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第十章 SAYONARA

 サキが、救急車で病院に運ばれた翌日。

 それを知ったはるかは授業を放棄し、息せき切って市立病院へと駆けつけていた。


「よう、早かったな」


 開け放った個室の病室。そのベッドの枕元には、椅子に座った聖稜女学院の制服、翠の姿があった。


「翠っ!」

「綺麗な顔してるだろ」


 彼女が見つめるベッドに横たわる、サキの目は瞑られていて。


「眠ってんだぜ、こいつ」


 ふぅ、とはるかは息をつく。とりあえず、最悪の事態は無かった訳だ。

 心電図を示す機械が定期的に脈打つのを横目で見ながら、はるかは表情を引き締め、翠に向き直る。


「説明して」

「説明?」

「そう、知ってるんでしょ?」


 時折、翠とサキの間で交わされる不思議なやり取り。

 今までは、これから一緒に居ればいつかはその意味も分かると思っていた。でも、ことがここに至っては、そんな悠長なことは言って居られなかった。


「私が知ってんのは、ごく限られたことだけだぜ」


 はるかに翠は向き直る。


「それでもいいから」


 はるかは、引かない。


「それじゃあ、話すぜ」


 そう前置きして、翠は語り始めた。


「サキが、うちの道場に入って来たのは小学四年の時だったな。えらくひ弱で、ひたすら基礎を繰り返していた記憶がある」


 そこで一旦、翠は話を変えた。


「うちの流派は基礎をみっちりやることで有名なんだ。何故かって言うと最終奥義が、精神で肉体を凌駕させ肉体のリミッターを外す技だからだ」

「肉体のリミッター?」


 首を傾げる、はるかに翠は説明する。


「聞いたこと無いか? 人間は潜在能力の数パーセントしか使ってないって」

「うん、それなら」


 はるかも聞いたことがある。はるかがうなずいたのを確かめて、翠は話を続けた。


「それを、うちの流派の最終奥義では精神の力で無理やり外して引き出すんだ。火事場の馬鹿力ってあるだろ。あれを修練によって自在に引き出せるようにするんだ」

「……凄いのね」


 格闘技の知識の無い、はるかには、そう言うしかない。だが、その言葉を受けても翠は誇るでもなく淡々と続きを話し出した。


「だけどな、何でわざわざリミッター何かがかかっていると思う? それは、それ以上やったら身体を痛めるからだ。だからこそ、うちの流派ではそれに耐えられるよう、みっちりと身体づくりをするんだ。最終奥義はその果てにある」


 常とは違う、翠の真剣味を帯びた表情。それに気圧されそうになりながらも、はるかはぐっとこらえて話の先を促した。


「……それで?」

「多分、その体力づくりをするってのが都合が良かったんだろうな。サキはリハビリか何かが目的で、弱かった身体を治す為にうちの道場に通っていたんだと思う」

「だったら何で辞めちゃったわけ? 身体、良くなってないんでしょう?」


 はるかは聞く。それは病院に担ぎ込まれている時点で明らかだったからだ。

 翠は過去を思い出すように、宙に視線を据えて語った。


「あれは中一の時だったな。道場内で練習試合をやっていて、それまで三年間、基礎ばかりやって来たサキもたまには試合をやってみたらどうかって、話になった」


 その結果は、


「サキは相変わらずひ弱なままだったけど、うちの流派の奥義を駆使して高校生相手でも互角に戦って見せた。初めて見たぜ、中一で奥義を使う奴。凄えと思った。でも、その試合の後……」


 翠はため息をついた。


「サキは倒れた。それで分かった。ひ弱なサキが奥義を使うことができたのは、無意識の内に最終奥義を一緒に使っていたからだって」

「最終奥義って、さっき話してた身体のリミッターを外すって言う、あの?」


 翠はうなずいた。


「風雲流、最終奥義、羅刹。精神で肉体を凌駕する技。そいつを意識することなく使っちまうんだよ、こいつ。修練の結果、会得したんじゃねー。身体のリミッターが壊れてんだ。生まれつきか、うちの道場で修練している内にそうなったかは分からねーが」

「それって凄い才能があったってこと?」


 翠は首を振った。


「言っただろ、リミッターを外したら身体を痛めるって。だからそれに耐えられるだけの体力づくりをするんだけど、サキはそれ抜きに最終奥義を身に付けちまった。それもやっかいなことに本人にも使ってる意識がねー」


 それは本当に質が悪かった。


「三年間、いくら基礎を積んでも身体が丈夫にならねー訳だ。だって、普通は限界まで耐えて頑張ることで体力が付くのに、こいつにはその自分の身体の限界が分からねーんだ。そんな状態で頑張ってみ、身体を壊すだけだから」

「それじゃあ……」

「その日以来、サキは道場を辞めた。その後だ。こいつが学院内で評判の悪い鳥獣対策委員になったのは。自分への周囲からの目も省みず学院の為に尽すようになったのは」

「それって……」

「多分、いやきっと」


 その先を言うのは、いくら翠でも憚られたのだろう。言葉を詰まらせていると、ベッドから声がかけられた。


「その先は私が話す」


 小声でも何故か良く通る、聞き慣れた特徴的な声だ。


「サキ?」

「起きてたの、サキさん?」


 ベッドの上のサキが小さくうなずく。その姿はまるで幼い童女のようだった。


「四月二日」


 不意にサキが言った。


「えっ?」

「私の誕生日」

「えっ、あっ、そうなんだ」

「小さい頃は、そこがゴールだった」


 語り出す、サキ。


「私のお母さんは、私を産んで、しばらくして亡くなった。元々、身体が弱くて出産は無理だって言われてたけど、それでも私の為、産んでくれたらしい」


 母親の生と死をサキは淡々と話した。


「でも、そうやって産んだ私はやっぱり、お母さんの血を引いていて身体が弱くて」


 そしてサキは言った。何でもないことのように。


「お医者様には、十六歳の誕生日は迎えられないだろうって言われてた」

「っ!」


 息を飲むはるかにサキは微笑んで言った。


「そこが私の小さい頃のゴール。高校生にはなれない。結婚もできないって」


 だからサキは無垢なのかも知れない。結婚が無理なら、恋愛だって無理、そう考えているのだろう。

 生真面目なサキらしい考え方だった。

 でも、


「そんな……」


 はるかの拳が、ぎゅっと握りしめられた。


「だって、だって、サキさん、生きてるじゃない! ちゃんと十六歳になったんでしょう!」


 叫ぶ、はるか。そうしないと、声が震えてしまいそうで。それを隠したくて。


「高校生、なってるじゃない!」


 そんなはるかに、サキはこくんとうなずいて先を続ける。


「小学四年生の時、お父さんが交通事故で亡くなった。お父さんは、お母さんをとても、とても愛していたから、お母さんの所に行ったんだと思う」


 サキは、自分を置いて逝った父親を恨む様子も無く穏やかに語った。


「私はお母さんの親友だった、院長先生に引き取ってもらった」


 当時を思い出すように、目をつぶるサキ。


「それで、四ツ小屋の先生を紹介してもらった。私の身体を丈夫にしてくれるんだって。だから三年間、頑張ってみた」


 けれど、


「けれど、駄目だった。せっかく指導してもらったのに、この身体はそれに応えてくれなかった」


 誰が悪い訳でも無かった。

 はるかだったら神様を恨むかも知れなかったが、サキは敬虔なクリスチャンだった。

 神を恨んだりはしない。ただ、そうあれと受け入れるだけ。


「でも、それでゴールが分からなくなった。小さい頃は十六歳の誕生日、その前がゴールだったけど、それからは何時がゴールなのか分からない」


 いつ、人生の終焉を迎えるか分からない。

 一年後? 五年後? それとも明日?

 今日、今この時がそうかも知れない。


「だから、いつゴールしても悔いの無いよう、せめてこの私を引き取ってくれた院長先生に報いられるよう、神様にお父さんとお母さんの所に送ってもらえるよう……」

「止めて!」


 たまらず、はるかはサキの言葉を遮った。とてもではないが聞き続けては居られなかった。頭を振ってサキに語り掛ける。必死に、サキの言う言葉を否定したくて。


「ゴールに辿り着いた時のことなんか考えなくてもいいでしょう! それはもっと、ずっとずっと先の話! まだ考えなくてもいいじゃない! だって時間は……」

「私にはもう無い」


 現実は冷酷で。サキはそれを、ごく自然に受け入れてしまっていた。


「サキさん!」


 悲痛な声を上げるはるかとは対照的に、サキは穏やかな様子で言葉を続けた。


「だから頑張った。鳥獣対策委員。みんな嫌っていて、でも必要な仕事。誰も巻き込まなくて済む」


 それは、サキにとって理想的な仕事だったのだろう。


「小さい頃に行った教会で神父様は仰ってた。善行は自分と神様だけが知っていればいいって。だから、頑張って、頑張って、頑張りぬいて」


 戦って、戦って、戦いぬいて。


「そしてゴールするのが、私のたった一つの望み。そうやってゴール出来たら、私は幸せ……」

「嘘よ!」


 叫ぶ、はるか。


「嘘よ嘘よ嘘よ! そんな悲しい幸せ、あっていいはずが無い! そんな寂しいことが幸せのはず無い!」


 ただかたくなに首を振る。


「始まったばかりじゃない! この春に十六歳になって、高校生になって、新しい生活を、十六歳って期限を乗り越えた生活のスタートを、切れたばかりじゃない! 友達になったばかりじゃない!」


 涙をこらえてサキに語りかける。


「これから、幸せになって行くんでしょう? 私たちの幸せは始まったばかりでしょう? それなのに、もうゴールだなんて」


 声を詰まらせるはるかに、サキは本当に澄んだ笑みを浮かべて首を振って見せた。


「ううん、もう十分幸せだったから」


 サキは大切な宝物を扱うかのように語って見せる。


「私にとって、高校生活は想像もしなかった夢だったから。この春からの生活は神様が与えてくれた、最後の奇跡だから」


 それは、何て儚い奇跡だったのだろう。サキは、はるかを真っ直ぐに見つめて言う。


「はるかさん……」

「なに?」


 かろうじて涙をこらえ、答えるはるか。しかし声の震えは隠せなかった。


「私のこと、パートナーだって言ってくれて、本当は嬉しかった」


 今、ここに至って、サキは内心を隠さず見せてくれた。


「……こうして、迷惑をかけてしまうのが分かっていても」


 付け加えられた言葉と申し訳なさそうな表情に、はるかは激しく頭を振った。


「迷惑なんかじゃない! 友達のこと、迷惑だなんて思う訳無い!」

「友達? まだそう言ってくれる?」

「親友よ!」


 言い切る、はるか。もっと早くに告げて置けば良かった。もっと強引にでも、その座を占めて置けば良かった。悔悟が涙となって頬を伝う。

 でも、サキは花開くように笑ってくれて。


「ありがとう」


 と、


「私、頑張って良かった」


 はるかの言葉だけで、これまでの人生、すべてが報われたとでも言うように本当に満ち足りた様子で。


「これ……」


 胸元からビーチグラスの下げられたペンダントを取り出して見せる。


「もらって行くね」


 そして、ゆっくりとサキは目をつぶり、心電図を映していた機械が警報を鳴らした。


「っ、ナースコール!」


 翠が慌てた様子で人を呼ぼうとする。

 しかしそれより先に、モニターしていたのだろう。医師たちが次々と部屋の中に入って処置を始めた。


「さぁ、君たちは出て」


 部屋から連れ出される、はるかと翠。


「っ!」


 耐えきれず、はるかは走った。


「はるか!?」


 廊下に出て階段を駆け上がり、屋上に出る。ポケットから、病院だからと電源を切っていた携帯電話を取り出すと電源を入れて短縮ダイヤルに指を走らせる。


「お父さん、お父さん、お父さん……」


 海外に居る父親に電話する、はるか。

 時差なんて関係ない。考えて居られない。


「助けて、助けてお父さん」


 祈るように呟き、医者の父親にすがる。

 だが、どれだけやっても電話は繋がらない。どれだけ待っても父親は出ない。父の声が聞けない。

 焦って、何度も何度もかけ直す。


「はるか」


 背後から、翠の声。それで我に返る、はるか。


「翠!? サキさんは?」


 あれからどれだけ経ったのか?

 サキの容態はどうなったのか?

 しかし、はるかの視線の先で翠は首を振った。

 はるかの世界が暗転した。

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