♣サイクロン・サイレント♣
♣ ♣ ♣ ♣
「じゃあ、本当に何も知らないってこと?」
「……最初からそう言ってるじゃないですか」
驚いたような、訝しむような表情のまま、もう何度目かになる確認をまた繰り返す桜庭くん。そんな彼に、わたしもまた同じ答えを返した。
わけもわからないままいきなり絡まれたことへの不満や苛立ちもあって、わたしの声には険が含まれる。……多少、照れ隠しという側面もあったのは内緒だ。
とはいえ、苦労した弁明の甲斐あって、桜庭くんもようやく納得してくれたらしい。しばらくの沈黙の後に前髪をかきあげ、やがてばつが悪そうに言った。
「……悪かった。どうやら、俺の早とちりだったらしい」
「わかってくれたなら、もういいですよ」
「でも、ならどうして空閑風夜は君を……?」
小さく疑問を溢す桜庭くん。……そんなのわたしが訊きたいですよ。微かな呟きは噴水の音にかき消され、夜の空気に溶けた。
「それで『ほしゅは』とか『秘密兵器』とかって、いったい何なんですか?」
「……それも知らないの?」
わたしも疑問をぶつけてみると、桜庭くんは目を見張って驚いた。
「仕方ないじゃないですか。転校してきたばかりなんだから」
いかにもわたしが無知であるかのような口振りに、憮然とした態度で言い返す。すると、桜庭くんは少しの間何かを考えた後、わたしに告げた。
「……じゃあ、誤解したお詫びにこの学園の真実を教えてあげよう。それが君にとって喜ばしい事実であるかは疑問だけど。そうだな……まず、君のこの学園に対する印象は?」
どことなく含みのある彼の言い回しを気にしつつも、質問について考える。この学園の印象……。そんなものがわたしの知りたいことと関係あるのかな?
「不思議がいっぱいで楽しいところですよね」
はぁ、とあからさまなため息をつかれた。……傷つくなぁ。しかし、次に続いた彼の言葉でそんな些末な感情は吹き飛ばされてしまった。
「ここは、そんないいところじゃない。君がここにそんな楽園めいた印象を持っているなら、早急に改めた方がいい。ここは、楽園の皮を被った地獄だ」
憎々しげに吐き捨てる桜庭くん。その表情には学園へのどす黒い感情がありありと浮かんでいた。
「楽園の皮を被った地獄……?」
「より具体的に言うなら、学園の皮を被った牢獄。……俺たちは『生徒』なんかじゃなく、さしずめ危険な『囚人』ってところかな」
「…………どういう意味ですか?」
「オトギ病のことは当然知ってるでしょ?」
わたしは頷く。
突発性寓話症候群……通称『オトギ病』。罹患した子供たちが突然に童話由来の超能力を得るという未知の病。その罹患者……つまりは『能力者』が集められたのがこの学園なのだから、当然、知っていなければおかしい知識だ。
「そう。オトギ病に罹患した子供たちの『教育』を行うのがこの伽護芽学園。……表向きは、ね」
「表向き?」
「綺麗な建物や明るい雰囲気で誤魔化してはいるけど、よく考えればおかしな点はいくつもある。ハッキリ言うと、ここは俺たち『危険人物』を隔離しておくための体のいい牢屋なんだよ」
「でも、別に閉じ込められているわけでもないし大袈裟じゃないですか?」
孤島とはいえ、長期の休暇には帰れるだろうし、電話だってある。しかし、そんなわたしの反論は予想外の言葉によって打ち負かされた。
「いや、閉じ込められてるんだよ、この孤島に。俺たちはここから出ることが出来ないし、外界との連絡手段もない。この学園に連れてこられてから、今まで色々試してみたんだ。これは紛れもない真実」
「…………」
桜庭くんから知らされた事実に、わたしは言葉を失う。
ようこそ、最低の鳥籠へ。転校初日に彼が言ったその言葉の意味が、今わかった気がした。
「でもでも、オトギ病は大人になれば治るし、そうなれば『卒業』ですよね? 島は特に危険があるわけでもなくて、むしろ快適だし、ほんの数年出られなくても特に問題はないんじゃないですか?」
「……そうだな。大半の生徒は、それでいいかもしれない。だけど、そういうわけにもいかない事情がある奴もいるんだよ。俺も含めて」
「事情?」
「……とにかく、俺たちはなんとしても出来るだけ早く、この島を解放しなきゃならない」
質問には答えず、桜庭くんは言葉を濁した。わたしも、人の事情に土足で踏み込むほど礼儀知らずじゃないから、追求もしない。代わりの質問を重ねる。
「俺たち、ですか?」
「ああ、それも関連して、ここからが本題に繋がる話。さっき説明した通り、この学園は閉鎖的な鳥籠……そして、それが原因で色々と揉めてるんだよ。大まかに、鳥籠の解放を目指す革命派と鳥籠を守ろうって連中の保守派に分かれてね」
ふとわたしの脳裏に昼間聞いた単語が甦る。
「抗争……」
「正解。これが所謂、派閥抗争だ。俺は革命派の筆頭で、保守派の筆頭は空閑風夜。君を誘った生徒会長だよ」
ここでようやく、わたしにも合点がいく。
「なるほど。それで、会長さんに誘われたわたしのことを保守派にとっての重要人物だと勘違いしたわけですね」
「そういうこと。結局、君は派閥抗争には無関係みたいだけど。そうだ、革命派に入る? 各派閥には入ることで得られる権利や得点なんかもあるんだ。だから、特に志がなくても派閥に属してる奴も多いよ」
そんな奴らでも人数は多いに越したことはないから大歓迎だ、と桜庭くんは締めくくる。
「そうなんですか。でも、生徒会のお誘いもありますし、色々と知ったばかりで混乱してるし、少し考えてみます」
頭はもうパンク寸前だ。どうするのが正しいのか、さっぱりわからない。昼間の様子を見る限り、涼ちゃんや峰崎兄弟も抗争について詳しいみたいだったし、明日にでも相談してみようかな。
「それにしても、空閑風夜はどうして保守派の中枢とも言える生徒会に君を誘ったんだか。ここまで何も知らない君が戦力になるとは思えないし……案外、本当に一目惚れだったのかもな」
「そ、それを引っ張り出すのはやめてくださいっ!」
恥ずかしすぎる!
翌日。わたしの取るべき行動について、涼ちゃんに相談しようと隣のクラスを訪れる。しかし、そこに幼馴染みの姿を見つけることはできなかった。
「おやおや、有栖川ちゃん!」「僕らのクラスに何の用事かな?」
ドアから教室内を覗いてキョロキョロしていると、峰崎兄弟に声をかけられる。
「あ、二人とも。涼ちゃんに相談事があるんだけど、どこにいるかわかりますか?」
「涼平?」「アイツ、今日は休みだけど」
「そうですか……」
風でもひいたのかな。昨日は元気そうだったけど……。心配だ。うーん。相談もどうしようかな……。
「涼平に用事があるならお見舞いに行ったらどう?」「アイツ、きっと泣いて喜ぶぜ」
ニヤニヤと笑いながら、そんな提案をしてくる兄弟。なるほど。いい考えかも。 泣いて喜ぶことはなさそうだけど。
「うん。じゃあ、そうしてみようかな。あ、二人にも訊きたいことがあるんだけど、いいですか?」
「ほう。情報屋への依頼かな?」「特別に友情価格にしておくよ」
「た、ただの質問ですよ!」
がめつく商談に入る姿勢を見せる兄弟に、慌てて弁明する。それとも、ただの質問でもお金を取られるのだろうか。いくらくらいもっていたっけと財布の中身に思いを馳せかけたところで、二人に笑われた。
「あはは。わかってるって。冗談だよ」「有栖川ちゃんってば、慌てすぎ」
どうやらからかわれていたらしい。むー。
「それで、訊きたいことって?」
ピッタリと声を合わせる二人。わたしは気を取り直して質問する。
「二人はどこかの派閥に属してたりするんですか?」
「派閥抗争について知ってたの?」
「あの、昨日少し教えてもらいまして」
「どこか入りたい派閥があるの?」
「いえ、そういうわけでは……って! わたしの質問に答えてくださいよ!」
交互に、流れるように訪ねてくる二人のペースにすっかり乗せられていた。こ、これが情報屋の実力?
「おっと、ごめんごめん」「ついいつもの癖で」
「……もう」
「真面目に答えるなら、僕らはどこにも属してないよ」「情報屋は中立でなきゃいけない」
そっか。彼らは情報屋。どちらにも与することなく、あくまでも中立な立場にいるんだ。
「なるほど……。でも、派閥に入ることで得点があるって聞きましたけど、それに興味はないんですか?」
わたしのそんな質問に、情報屋は爽やかな笑顔で答えた。
「僕らは何でも知ってる情報屋さん。知ってる? 情報は最強の武器なんだぜ」「ちょいとおど……お願いしてやれば、大抵の望みは叶うんだ。だから、得点なんて些末なものに興味はないね」
「…………」
この二人には弱味を握られないようにしよう。そう決意を新たにしたところで、休み時間の終了を知らせるチャイムが響いた。わたしは二人に別れとお礼を告げて、自分の教室に戻る。
よし。学校が終わったら、涼ちゃんの部屋までお見舞いに行ってみよう。
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