♣ティッシュペーパー・ラブコメディー♣
♣ ♣
教室の扉。その精巧で風雅な細工に目を奪われながら、深呼吸。
心の中で『人生一度はやってみたいことリスト』の『転校生』にチェックを入れる。
転校生……! なんて心がトキメク響き。
そう。転校生といえば、重要人物なのである。
……まあ、それは冗談としても、新しい扉が開くときはいつだって胸が踊るものだ。
高校に上がってからはほとんど諦めていたのだけど、人生何が起きるか分からない。まさか転校生を、それも本当にこんな物語みたいなシチュエーションで経験することができるなんて。
この分だと、長年の夢である百層ミルフィーユを食べられる日もそう遠くないかも。
そんな益体もない思考をぼんやり巡らせていると、教室内がにわかに騒がしくなった。たぶん、今日は転校生が来ますよーみたいなことを先生が言ったんだと思う。
ドアを隔てた廊下にいるわたしは、言葉が判別できないのをいいことに生徒達の台詞を想像する。
『男子ですか、女子ですか?』とか『可愛い子かな』とか、『こんな時期に転校生?』みたいな。
……なーんて。そんなわけないか。だってここは、漫画の中でもなければ、普通の学校でもないんだから。
漫画みたいでは、あるけれど。
視線を窓の外に向ける。渡り廊下を挟んだ反対側の校舎は、僅かなくすみもない純白のレンガ造り。天高く伸びる尖塔は豪華絢爛。
まるで……というか、まさしくお城である。
更にその向こうには、朝日を反射してきらめく湖と、それを囲む絵に描いたような、美しい森。かと思えば、隣接して近代的な高層ビルが建ち並んでいたりするのだから驚きだ。
わたしとしては、それらが違和感なく調和し共存しているのが何より不思議なのだけど。
探せば古き良き駄菓子屋とかも見つかりそう。それで、お隣には宮殿でもあったりして。
『あらあら、煮物を作りすぎちゃったわ。お隣におすそわけしましょう』
『苦しゅうない。誉めてつかわす』
「有栖川、どうしたぼーっとして」
妄想世界にトリップしていたわたしは、不意にかけられた声で現実に引き戻された。
振り返ると、いつのまにか教室の扉が開いていて、担任であると紹介された先生が顔を覗かせている。どうやら、いよいよ転校生お披露目タイムらしい。
緩んだ顔を引き締めて、怪訝な表情を浮かべる先生に、なんでもないですと微笑む。
するとどうしてか、今度は先生がぼーっと呆けてしまった。
どうしたんだろう。わたしの顔に何かついてるのかな。
ともかく、入口が塞がれたままでは教室に入れない。
「先生?」
「あ、ああ。スマンな。じゃあ、入って来て自己紹介を頼む」
先生に続いて入室すると、一斉に降りかかってくる好奇と期待のこもった眼差し。
黒板の前に立って、これから一緒に学び、語らうことになる新しいクラスメイト達を見回す。
「うおおぉぉぉ! よっしゃああぁぁーー!!」
なんて雄叫びをあげる男子なんて、当然いない。そもそも、わたしの容姿は人並みだし、興味を惹くような特徴も背景もありはしないから、期待もしてなかった。してなかったですとも。
そういうことにしておかないと、心が折れそうです。
クラスメイトは全員、心ここにあらずといった様子で、茫然とわたしを見つめているだけだった。
もう少し歓迎ムードでも良かったんじゃないかな。ここまで期待ハズレでした感を出さなくても……。
「えっと、あの、初めまして。有栖川メイといいます。これからよろしくお願いします……」
傷心のまま、若干活力に欠けた自己紹介をする。拍手すら起きない。
みんな、ぼんやりガッカリわたしを見ているだけ……じゃない。
四十余りの視線の中に一人分、周囲と違った感情を見つけた。
その人を見た瞬間、世界は色を失って。時が止まったような、そんな感覚がわたしを包みこんだ。
芸術品の如く整った顔立ち。ほどよく茶味がかった髪は柔らかく風に揺れている。
その冷然とした瞳の奥に浮かぶのは……哀れみ?
「有栖川の席は……そうだな、桜庭の隣が空いてるな」
先生はそう言って、件の人物--茶髪の彼を指す。わたしは、なんだか本当に物語っぽいなあってお馬鹿な感想を抱きながら教室を縦断して、窓際最後尾というそれっぽい席に座る桜庭君の隣に移動する。
有栖川メイです、よろしく。桜庭王子です、こちらこそよろしく。そんな月並みな挨拶を交わして、
そして席に着いたわたしに、何の前ふりも前触れもなく、彼は言い放った。
いや。誰に聞かせるでもない呟きが、わたしが届いただけなのかも知れない。
とにかく、それほどに微かな声で、桜庭王子は言ったのだった。
----ようこそ。最低の鳥籠へ。
ホームルームが終了し、先生が教室から去っても、わたしの周りに人だかりができたりはしなかった。……恒例行事である転校生質問責めを期待していたのに。つまんない。
声をかけようとしてくれている素振りはあるものの、クラスメイト達は何故かピリピリとした緊張を纏って互いの行動を牽制するように動いている。
そのまま数分が経過して、この状態が永遠に続くんじゃないかと憂慮し始めた頃。微妙な空気をものともせずに颯爽と教室に入ってきた人物によって、なんともあっけなく均衡は崩れ去った。
「久し振りだな、メイ」
そう言って爽やかに笑ったのは、黒い短髪のよく似合うワイルドな少年。……誰? き、記憶にない。
「あ、いえ、その……はあ」
つい曖昧な対応をしてしまう。どうすればいいんだろう。誰でしたっけ? なんて質問は、流石に無礼が過ぎる気がする。
思い出せ、思い出すんだメイ。脳細胞を総動員でフル稼働させて、記憶を呼び起こそうと試みる。
そういえば! 以前、テレビ番組か何かでこういう場面に遭遇したときの対処法をやっていた。……名前よりも先にこすい雑学を思い出す辺り、わたしという人間の器というかが表れている。とは、思いたくない。
ほら、あれだ。偶然なんだよ、偶然。別にわたしが薄情とか記憶力弱いとかじゃないんだよ。
誰に向けてのものかも分からない言い訳を弄しつつ、手順を確認。『お名前何でしたっけ?』って尋ねて『○○です』って名字を言われたら『いえ、それは分かるんですが、下の名前の方は……』と返す。先にファーストネームを名乗られた場合は、その逆。
そうすれは、忘れていたことを先方に悟られることなく名前を知ることができるという寸法だ。ふふふ。
「お名前何でしたっけ?」
作戦通りにそう尋ねると、少年の端正な顔がピシリと音をたてて固まる。
「わ、分からないの? マジで?」
どう見てもショックを隠せない様子でそう言った。
「え、な、なんといいますか決してそういうわけでは、」
シナリオを外れた展開にしどろもどろになるわたしを見て、少年は溜め息を吐き、微笑んだ。
「ったく。変わんないよな、メイは。抜けてて、危なっかしくてさ」
そんな姿に。呆れたような、それでいて優しげな言葉の調子に、閉ざされていた記憶の扉がノックされる。
「……涼ちゃん?」
「ホントに忘れてたのかよ……。結構、ショックだぞ。それと男子高校生つかまえて『涼ちゃん』はよしてくれ」
「だって、昔から涼ちゃんは涼ちゃんだし……」
そうだ。涼ちゃん――松永涼平。わたしの、幼馴染み。
「それにしても、高1で罹患なんて随分珍しいね! 高等部から伽護芽に転入なんて前代未聞じゃない?」
わたしの右隣で、かなり興奮している様子の織田ちゃんは言った。
高級。一流。三ツ星。と、そんな枕詞が付くことになんの違和感もないような。テレビの中でしか見ることができないような、セレブ御用達のホテルを思わせる学食に、わたしたちはいた。
午前中の授業を終えたわたしは、一年ぶりの再会を果たした幼馴染みに連れられて学食に来たのだ。
座っている椅子も、使用されている食器も一級品。わたしは落としたらどうしようとか、汚したらどうしようと気を遣って小さくなっていた。弁償なんて絶対にできない。
「いんや、前例がないわけじゃないぜ。確かにオトギ病罹患は9~13歳くらいが大半を占めてっけど、早ければ7、8歳なんて奴もいるし、最年長は18だったはずだ」「まあ、それでも13越えての罹患者数は全体の1割にも満たない。有栖川ちゃんが希少種なのは事実だぜ」
向かい側の席。同じ顔に同じ銀縁の眼鏡を装着した双子の峰崎兄弟が代わる代わる答える。
高そうな備品類に気負うこともなく箸で皿回しをしている二人に内心で悲鳴をあげながらも、相槌を打つ。
「そうなんですか? でも、舟に乗ってたとき、わたしの他にも高等部への転校生が何人かいるみたいな感じでしたよ?」
船酔いの影響でずっと寝込んでいたから実際に会ってこそいないものの、微かに漏れ聞こえてきた会話から高等部への転校生は数人いるらしいことは分かった。
「へえ! それは新情報だ」
嬉々としてメモを取る峰崎兄弟。学園事情に詳しいみたいだし、この様子といい新聞部とかなのかな。
「おい……!」
そのとき、横合いから不機嫌な声。左側を見れば、涼ちゃんが憮然とした表情で腕を組んで立っていた。
「峰崎共、織田。どうして当然のようにここにいる。俺はお前らを誘ってないぞ」
「まぁまぁ、固いこと言いなさんな。この『情報屋』峰崎兄弟」「噂の転校生ちゃんと我らが友である涼平が『幼馴染み』だなんて知っちゃあ取材しない訳にはいかないさ」
「あたしはさ、ほら。噂の転校生メイちゃんの友達になろうと思ってね!」
悪びれた様子もなくニコッといい笑顔。というか、涼ちゃんが紹介してくれようと呼んだんじゃなかったのか。三人とも、ものすごく自然に合流してきたから勘違いしていた。
それから……情報屋? そしてわたしの噂って何だろう。この不思議な学園は、分からないことだらけ。
「OK。100歩……いや、1000歩譲ってお前らがここにいることは良しとしよう。だけどな、」
涼ちゃんは一旦言葉を区切って、眉間を揉みながら深く息を吸う。それから、足元をビシッと指差して一言。
「なんで俺が立ってるんだよ!!」
「……さあ?」
「涼平が立ちたい気分だから?」
「違えよっ! お前らのせいだよ! 四人掛けの席なんだよ! ! お前らが座ってるせいだよ!! なんで飛び入りのお前らが座ってて俺が余ってるんだよっ!!!」
「涼平、うるさい」
「食事中のマナーがなってないな……」「ほら、みんなが迷惑そうにこっち見てるじゃん」
「どうして俺が悪者にされてるんだああああ! そして皿回ししてる奴にマナーを説かれたくねえ!」
頭を抱えて叫ぶ涼ちゃん。四人とも仲良しだ。ちょっと、羨ましい。
「さーて。それじゃあ、お邪魔ムシはそろそろ退散かな。感動の再会、積もる話もあるでしょ?」
ひとしきり涼ちゃんをからかうと、織田ちゃんが弾むように席を立つ。ポニーテールがピョコっと揺れた。
すぐに空いた席に涼ちゃんが座って、峰崎兄弟に刺すような視線を向ける。
「お前らは帰らないのかよ?」
「僕らは面白い情報のためなら馬に蹴られて死ぬことも辞さない覚悟だ」「だけど、『涼ちゃん』がどうしても有栖川ちゃんと二人きりになりたいってんなら泣く泣く立ち去ることもやぶさかではないぜ?」「情報と友情を天秤にかけたときに傾くのは友情だからな、うん」
「はぁ?! 誰も二人きりになりたいなんて言ってねえよ!」
「なら僕らがいても構わないよな」
「……ああ」
「ププッ。ヘタレだね、『涼ちゃん』」
「うっさい! お前は早く帰れよ織田麻理!」
「アンタ、あたしをフルネームで呼ぶとは……。やってはならないことを! 今でも夢に見るわ。あの卒業式での呼名時に場内を満たした失笑をっ」
わいわいじゃれあう四人を眺めながら、これから先の毎日が、楽しく騒がしく素敵な日々になりそうだなってそう思った。
♣ ♣