第一話~日常~
ああ、次こそは…… 。
ピピピピピッというありがちな時計のアラーム音で目を覚ます。
カーテンから洩れる太陽の光に照らされ、薄暗い視界で見回すのは今では見慣れた自分の部屋だ。静寂に満ちたこの部屋とは裏腹に、下からは人が忙しなく動く気配と音に溢れている。きっと母さんがいつも通り朝食と弁当作り熱中しているのだろう。昔の私は人の気配が落ち着かなくて困ったものだが、今ではすっかり慣れてしまった。
「さて、起きますか。」
淡いオレンジの掛け布団が掛けられたベッドを手早く直すと、朝食をとる為にゆっくりとリビングに向かった。部屋を出て廊下を歩き、角の狭い階段を下りる。香ばしい匂いが漂ってくることから、既に朝食の準備は終わっているのだろう。
「おはよう。」
「おはよう。今日はちょっと遅いんじゃない?急がなくて大丈夫?」
リビングに入った時、母さんはニュースを真剣に見ていた。
テーブルの上には一人分のサンドウィッチと野菜ジュースとソーセージが用意されており、母さんの席には既に空の食器だけが残っている。いつもなら一緒に食べるのだが、生憎今日は今朝見た夢のせいで起きるのが遅れてしまった。
「大丈夫。いつも早過ぎるくらいだから。」
「そう?ならいいけど。」
そう言って再びニュースに注目する母さんを尻目に意識は目の前の朝食に引き込まれる。サンドウィッチはタマゴサンドとトマトハムサンドの二種類があり、ソーセージはパリッとジューシーに仕上がっている。野菜ジュースは私の好きな人参と林檎が主体のオレンジのものだ。いただきますと手を合わせ、私はまずサンドウィッチを頬張った。
うん、美味い。
私は母さんの料理が好きだ。
いや、正確には
『母さんが自分の為に作ってくれた美味しくて安全な料理が好き』
だ。
ただ自分の食欲を満たす為に楽しみながら食事が出来ることは、私にとって今生きている幸福の内の一つに入る。
耳で軽くニュースを聞き流しながら黙々と朝食を平らげ、食器をキッチンの流しにつけると次は学校に行く為の準備をし始めた。
まず洗面所でヘアバンドで前髪をあげると、歯磨きと洗顔を済ませる。
歯磨きには10分以上かけて丁寧にするようにしているが、洗顔に関しては5分もかからない内に終わらせるのが常だ。洗顔後の手入れも化粧水・乳液・日焼け止めと基本的なものしかしない。髪に関しては無駄に細いくせに寝癖が殆どつかない髪質なので、適当に櫛で梳かす程度で事足りる。
次に着替えなのだが、これも決められた制服を決められた通りに着るだけなのですぐに終わる。
片手でブラシを使い、適当に髪を一つに纏めると愛想のない黒のゴムで括る。鞄は前日に準備しているが、一応見直しておくことにこしたことはない。クローゼットの扉に備え付けられた全身が映る鏡で可笑しな点がないかチェックし、机に置いてある伊達眼鏡をかければ普段の私の出来上がりだ。
ザッと部屋を見回し、不備がないことを確かめてから鞄を持って玄関に向かう。靴箱から自分のローファーを出して履くと爪先を軽く打ちつける。具合を確認すると、最後に忘れ物がないかを頭の中で確かめ、玄関のドアを開けた。
「いってきます。」
母さんのいってらっしゃいの声を背に、爽やかな朝の空気の中を歩き出した。今日のお弁当のおかずは昨日の残りでもある私の大好物の唐揚げに違いない。それだけで一日を幸せに過ごせる私は酷くお手軽な人間だと思う。
しかし、だからどうしたと言うのだ。
お手軽な人間?
くだらない幸せ?
大いに結構。
例え誰に何と言われようと今の私は幸せな人間である。
このあまりにも変化のないありふれた日常がどれほど尊いか知らないからそんなことが言えるのだ。
かつての私はこんな日常だけが欲しかった。
さて、ここで言う『昔』や『かつて』という言葉に私が過去に酷い経験や生まれを持っているのだと思う人もいるだろう。
だが、それは全くの間違いである。
今の私は普通の両親から生まれた一人娘であり、普通に可愛がられ何不自由なく育てられた。もちろん、何かしらの事件に巻き込まれたこともない。
私の言う『昔』や『かつて』とは『私の前世』の話だ。
多分大抵の人間が私の発言に「電波乙」や「マジキチ」等の感想を抱くだろう。私も他人がこんな荒唐無稽な事を言い始めたらまず正気を疑う。もっと言うなら黄色の救急車呼びたくなる。
しかし、事実である。
むしろ事実でなければ、私の人格というか頭がヤバイ。今の私は生まれも育ちも頭も普通である。ついでに言うとマジキチなのは私の前世だ。
うん、私の前世は本当に悲惨だった。
18禁要素も昼ドラ要素もグロ要素も兼ね備えた私の前世は余すことなく文章にすれば成人指定確実だと思う。映像にすればその凄惨さに繊細な人間ならトラウマになること間違いなしだ。人間関係も鬼だった。本当に渡る前世は鬼ばかりだった。
しかも一度の話ではない。
そう、私には3回分の前世の記憶がある。
いや、1回で充分だろうと7歳の私は思った。
何故7歳なのかと言うと、私が3回分の前世の記憶を思い出したのが7歳の誕生日だったからだ。今までで一番いらないバースデープレゼントだったとしか言いようがない。
唯一の救いは思い出したのが深夜だったので両親にばれなかったことだろう。誰だって頭を抱えて唸り声をあげる自分の子など見たくないに違いない。眠っている最中にいきなり頭の中に前世の記憶やら知識が押し寄せてきた時はさすがに驚いた。
当時周囲からボーっとしてるけど肝の据わった子と言う評価をもらっていた私からすれば凄まじい動揺っぷりだった。それだけ凄惨極まりない普通ならトラウマ物の記憶だったということだ。