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第三話~二度目の私 前編~

長いので前後に分けます。


 二度目の私は正妃だった。




と言っても誰からも愛される王妃ではなく、どちらかと言うとかの妲己のように誰からも嫌われる妃だ。いや、夫である王からも嫌われていたのだから妲己よりも嫌われ度は高かったかもしない。少なくとも妲己は皇帝には愛されていたのだから、夫からも害虫の如く嫌われていた私よりマシだ。



 で、私が夫である王から嫌われていた原因はというと私の実家のせいだ。



私の実家は貴族随一の権力を誇り、王宮にも多大な影響力を与える公爵家。私はその家の長女だった。

この公爵が実に悪いというか、腐れ外道と言うのも生温い程の最低最悪の人間だった。我が父ながら外見と無駄に働く頭脳以外本当に庇いようがない程の最低野郎だ。政敵を冤罪で一家郎党処刑したり、気に入った美女を権力で無理矢理物にしたり、秘密裏に麻薬を売り捌いたりetcetc・・・・・・。

そんな下種の中の下種、悪徳非道な外道こそ我が父であり現貴族筆頭たる公爵閣下である。

私の母であり父の妻である公爵夫人も負けず劣らず下種だったし、兄や弟や妹もアレな人間だった。蛙の子は蛙と言うが、外道の子は外道である。


 異常なあの家でまともな感性を持って生まれてしまった不運な子供が私である。

そんな私は異分子として扱われ、酷い環境で育てられた。衣食住は保証されているとはいえ、これなら生まれが村八分&ネグレクトの一回目の方がマシだった。少なくとも隠れていれば無事な日もあったし、国王様に拾われてからは恵まれた環境にあった。いや、マジで。


 公爵家にいる間、私に安息が訪れたことは一度もない。まず只管自分の能力を鍛えることを強制させられた。寝る間も碌に与えられず礼儀作法から勉学に至るまで強制的に習い、上手く出来ないときは容赦なく体罰が与えられた。殴る蹴るはもちろんのこと、時には馬用の鞭で打たれることもあった。馬用の鞭って本当に痛いんだな、これが。服の上からだからまだマシかもしれないけど、酷い時は背中の皮が捲れて本当に痛かった。服で擦れて治るのも遅いし、本当に最悪だ。そこでも悪知恵が働くと言うか、どれもこれも見えない範囲だから誰も気づかず、私は幼少期を傷だらけの体で過ごした。

 与えられた自室などはっきり言えば牢獄みたいな物だ。兄妹には豪華絢爛な広い自室が与えられていたが、私の自室は鉄格子を嵌められた窓と石造りの壁と鉄の扉に囲まれた必要最低限の家具と夥しい本が置かれた狭い部屋だった。鍵も父が持っている外から掛ける物しかなく、父の許可がなければ部屋から出ることすら出来なかった。

 服は一応外出用の綺麗なドレスが2,3枚と家用の兄の古着や妹が気に入らなかった服のお下がりなどが与えられていた。それは私的にどうでもいい。むしろドレスなんて面倒な物は欲しくなかった。

唯一まともに与えられていたのは食事と入浴だが、これは私が栄養不足で倒れたり不潔な状態になるのが家族にとって都合悪いからに他ならない。その証拠に私の食事は明らかに手抜きだった。

 そんな私に同情する使用人もいたが、私を庇えば彼らが危険な目にあってしまう。だから私はあえて彼らと関わろうとしなかったし、関わらせなかった。一度私を助けようとした使用人がいたが、その使用人は次の日に誰にも何も告げずにいなくなった。どうなったかなど言うまでもないだろう。


 必要最低限の保障しかない劣悪な環境の中で苦痛と苦労を重ねて十数年、私は奇跡的に15歳の社交界デビューまで生きることに成功した。

あの最悪な家庭環境を思えば本当に奇跡だと思う。

社交界デビューは私にとって出会いの場などではなく、家族公認で外出できる貴重な機会だ。しかもいつもなら目敏い父や母、あら粗探しに忙しい兄妹も自分のことに手いっぱいでガードが緩い。この時の私は何としても公爵家から逃げ出すつもりでいた。それこそ、そのまま身一つで家出する覚悟すらあった。


 しかし、私の考えは我が最低最悪の父の策略で全て台無しになった。

本当にどこまで最低最悪なんだろう。せめて一週間、いや後三日遅ければ、私は家で計画を実行していたというのに・・・・・・。


マジとんだAKYO(あえて空気読まない男)である。


 ある日、私は父の書斎に呼び出された。

また無茶な勉強をさせられるのか、言い掛かり極まりない理不尽な叱咤を受けるのかと、鬱々とした気分で書斎に向かった。書斎で偉そうにふんぞり返る父に殴り倒したいと言う欲求を抑えるのにも慣れてしまった。そんな気があるなら、最初に鞭で打たれた時に父親自慢のステッキでその頭をフルスイングしている。

私はうんざりとした表情を長年の経験で培った鉄仮面で持って抑え、淡々と用件を聞いた。くだらない事か面倒事かどっちにしても良いことではないとそう思っていた。実際に今までの中で一番の面倒事であり無茶な命令だった。もし私がこのことを知っていたら、形振り構わず逃亡していただろう。そんな一寸先の未来など知らない私の耳に、父の最低最悪にして驚くべき命令が飛び込んできた。




その命令とは王妃になることだった。




なんて無理ゲーと思った私は悪くない。


いや、だって何を隠そう誰よりも我が公爵家を嫌い憎み疎んでいたのが王その人なのだ。その理由については色々あるのだが、そのどれもが嫌われても憎まれても仕方ないと思える物ばかりで・・・・・・うん、察してほしい。

とにかく長年の王家と公爵家の確執や父親個人による怨恨で王様は公爵家を本当に切実に嫌っている。そんな王様の側室ならまだしも、王妃とか無理だ。うん、無理。大体そんな重要かつ面倒な役目は私ではなく妹に任せるべきだ。幸い、妹は権力が何よりも大好きで男を誑すスキルも素晴らしいのだから私以上に適役に違いない。そう思った私は父に理論的かつ冷静に意見した。しかし父は全く聞く耳を持たなかった。いつもなら簡単に引き下がる私も流石にしつこく食い下がったのだが、そのまま書斎を追いだされた。私はどうしようかと思ったものの、王の公爵家嫌いの度合いの深さから見て多分無理だろうと楽観視していた。




しかし流石と言うか何と言うか、権力によるごり押しでめでたく王妃になりました。




うん、見事だった。

私としては失敗して欲しかったけどね。



詳しい話は知らないが、どうせ色々姑息な手を使ったのだろう。何故なら父の右腕である同じく悪名高い伯爵が頻繁に出入りしていた。この二人の狡猾さたるや100歳以上の老獪にも劣らないに違いないと私は密かに思っている。こんな二人を相手にしなければいけない王家に合掌。


ついでに16歳にして社交界デビュー直後に嫁ぎ先と言う名の鳥籠が決まった私自身にも合掌。


 ちなみに王も系統は違うけど一度目の魔王レベルの美形だ。

眩い金髪に透き通った紺碧の瞳、雪のように白い肌を持つ端正な美貌、そして完璧なバランスの長身。外見だけでなく、政治手腕や剣術の方も素晴らしい王は姫君達の憧れの的だ。23歳の若さにしてその完成された容姿や能力から、自国の象徴である国花に因んで『白薔薇の君』と呼ばれているらしい。


どうでもいい情報ですね、わかります。


そんな完璧な美貌の王が私に向ける視線は絶対零度すら敵わないほど凍てついていた。美形の冷たい目線って恐いね。恐い顔のヤクザに睨まれるより迫力があった。気持ちはわかるが、怨むなら私の家族と自分の無力を怨んでほしい。


 一応結婚式前日に2人だけで話す機会があったが、王は一方的にお前を愛することは未来永劫ない的な発言をした後、さっさと部屋を出ていってしまった。


そんなことは当たり前だろうと思った私は悪くない。


こんな最悪の縁で結ばれた政略結婚に愛を望む方が可笑しいと思っていたからこそ、私はきちんと話をしておきたかった。出来れば色々打ち合わせをしたかったのだが、こうなっては仕方ないと諦め、憂鬱な気持ちで結婚式まで過ごした。


 後日の国を挙げての結婚式は今までにない豪華絢爛なものであったと同時に、夫婦間の空気は過去最高記録を樹立する勢いで乾いて白けたものだった。誓いの言葉なんてお互いに棒読み過ぎて笑えるレベルだ。国民からの歓声も過去最低レベルを更新したに違いない。むしろ王に対する同情の声と言う名の私(というか公爵家)の陰口の声の方が大きかった気がする。

唯一心から笑っていたのは妹を除く我が公爵家と公爵家に与する貴族達か実業家達のみだ。妹の関してはどうやら王を狙っていたらしい。最高権力者で国一番のイケメンとくれば妹が狙うのも仕方ない。式の最中、ずっと私を憎々しげに睨んでいた。代われるものなら代わってほしいと切実に思った。そして肝心の王はと言うと、式の間中ついに最後まで私と目を合わせることはなかった。

 こんな調子では初夜なんて無理だろうと思っていた私だったが、意外なことに王は初夜に寝所へ渡って来た。思わずギョッとした私だったが、王は私の様子に構う様子もなく、私の手を無理矢理引いて寝台に押し倒した。きっと一度目の私のように酷く抱かれるに違いないと思っていたが、王が私を抱く手付きは意外なほどに優しいものだった。ただ、一晩中相手をさせられた点は大変よろしくなかった。


 さて、話は変わるが王妃となった私が住んでいるのは王の寝所に隣接している特別な部屋である。

特別という言葉に何かしら惹かれることはあるかもしれない。確かに部屋の家具一つに至るまで最高級品が設置され、室内は常に侍女たちによって最高の環境に整えられている。実家の自室や実家での暮らしとは雲泥の差と言うのもおこがましい程に恵まれていると言っていいだろう。


ただ理解してほしい、ここは後宮なのだ。


現在、後宮には正妃である私と九人の側室が暮らしている。側室の方達は全員この国の由緒正しき貴族の娘であり、それぞれ違う系統の美貌や高い教養を持っている。皆が皆、必死で己を磨きながら趣向を凝らし、切磋琢磨で王の寵愛を得ようとしているのだ。



そんな後宮でポッと出の誰かさんに正妃の座を奪われたとしたら、一体どういう目で見られるかなんてことは言うまでもないだろう。


ましてや私はかの悪名高き嫌われ者の公爵家長女なのだ。



まぁ、普通に考えてそれはそれは陰湿な歓迎を受けますよねーって感じである。



 そんなわけで私は毎日他の側室達からの嫌がらせを受けることになった。幸いと言うか劣悪な環境で生まれ育った私にとって、温室育ちのお嬢様の嫌がらせは大したダメージを受ける物ではなかった。獣の死骸は庭に埋めて肥料に出来るし、虫は毒虫でも平気で対処できる。衣装や装飾品の紛失も予備を幾つか備えていれば何ら問題はない。一番心配だった暗殺についてだが、どうやら暗殺者を差し向けるほど骨のある令嬢はいなかったらしい。一度毒を盛られたことはあるが、毒の耐性をつける為の特訓と称した毒入りの料理を食べさせられ続けた私には無意味な行為だ。嫌がらせをしても全く堪える様子のない私に対するお嬢様方の視線は日を追うごとに恐れを含んだものに変わっていった。いやはや、美人って恐がってても美人だね。むしろ余計な事をせず黙っていてくれた方がよっぽど目の保養だった。大体、ちょっと陰険な側室の方々より、毒のせいで痙攣しながら倒れ伏した私を無視して食事続けた実家の家族達の方がよっぽど恐ろしい。ウチの実家、マジ魔窟。


 そんな感じで側室達の嫌がらせに関して特に問題はない。しかし、たった一つだけ私にはどうしようもない悩みがあった。本当に誰にも相談できないし、自分自身でもどうにも出来ない悩み。



そう、王と言う名の悩みが。



てっきり初夜を済ませた後は公式の場以外で会うことはないだとうと思っていたのだが、何故か頻繁にお渡りの申し付けがあった。最初は何かの間違いだと思ったのだが、申し付けのある日は必ず私の寝所を訪れた。もちろん、側室の方達の方にも通っているようなのだが、それでも私へのお渡りが多いのは周知の事実だった。しかも渡った次の日は私が寝台から起き上がれないことも同じく周知の事実だった。



うん、泣きたい。



きっとそこらへんの事情も側室達の敵意を刺激する一因だったと思う。本来なら寵愛を受けて喜ぶべきなのだろうが、諸々の事情がある私としては一刻も早く寵姫を作ってほしかった。周囲の目が鬱陶しいし、我が妹を含む王に懸想する人達の嫉妬の目線が痛いし、おまけで私の下半身が限界だ。


 一つ良かったことと言えば、お渡りが頻繁にあったおかげで王妃となって一年で身籠ったことだ。

このことに関しては心底感謝している。私の実家も大喜びで、私は父に生まれて初めて笑顔で褒められた。おかげで実家の私への規制がかなり緩い物になった。ただ身籠ってからは王の訪問は最初のお褒めの言葉を頂いた時以降、ぱったりと途絶えるようになった。一応第一王位継承者を身籠ったんだから無理も出来ないし、仕方ないことだろう。むしろ日々快適な安眠を貪れるようになって私としては嬉しい。

 まぁ第一、安全の為に王族専用の別宅に隔離された私にはあまり関係ない。別宅は王都から然程離れてはいないけど、自然が豊かで軍も近くに常駐している所にあった。少数の信頼できる侍女と医師をつれての束の間の日々はただ只管に心穏やかだ。




今思えば、二度目の私にとってあの時が最後の安息の時間だった。




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