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序章 裏庭にて

 春先の学院の裏庭には、枯れ草を押し退けて一面に新緑の野草が芽吹こうとしていた。

 ヨモギ、ツクシ、アザミ、タンポポといった良く知られているもの。そして、そうではないもの。様々な草の芽たちだ。

 踏み跡すらないそれらを前に、榊はるかは溜め息を漏らした。


「まったく、野生が溢れすぎよ」


 校舎裏のゴミ捨て場から、ふと思い立って裏庭を近道しようとしたはるかは、生い茂る雑草に眉をひそめながら空になったゴミ箱を運んでいた。足元が一般的なローファーでは無く、学校指定のシックな編上げのブーツなので、くるぶしの上まで保護されているのが幸いだろうか。

 黒のブーツに合わせ、そこから伸びた足を覆うストッキングも黒だ。シスター服をイメージさせる、シンプルな立襟のワンピースの制服は、ライトグレー一色だった。

 ここは、聖稜女学院。

 良家の子女を環境の良い田舎の港町に集め、一貫教育を施す為に作られた、ミッション系の伝統校だった。

 今年、十六歳になるはるかが医師を勤める父親の海外勤務に伴い入れられたのは、寄宿舎のある、そんな学校の高等部だったのだ。


「お嬢様なんて、柄じゃないのに」


 はるかの父は腕の立つ医師だったが、個人経営の小さな診療所を持っているだけで、はるか自身、自分は庶民だと思っている。


「まったく……」


 はるかが、自分の身を嘆く言葉を漏らした時だった。

 突如として、甲高い鳴き声が人気のない裏庭の空気をつんざいた。


「きゃっ!」


 刹那、はるかは真っ黒な塊に空中から襲われた。頭上から、覆いかぶさるように突っ込んで来る黒影があった。

 それを目で追い、正体を確かめたはるかは思わず声を上げた。


「えっ、か、カラス?」


 はるかが口にした通り、それはカラスだった。

 はるかだって、カラスぐらいは知っている。電線に止まり、時に地面に降りては餌をついばんでいる街でもよく見かける鳥だ。人や車が近付けば飛び去ってしまう、ごく普通の鳥のはず。

 それが人間のはるかを恐れもせず、けたたましい鳴き声で威嚇し爪とくちばしで攻撃を仕掛けて来るのだ。こんな体験は初めてで、はるかは思わずゴミ箱を放り出して頭を抱え、屈み込んでしまう。

 けれども、そこに凛と澄んだ鋭い女性の声が降って来た。


「立って走って!」


 声だけではない。風を切って回転する何かが降って来て、はるかを襲おうとしたカラスをしたたかに打ちすえたのだ。


「グアッ!」


 当たり所が良かったのか、カラスが短く悲鳴を上げて落下する。

 そのカラスを打ったものが跳ね返って、はるかの目の前に落ちた。くの字状に曲がった、色鮮やかなプラスティック製の板だった。


「早く走る!」


 驚きに思考停止しそうになるはるかに、間髪を入れず指示が飛ぶ。


「えっ、うっ、うん!」


 声は校舎の上の階からした。窓際に黒髪ロングの小柄な女生徒の姿があるのが一瞬、見て取れた。

 はるかは、ともかく慌ててゴミ箱と、とっさに拾ったプラスティックの板を持って校舎へと駆け込んだ。


「な、何なのよー」


 校舎の中に入って、はるかはようやくへたり込んだのだった。




「あはは、そりゃ災難だったな、はるかーっ」


 やっとの思いで教室に戻ったはるかを迎えたのは、ショートカットのスポーツ少女、四ツ小屋翠の笑い声だった。人気の絶えた教室に、彼女の明るい声が響いた。

 彼女は、そのあけすけな言動が示す通りお嬢様などではなく、地元の古流格闘技道場の娘だった。この上品な学院に慣れないはるかに色々と手助けをしてくれる友人だ。


「あそこの裏庭は毎年、春先にカラスが巣を作るんで、その季節は誰も近寄らないんだぜ。だから、草に踏み跡も無かっただろ」


 完全に面白がっている様子で翠は言う。


「そういうことは先に言いなさいよ。寿命が縮んだわよ、まったく」


 非難の声を上げるはるかだったが、翠は悪びれなかった。


「いやぁ、私たちにしたら、毎年のことだからな。はるかにゴミ捨て場への道を教えた奴も、ちゃんと迂回路を教えたんだろ」


 それを言われると、はるかも肩身が狭い。


「そ、そりゃあ、勝手に近道しようとした私も悪かったと思うけど」


 と、詰まりながらも言い訳をする。しかし、それならそれで理由を教えてくれれば良かったのに、と考えるのは甘えだろうか?

 そんなはるかに、やや真面目な顔をして翠は告げた。


「まぁ、無事で何よりだな。酷い時だと、髪の毛抜かれたり、つつかれて血ぃ出したりするからな」


 そんな物騒なことを言うのは、実際に被害に遭った者が居るからだろう。はるかはもし自分がそうなっていたらと想像して、ぞっとする。

 そして翠は、はるかの長い髪を見ながら言った。


「はるかのツインテールも、巣の材料に狙われたんじゃねーか?」

「ええっ?」


 はるかは、素直な質の髪を両サイドで束ねたツインテールを押さえて焦る。勢い良く振り向くと人の顔をぶつそれが、まさか狙われる対象になるなんて。


「何しろ連中、馬の尻尾まで巣の材料にするって話だし」


 翠は、はるかの反応を楽しむかのように説明する。


「か、カラスって凶悪なのね」


 怖気をふるうはるかに、翠は大らかに笑って答えた。


「巣作りの時期だけだって。まぁ、お嬢様たちがつつかれて怪我でもしたら大変だから、鳥獣対策委員が何とかしてくれんじゃねー?」


 耳慣れない言葉に、はるかは聞き返した。


「ちょ、鳥獣対策委員?」


 首を傾げるはるかに、翠はあっけらかんとした様子で説明する。


「ここってド田舎だろ。サルやイノシシは山から下りて来るわ、カラスは巣を作るわで。だから委員会にそういうのがあって、市役所と話し合って何とかしてくれんだよ」

「さ、サルやイノシシって……」


 はるかは絶句した。そんな動物まで、ここには現れると言うのか。

 そんなはるかの反応を興味深げに見ながら翠は言う。


「この辺の畑、みんな柵や網で囲ってあるだろ。全部、そのせいなんだぜ」

「い、言われてみれば確かに」


 ここに来てから、そんなものを目にし、不思議に思った記憶が蘇った。


「連中はひでえからな。地元のじーちゃん、ばーちゃんが自分たちで食う為に作った畑を根こそぎ荒らして行くんだ。サルは知恵が働くし、イノシシは柵を壊すわ、低い柵なら跳び越えるわで洒落になんねー」

「イノシシが跳ぶの?」


 干支でしか知らない動物の意外な一面を聞き、はるかは目を丸くした。野生の豚、くらいのイメージしか持ち合わせていなかったのだが、考えを改める必要がありそうだった。

 そんな、はるかに翠は説明する。


「ああ、連中、一メートルぐらいの高さの柵なら問題無く跳び越えちまうんだぜ」

「そ、そうなんだ…… とんでもない所に来てしまったようね」


 はるかは呆れるしかない。

 田舎だとは思っていたが、まさかそこまでとは。まったく、はるかの想像を超えた未知の世界だった。

 そして思い出す。


「あ、そう言えば私、助けてもらったんだ」

「え、誰に?」


 意外そうな表情で翠が問う。

 このお嬢様学校で、巣作りの時期の凶暴なカラスに立ち向かうような、骨のある人物に心当たりが無かったからだろう。


「それが、よく分からなくて」


 答えるはるかも、首を傾げる他ない。


「何か、ものを投げて助けてくれたみたいなんだけど」

「ソフト部の連中かぁ?」


 翠に思い当たるのは、その辺ぐらいのようだった。


「いや、そうじゃなくて、こんな」


 はるかは、制服のスカートのポケットを探る。

 この聖稜女学院のワンピースの制服は、胸などにポケットが無いシンプルなデザインだったが、その代わりスカートのサイドに空いたポケットは、かなり広く深めにできていて、大きめのものまで入るのだった。別名、聖稜乙女の四次元ポケットとも呼ばれている。

 とにかく、そこからくの字型に曲線を描く、プラスティック製の板を取り出したのだった。


「プラスティックっぽい板だったけど」


 翠の瞳が眇められた。


「そいつは……」


 その時だった。放課後の教室のドアが軽い音を立てて開いて、誰かが入って来たのは。

 はるかは、慌てて持っていた板を隠す。

 その必要も無かったかも知れなかったが、自分を助けてくれた以上、これは何らかの武器ではないだろうか? 持っている所を見られるのは、まずいだろうと判断したのだ。

 そして隠すのが何とか間に合ったのか、教室に入って来た相手は何も言わなかった。

 今時珍しい艶やかな黒髪を、腰のあたりまで伸ばした小柄な少女だ。


「あ、あなた……」


 はるかは驚いた。さっき自分を助けてくれたのは彼女だった。一瞬だけしか見ていなかったが間違いない。確かクラスメイトで……


「あ、サキ、ちょうど良かった。例の裏庭に、カラスの巣ができてなー」


 親しげな調子で頼み込もうとする翠。そう、サキ、黒羽サキと言う名の少女だったはず。

 白く冴えた小作りな顔を向け、サキは翠にうなずきを返した。


「市役所には連絡済み。対処の順番待ち中」


 最小限の言葉のみで構成された簡潔な答えが、彼女の人柄を現しているかのようだった。


「さすが、仕事が早いな」


 感心する翠に、サキは当然のように告げた。


「私は、鳥獣対策委員だから」

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