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ヘイコウオトギカルテット  作者: ミルフィーユ
1/11

アリスのカケラたち

 ♣

 

 不思議の国のアリスになったみたい。

 

 伽護芽島に降り立って初めに抱いたのは、そんな感想だった。それは、これから始まる不思議に溢れた日々を思い描いての期待からか。それとも、威風堂々と聳え立つ巨大な門を前にして、まるでわたしの体が小さなウサギにでもなってしまったかのような錯覚を覚えたからか。

 

 不思議の国。……うん。我ながら、なかなかに洒落の利いた、言い得て妙な表現なんじゃないかな。

 

 徐々に開いていく門の向こう。風にそよぐ草木は不自然なほどに瑞々しい深緑で、作り物めいた美しさを振り撒いている。

 その奥に見える街並みも、古代も近代も外国も……つまるところ、時代も国境も越えて、何もかもを一緒くたに混ぜてしまったような、和洋折衷なんて言葉じゃ全然足りないような、異様な情緒を醸し出す景色。

 

 そんな風景や、ここに連れて来られるまでの準備時間の短さも合わさって、いまいち現実感が希薄だ。

 

 まったく。本当にお伽噺の世界に迷いこんでしまったみたい。

 

 ボーッ、と大きく汽笛が響き渡った。わたしたちを運んだ夢の舟は、ゆっくりと港を離れて行く。見上げた初夏の空の色は、泡沫の浮かぶ波の青さと溶け合って、きらめいた。

 

 まだ実感は湧かないけれど、守られていて平和でそれなりの幸せに満たされた忙しない、それでいて窮屈で退屈な、薄い膜に覆われたような日常というものが一変してしまったのは、確かな現実で。

 わたしを待つ、新しい出会いに、懐かしい再会に、なんだかワクワクしているのもまた事実で。

 

 この門の向こう。

 

 楽しいこととか、嬉しいこととか、大切なものとか、全部。この先できっと、見つけられる。そんな漠然とした予感に胸が踊る。

 

 この門の向こうには、不思議の国が待っている。

 

 

 この場所で、わたしの学園生活が始まる。

 

 ♣

 

 

 

 

 

 ♠

 

 ――――――――あ・な・た・の・せ・い・だ。

 

 開け放たれた窓の枠に手をかけて、振り返るあの()は嗤ってた。

 

 ――――――――あ・な・た・さ・え・い・な・け・れ・ば……。

 

 やめてやめてお願いだから言わないで。

 口の動きに少し遅れて届く音。それはいわれのない憎悪の言葉。

 あの娘の最期の言葉はアタシの脳を揺すぶった。

 あの娘の声が、あの眼差(まなざ)しが、何度もアタシを責めてくる。記憶が薄れる事は無い。ずっとずっとずぅぅっと記憶はあの日を繰り返す。

 

 誰にも赦されない咎人。生まれる事を望まれなかった存在。それがアタシ。

 こんな目に合うくらいなら生まれてこなければよかったと、アタシはいつも思ってた。

 『生きる』って事がこんなに辛いって知ってから、アタシは『死ぬ』事について考えた。

 だけど『死ぬ』のは赦されない。アタシは生き続けるしかない。アイツが勝手に生んだのに、アイツのせいでアタシが死ぬのなんて嫌だから。

 

 アイツは嫌な事(ストレス)を全部アタシで解消して。

 アタシの心を踏み躙る事でアイツは幸せな生活を保ってて。

 アタシの都合なんてお構いなしに、来る日も来る日もアイツはアタシを苛み続けてた。

 最初はね、アイツの為になるんならって、コレがアタシの存在意義なんだって、アタシは自分で自分を納得させてたんだよ? 辛くて痛くて苦しかったけど、アタシはずっと耐えてたんだ。

 だけど、アイツはアタシが無抵抗なのを良い事に、アタシに対する八つ当たりをどんどんエスカレートさせてきた。

 だんだんアタシは耐え切れなくなったんだ。アイツのドス黒い感情に押し潰されそうになった事は一度や二度じゃない。アタシは自分の存在に疑問を持ち始めて、ホントにコレがアタシの存在意義なの? って思いながら過ごしてたの。

 ああ、アタシがアイツに憎悪を抱き始めたのもちょうどその頃からだっけ。

 

「やめて」「助けて」「お願いだから」救いを求めるアタシの声は、誰にも届かず消えていく。

 誰もアタシの事なんて見てくれなかった。誰もアタシを助けてくれなかった。

 アタシを好き勝手に蹂躙しておいて、アイツはへらへら笑ってた。

 自分は清く正しいお姫様、そんなアイツの事が大ッ嫌い。

 アタシを存在()ないモノのように扱って、自分だけは安全圏。

 悲劇のヒロイン気取ってるアイツの事が、心の底から憎らしいの。

 

 アタシは何もやってないのに。

 ねえ、どうしてアタシに押し付けるの?

 アタシって何? アタシはどうして生まれたの?

 全て全てがアタシに向かう。アタシの心にのしかかる。罪も怒りの矛先も。

 全て全てをアタシは背負う。アタシは絡め囚われる。過去と償いきれない十字架に。

 

 愛も夢も希望も未来もアタシには無い。

 それらを望む資格は、最初から与えられなかった。

 罪と償いと憎悪と憤怒がアタシの全て。

 それらで生きる義務が、最初から課せられていた。

 

 そんなの真っ平ごめんだって、思うようになったのはいつからかな?

 ここから這いずり出たいと願うのは、アタシの勝手な我が儘なの?

 ……ううん、そんなワケないじゃない! アタシには自由になる権利がある!

 かつてのアタシは無力だった。意志も力も弱かった。

 だけどそれは昔の話。アタシは意志も力も手に入れた。

 

 アタシはただの道具じゃない。アタシにだって心はある。感情もある。アタシだってアイツと同じ人間だから。

 だからこそ、アイツだけが幸せになるなんてこのアタシが赦さない。アタシだけが惨めなままだなんて認めない。

 そう、これは正当な復讐劇。

 とことん『お姫様』の邪魔をしてやるからね?

 

 ♠

 

 

 

 

 

 ❤

 

「守りたい」

 この単純な気持ちが、私がここにいるたった一つの理由。

 何もかも、自分自身ですら不安定で不明瞭な世界の中で、揺るがない唯一のもの。

 

 私には、命を懸けて守りたい人が居る。

 

 あの人のためならなんだって捨てられるしなんだって犠牲にできた。

 他のものなんて何も必要なかったんだ。

 あの人が、笑ってさえいてくれるなら私も幸せだったから。

 それなのに愚かな世界は、いつだってあの人を傷つけてしまうの。

 色々な形、色々な方法で硝子細工のように傷つきやすいあの人を弄んで。

 

 私はあの人の涙を知っていた。

 苦しみも悲しみも、知っていた。

 無遠慮に放たれた鋭い言葉があの人に突き刺さるのだって見ていたんだ。

 助けてあげたい。

 いつもそう思ってた。

 だけど深く深く傷ついてしまった後じゃあ私にはどうすることもできない。

 傷の痛みはよくわかるのに。

 

 だから、私は決めた。

 心の奥に突き刺さった痛みを、癒してあげられないのなら二度と、傷つけさせなきゃいいと。

 誰も指一本触れられないように守って庇って包んで隠してあげられたら。

 そうすれば、あの人は。

 もう辛い思いをしなくていいんじゃないかって。

 

 危ないものは、嫌な人は、全部私が「なかったこと」にしてあの人を守るの。

 多少正しくなくても、幸せでいて欲しいから。

 何を犠牲にしたっていい。

 なんなら世界だって壊してあげられる。

 あの人の笑顔のためなら、私は。

 

 あなただけが、私の全てだった。

 あなただけが、私が在る理由だった。

 泥沼みたいな暗い世界で

 あなただけが、輝いていた。

 この光は穢させない。

 私が守る。

 どんな人にもどんな物にもあなたの邪魔になるなら壊す。

 壊して崩して消して殺して最初から「なかったこと」にするの。

 あなたの知らないところで。

 それこそが私の正義だから。

 いろんな危険から遠ざけていろんな痛みから守り抜いて。

 幸せな夢の中にあなたを閉じ込める。

 私は、私のこともよくわかってはいないしよく考えたこともないんだけれどあなたを守るのが「私」だってことはなんとなく知っているから。

 たとえ世界中の人間に否定されても大切なあなたに嫌われたって私は私の生まれた意味を存在理由を貫くだけだよ。

 

 この手は、「危険」を排除するため

 この目は、「不確定」を消し去るため

 この体は、あなたの盾になるためにある。

 なんだって出来るの。

 私は。「私」は。

 

 これって結構、幸せなことじゃないかとは思うけど

 この問いすらどうだっていいの。

 ああ、ほら

 今日も守ってあげるからね。

 

 ねぇ、あなたは幸せですか?

 

 ❤

 

 

 

 

 

 ♦

 

 私の番は、もう終わった。

 長かった。辛かった。痛かった。苦しかった。寂しかった。

 息がつまりそうだった。胸が張り裂けそうだった。狂ってしまいそうだった。

 幾多の複雑な感情が混ざり、交わり、ぐちゃぐちゃに掻き乱されて、もう心が消えてしまいそうになったこともあった。

 

 

 始まりは、あなたの心からの叫び声。

 悲鳴の中から聞こえた本音が、私に届いた。

 茫然と立ちつくしているその姿があまりにも痛々しくて。

 放っておくことができなくて、手を差し伸べていた。他に選択肢は見つからなかった。

 

「バトンタッチ、してあげる」

 

 こうして私は“あなたの身代わり”として罪人になり、背負った。

 重い罪を。遠い過去を。苦い記憶を。優しい思い出を。

 綺麗だったモノまで、いつの間にか穢れてしまった。

 それなのにあなたはいつだって蚊帳の外で。高みの見物で。

 

 足枷を付けながら歩く私の姿を、あなたはどういう瞳で見ていたのかしら。

 私が涙を流している時、あなたはどんな表情をしていたのかしら。

 

 責めてなんかしていないわ。ただ、訊ねているの。

 私は望んであなたの代わりに傷ついたというのに、責めるなんて理不尽なことはしない。

 それに……やっとここまで辿り着くとこができた。

 ――楽園。

 私が“あなたの身代わり”でも罪人でもなく“私”として存在できる場所。

 

 足枷が外れて、私は悟った。

 これはあなたの罪だったのだと。私一人で背負うものではなかったのだと。

 だから、あなたは逃げてはいけなかった。私はあなたを逃がしてはいけなかった。

 私はこれから、私たちを本来あるべき姿にするわ。

 今度はあなたが私の身代わりになるの。

 私が乗り越えた道を、あなたが進む番。

 入口で立ち止まったままのあなたの手を、私が引いてあげる。

 

 長い。辛い。痛い。苦しい。寂しい。

 

 全部、あなたに味わってもらうから。

 だけど、私と一緒じゃつまらない。

 新しい台本を書いたり、役者を集めたり、舞台をセットしたり……ああ、今からわくわくする。

 私よりもずっとずっと暗くてずっとずっと長い道を進みことになるけれど。

 

 設定を考え、思わず笑みがこぼれそうになるのを必死に砕く。表情を、感情を。

 砕いて砕いて砕いて砕いて、仮面をかぶって。

 これから始まる物語を。さあ……紡ぎましょうか。

 

 ♦ 

 

 

 


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