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第二章 カラスの巣の撤去

「いやあサキさん、遅くなって済みません」


 そう言って放課後の聖稜女学院にやって来たのは、市役所の制服を着て作業帽を被り、伸縮式の梯子を担いだ背の高い若い男性だった。サキと共に居たはるかが見上げると、何かスポーツでもやっているのか、鍛えられた身体が服越しにも分かった。

 表情の変化に乏しいサキに対し、気にした様子もなく親しげな笑顔を向けているのは、慣れている証拠か人ができているのか。いずれにせよ、はるかから見ても好感の持てる人物だった。

 そして、サキと一緒にはるかが居ることに気付き、相手は目を見開いた。


「おや、サキさん、パートナーの方を作られたんですか?」


 聖稜女学院の社会奉仕活動におけるパートナー制度は、市の方でも広く知られている様子だった。市内で社会奉仕活動をしているのだから、そこからの情報かも知れない。

 しかし、


「違う。ただの見学者」


 流れるような黒髪が美しいサキは、今日も手強くてクールだった。

 はるかは、がっくりと肩を落とす。うなだれる頭の両サイドでツインテールにした髪が前に垂れた。部外者に対して取り繕うぐらいしてくれてもいいのに、と思う。

 そんな二人の様子に戸惑いながらも、男性ははるかに屈託のない笑顔を向けて来た。


「ああ、自己紹介が遅れて済みません。私は、市の鳥獣対策係の武富です」


 武富は律義に、はるかに名刺を差し出す。

 なるほど、確かに言った通りの肩書が書かれている。ちゃんと市のマークが入った名刺だ。

 それに対し、はるかは自己紹介をする。


「あ、私はサキさんのパートナー……」

「認めていない」


 本当に手強いっ。


「……候補の榊はるかです」


 それでも諦めていない旨を言葉にすると、サキは少し呆れたようだった。

 なるほど、この内面が見えにくい彼女の表情の、微妙な変化を観察するのは面白い。あくまでも前向きに楽しみを見つける、はるかだった。


「それじゃあ、さっそく、カラスの巣を撤去しますね」

「案内します」


 サキは、先頭に立って校舎の裏庭の現場、カラスが巣づくりしている立ち木に導く。

 それに武富が、そしてはるかが付いて行く。

 放課後の校庭、風変わりな三人連れで歩いていると、周囲の生徒たちから好奇の視線が向けられるのがはるかには感じられた。

 と、現場近くに着いた所、カラスの警戒域の手前でサキの足が不意に止まった。


「榊さんは校舎の中に居て。危ない」


 サキは、はるかに静かな声で警告する。


「危ないって、サキさんは?」


 サキの心配をするはるかだったが、彼女は小さく首を振ると言い切った。


「私にカラスは、近づかないから」

「へ?」


 戸惑うはるかに武富が説明する。


「カラスは飛び道具には神経質で、それを持って歩く相手からは逃げるんですよ」

「飛び道具? サキさんは、そんなもの……」


 サキの小さな右手が例の広くて深い制服のスカートのポケットに入ると、ごく自然な仕草でくの字型をしたプラスティック製の板を取り出した。


「あーっ、それー!」


 以前、はるかがカラスに襲われた時に投げつけられ、カラスを撃退してくれた板だ!


「サキさん、お得意のブーメランですね」


 武富が、それを見て笑顔でうなずく。


「ぶーめらん?」


 おうむがえしにつぶやき、首を傾げるはるかに武富は説明する。


「そう、やっぱりここの生徒さんだと知らないかー。オーストラリアの原住民が使っていたっていう、投げると飛んで帰って来る玩具ですね。いやぁ、僕も小さい頃、駄菓子屋で買って遊びました」


 でも、と武富は苦笑した。


「自分が投げても、帰って来ないんですよねー」


 そんな武富にサキは言う。


「帰って来るようにするには、正式な投げ方でする必要がある。それに駄菓子屋のものは、造りからして帰って来させるのは難しいから」


 安物は駄目ということだろうか。

 はるかは感心する。


「へーっ、じゃあ、それは高いものなんだ。あ、この間助けてもらった時の奴、寄宿舎の部屋に置いてあるから、帰ったら返すわね」


 しかし、サキは首を振った。定規で線を引いたように真っ直ぐな黒髪が、肩口を流れる。


「別に。これは近所の駄菓子屋で買った一枚六十円のもの」

「はぁっ?」


 驚くはるかに、サキは淡々と説明してくれた。


「失くすかも知れない飛び道具に、お金はかけられない。威嚇には、これで十分」

「え、でも、戻って来ないんだよね?」


 確認するはるかに、静かだが良く通る声が答える。


「当てればどっち道、戻って来ない。それに、当てるのが目的なら真っ直ぐに飛んで行くこれの方が使いやすい。オーストラリアでも、狩りに使うのは真っ直ぐに飛んで帰って来ないカイリーって呼ばれるタイプ」

「へ、へぇーっ、って」


 そこではるかは気付く。両手を合わせて、サキに言う。


「ごめん、お礼を言うのが先よね! この間は、助けてくれてありがとう!」

「っ!」


 その時のサキの表情の変化には、面白いものがあった。

 助けたことなどずっと伏せておくつもりだったのだろう。しかしブーメランの話をしてしまったことで、間接的に自分がやったのだと認めてしまっていた。

 微妙に、しかし様々に表情を変化させて、そうして最後に諦めた様子で首を振った。


「私は、鳥獣対策委員だから」


 職務上、やったことだから気にしなくていい。そういう結論に決めたらしい。

 それでも、


「助けてくれたことには変わりないから言わせて。ありがとう」


 はるかは言う。

 サキは反射的に反論しようとしたようだが、回転の良すぎる頭で、それでは堂々巡りするだけだと気付いたのだろう。言葉に詰まる。頭が良過ぎると、時としてそれが自分を縛ってしまうと言う典型のようだった。

 そして本当に、本当に小さな声で答える。


「……どういたしまして」


 恥ずかしげに、はるかの礼を受け取るサキの表情は初めて見るもので、思わずはるかは見惚れてしまっていた。

 同時に思う。これだけかわいい子が自分から殻に閉じ籠もり、クラスどころか学院中から孤立しているその理由は何なのかと。

 何か原因があるなら、解き放ってあげたい。本当にそう思う。

 しかし、自分をじっと見つめる視線に羞恥を感じたのか、サキはきびすを返すと背を向けて武富を先導して行ってしまう。普段の静かなイメージと違って足早に歩くサキと、それを追いかけながら、はるかに笑顔で手を振って現場に向かう武富が対照的だった。


「あ、確かに寄って来ない」


 サキが近づくと、カラスはさかんに威嚇するものの、まるでサキが制空権でも持っているかのように、ある一定の距離を取って遠ざかって行った。カラスは頭が良いため、はるかがサキに助けられた時に受けたブーメランの威力と射程、そしてそれを投げつけたサキのことを覚えていたのだろう。なまじ、頭がいいために威嚇も効くということのようだった。

 そこに、武富が伸ばした梯子を木に立て懸け、登って行く。

 さすがに、巣に手をかけられると突っ込んで来るカラスだったが。


「あっ!」


 サキから見事なサイドスローで投げられたブーメランの直撃を受け、墜ちる。それでも地面にぶつかる寸前で持ち直し、


「危ない!」


 ブーメランを投げてしまい、丸腰のはずのサキに向かって行く。

 しかし、


「甘い!」


 聞こえて来たサキの凛とした声と同時に再びブーメランを叩き込まれ、地に伏す。それを見下ろすサキの手には、更にブーメランが。彼女は制服のポケットに複数枚、それを隠し持っていたのだ。


「びっくりしたー」


 はるかはほっと胸を撫で下ろす。

 しかし、本当に驚かなければならないのはここからだった。


「逃げて!」


 遠目にもサキが、その表情の変化に乏しい顔に狼狽を浮かべているのが分かった。

 何と、サキから逃げ出したカラスがパニックを起こしたのか、はるかの方に向かって来たのだ。


「しまっ……」


 自分はなぜここに居るのか? サキに、校舎の中に入っていろと指示を受けて居たのではなかったか。

 それを会話にかまけ、のほほんと聞き流してしまった。ほぞを噛むはるかだったが、今更間に合わない。

 しかし、


「う……」


 声が、


「らぁーっ!」


 風切り音が。はるかに聞き分けることができたなら、それが三つ、近づいて居たのに気付いただろう。


「ガァッ!」


 打撃音とカラスの悲鳴がした。

 そして、


「間に、合った……」


 しゃがみ込んで頭を抱えていたはるかに感じられたのは、羽毛で掃かれたような感触だった。

 これは……

 目を開け、顔を上げたはるかが見たものは、心底安心した様子のサキの顔と目の前に広がった彼女の黒髪だった。


「え、だってさっきまで、あの木の下に居て……」


 今、目の前に居ていい存在では無かった。


「火事場の、馬鹿力?」


 上がった息を整えるため、途切れ途切れにそんなことを言いながら、サキはかすかに…… ほんのかすかに笑ったようだった。




 すべてを見ていた、校舎の屋上。


「ブーメラン三連撃と同時に出した、風雲流、歩法が奥義、閃歩。千歩の距離を閃くが如く歩む、か。久々に見たなー」


 そんな独白が、風と共に流れた。

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