す。


「このままだと、人数が足りなくて不戦敗になっちゃうから、黒羽さんにも出てもらおうって」


 その言葉に、はるかは我を忘れて大声を上げた。


「っ! サキさんも足、捻挫してんのよ!」


 はるかの剣幕に、相手は委縮した声を漏らす。


「で、でも平気そうだったから……」


 その言い訳に、はるかは歯噛みする。


「サキさんは、そういうのを表に出すのが苦手なだけよ!」


 はるかはコートに向き直る。


「翠、タイム、作戦タイム。それでもって選手交代!」


 頭に血が上った状態で指示するが、翠は冷静だった。


「もう、交代する選手がいねーから、サキまで出してんだろ」


 ちなみに、はるかや翠のように他の種目に出た生徒には、出場資格は無い。

 ならばと、はるかは重ねて指示を出す。


「それじゃタオル投げてよ!」

「ボクシングじゃねーよ! ってゆーか、その中途半端な知識、どっから仕入れて来るんだぁ?」


 そう言っている間にもサキは転倒し、体育館の床を派手に転げ回る。まるで過呼吸を起こしたかのように喉から甲高い呼吸音が漏れているのが、コートの外まで聞こえてきた。肩で大きくあえいでいて、体力的にもどう見たって限界だ。

 だが翠は冷静に、はるかをなだめる。


「もう第四ピリオドに入ってるじゃん。あと十分の辛抱だぜ」

「でもっ、あんなに転んで消耗しきって……」


 もう見ているのが本当に辛かった。

 しかし、


「いや、消耗してるのは認めるけど、あれ、転んでるんじゃなくて受け身を取ってるだけだぜ」


 翠には、違って見えるようだった。


「え?」


 理解できないはるかに、翠は淡々と説明する。


「バレーボールでも、回転レシーブってのがあるだろ。そのまま踏み止まったら、足首とか手首とかに負担がかかって身体壊すから床を転がって勢いを殺してるんだ。あいつ、身体がもろいからな」


 そして翠は感心したように言う。


「それに見てみろよ、さすがサキだぜ。一人で試合を五分まで引き戻すなんて」

「えっ?」


 言われて、指さされた点数表示板を見るが、


「全然、点数差が変わってないじゃないのよ!」


 はるかは叫ぶ。

 前半、第二ピリオドを終えた時点から点数差はまったく縮んでいなかった。

 しかし翠は態度を変えずに説明する。


「だからすげーんだろ。前半で二十点、点数差を付けられたら、後半だって二十点、更に差が広がるはずじゃんか。それを一人で食い止めてんだから」

「あ……」


 それは目立たない…… おそらく翠以外、その場の誰もが気付かなかった偉業だった。

 翠は冷静に試合の様子を見渡していた。


「それに見てれば、サキにマークされてる相手チームのエース、一本もシュートを決められてねーじゃん。今にも倒れそうなのに倒れないサキにゾンビのようにくっ付かれて、大分焦ってんぜ、あれ。動きが荒れて来た」


 そして、翠がおっ、と声を上げた時だった。

 ボールを持った相手選手の肘が、ブロックしていたサキの身体、いや身長差から額にまともに入ったのは。

 軽いサキの体が宙を舞い、床に落ちた。


「いやあああっ!」


 はるかは叫び、コートに駆け込もうとする。

 しかし、その腕を翠ががっしりとつかんで引き止めた。


「待てよ、良く見てみろって」


 後ろに吹き飛んだサキの身体だったが、彼女は、そのまま何事も無く起き上がろうとしていた。


「駄目よ、もう立たないで! 立たなくていいのよ! もう休んでよ、サキさん!」


 祈るように叫ぶはるかだったが、サキはいつものように表情を変えず立ちあがる。相変わらず、喉から漏れる甲高い限界を示すような呼吸音以外、苦痛を表す様子が無い。


「ああ……」


 はるかは嘆く。

 再び立ち上がったサキ。試合が再開されるが、彼女の動きに負傷による影響は感じられなかった。


「反射的に打点をずらしてダメージを減らしたんだよ。それに、自分から後ろに跳ぶことで更に衝撃を殺してる。実際、大した奴だよ」


 感心した様子で翠がつぶやく。


「だからって、全然平気な訳じゃないんでしょ!」


 はるかは叫ぶ。


「けどあいつは、まだ立っている。立って戦える奴に棄権の二文字はない!」


 格闘家の娘らしい翠の台詞だったが、はるかはかぶりを振った。


「駄目よ! もう勘弁してよ! 私に、みんなにこれ以上、心配させるって言うの! いい加減にしてよぉ!」


 そう、はるかが、クラスの皆が、観客が。きっと対戦している相手チームの者でさえ、思ってる。

 まだ戦うのかと。


「戦える身体の訳無いのに。逆転できる点数じゃないのに……」


 はるかの瞳に、涙がにじんだ。


「あんなになってまで、何で戦うの!」

「さぁ、な。戦う理由なんて、人それぞれだ」


 でも、と翠は言う。


「いつか、あいつ本人の口から聞けるといいな」


 その言葉に、息を詰めて試合を見守っていたはるかはただうなずくことで同意を返した。

 そして、試合終了の笛が鳴った。

 点差はついに縮まらなかった。相手チームと、その応援からは歓声が。はるかたちのクラスからは落胆の声が上がった。

 そして、三々五々とクラスメイトたちは散って行く。


「サキさん!」


 サキを迎えようとしたはるかだったが、サキは無言で、その横を通り過ぎた。そんな彼女をはるかは追いかける。


「ねぇ、休もう。くじいた足も私に診せて。これでも……」

「早退するから、連絡よろしく」

「え?」


 あっけに取られるはるかを残しサキは歩み去る。向かった先にあるのは学院の敷地内に建てられた女子寄宿舎だ。




「風雲流、最終奥義、羅刹。精神で肉体を凌駕する技。あいつの体力じゃあ、この程度のことしかできないが、それにしたって、簡単に出せるような技じゃないぜ。やっぱりあいつは、壊れてる」




 自室に戻って、鍵を閉めた瞬間、サキの両足がくずおれた。


「っ!」


 幸い、この聖稜女学院の寄宿舎では、高等部に入れば、全員が狭いながらも個室がもらえる。言うことの聞かない身体で、這ってベッドに向かう、その姿も誰にも見られることはない。

 サキはベッドに潜り込み、シーツにくるまると黙って独りで身体を癒す。

 その日から三日間、サキは学校を休み、その間、誰も自分の部屋の中に入れようとはしなかった。

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