新しい家 1
それは雪の降りだしそうな寒空の中
窓辺で少年は佇み、空を食い入る様に見つめる
思い出すのはさくら色の季節に出会った天使との物語
その花色は見た目の儚さと異なって力強く鮮やかで
自分のためには咲くことができない
そんな、悲しくも儚い花
その花は、風に乗せられ舞い降りる
そこに偶然はなく、必然が存在する限り
俺、咲坂皐月は小学生のある頃から転校を繰り返していて同じところに長く住むのは珍しかった。
だから高校1年の今、中学生で弟の水無月と、子供ニ人には少し広すぎる一軒家に2年と11ヶ月住んでいるのは奇跡とも言えるかもしれない。
1年以上同じ場所に住むのは、頻繁に引っ越しを繰り返すまで住んでいた元の家を除けば初めてのことだったからだ。
そして、この東北の地に来るまで俺は追われていた。
あの日、あの時、彼女に出会うまでは……。
妖しいものは "力"を持つモノに惹かれ、引かれ合う。 それは、霊、妖怪、見えないもの、視えるもの、"力"を持つもの……形は様々にあれど彼らは"力"を持っていて互いに"力"に惹かれ合う。
"力"はあらゆるものに影響を及ぼし、時に不幸も幸運も引寄せる。
毒でも、薬でもある諸刃の剣だ。
まぁ、その不幸や幸運の元を辿れば、不可視のモノ達の影響がある場合がほとんどなのだけれど。
斯く言う俺も色んなことを引き寄せていて、主に『善くないもの』を引き寄せる質があった。
俺と同じように東北の地へ逃げ、住み着いた少女も、不幸を視ることを悩まされていた。
互いに、互いと出会うまで、二人は見えないものと視えるものに追われ続けており、悪の連鎖という不可視の鎖に囚われていたのだと思う。
その日の俺は何度目か数えるのもうんざりしてしまうほどの引っ越しを繰り返した果てにこの土地に来た。
丁度、中学二年生になるという春休みの時期に、『天使』と、出会った。
……これはそんな時のちょっとしたエピソードである。
◆◇◆◆◆
俺は見るのも飽きた引っ越しのトラックが去るのを見送ると、弟の水無月に午前中の引っ越しの作業を勝手に任せて(世間一般では押し付けると言う)案の定、後ろから抗議が飛んできた。
「どこ行くの!!ちゃんと荷物片付けてよ!!」
「来るとき見かけた公園まで自転車で行ってくるー」
賢い小学生の尤もな叫び声に間延びした声で答えつつ、荷物のことには触れないままに飛び出した。
後ろから水無月が怒った様に叫ぶのを無視しながら、素直に段ボールを整理していりゃよかったと後悔することになるのが20分程後である。
三月下旬のまだ少し肌寒い空気を感じながら、俺は自転車でこの辺りじゃやや広めに当たる運動公園に来た。
例年より早い開花予想が見事に当たり良い具合に満開で咲き乱れる桜を楽しもうと駅前のコンビニに寄りお茶と菓子パンを買ってから花見を少し楽しむことにした。
……のだが。
「くっそおぉぉぉー!!なんでなんだぁ!!」
公園に足を踏み入れて5分も経たない内に、俺は半泣きになりながらジャガイモのデカブツ三兄弟に追いかけられていた。
「知ってるぞ!!お前知ってるぞ!!〇と〇尋の神隠しで見たことあるぞ!!」
──残念だが、かなり違う
やり過ごしたり追われたりをかれこれ2時間弱続けていて、いくら運動が得意でももう限界だった。……主に精神的な面で。
メンタルお豆腐系男子。
つまり突けばあっさり抉れる心の持ち主、咲坂皐月である。
何かに追われるように逃げる俺を、ちらほらと目にはいる花見客が奇異の目で俺を見て親子連れ等は指差しては、そそくさと「見ちゃダメ!」などと何処かに去っていく。
もう一度言うが咲坂皐月はメンタルお豆腐系男子である。
ただ遊びに来ただけなのに…。
…これが自業自得と言うものなのか……。
そんなことを朦朧とした頭で考えていた瞬間だった。
不意に強かった風が一瞬、一層強く吹いて桜吹雪に視界が遮られ、その時なにか違和感を感じて『それ』に気をとられてしまい、その途端に俺は樹の根元で躓いた。
思考も運動も停止した俺に悪い予感が過る。
「ま…っず………」
止まってしまえばもう動かない足。
ぜーぜー息を切らしながら声もでない助けも呼べない喉。
それに声が出せても『こいつら』が見えなきゃ意味がない。
俺はただの気狂いにしか見えないだろう。
振り返りながら、温かなの世界の光が遮られるのを感じた。ここからはもうこいつらの領域だ。
ジャガイモ一号が『グワァ』っと鳴きながら大口をあけてどんどん迫ってくる。
『喰われる』
そう思ったのと、弟の顔が浮かぶのは同時だった。
俺みたいにこんな"力"のない普通な弟。
小学生の癖にしっかりしてる頼れる弟。
でもかなり心配性で泣き虫な可愛い弟。
俺がいなくなったら…水無月はどうすんだ……?
水無月は、俺が居なくなったら一人になる。
だから、こんな所で妖怪なんかに襲われて、神隠しに遭う訳には…
「いかねーんだよ!!」
今の…水無月守るやつは俺だけだろ…っ!!。何より…あいつらからも…。
だから、諦めちゃダメだ。動かなくても動け足!!
俺は紙切れを持った手を突き出す。
本当なら使わずに済ましたいけど……片意地張ってる場合じゃない。
すうっと息を吸い込み言葉を紡ごうとした瞬間に、ごぉっと吹いた風に手の中の紙切れが飛ばされた。
唖然とした……絶体絶命だった。もうお仕舞いだ。恐怖や絶望の混じった表情に、目の前の怪物がニィッと歪むように不気味に笑った。
───あとから考えれば、その日の風は普通じゃ考えられないくらい途中から中途半端に強く吹いていた。まるで、いたずらでもするみたいに───
(……っ水無月…)
来るであろう衝撃にと目をぎゅっと目を瞑ろうとした時だった。ふわりと吹く風と何かが頭上を過る気配がして閉じようとした瞳を開いた。
『グギャァァァ!!』
その時、俺が見たのは呻き声を上げる怪物。……そして、怪物の頭上から降ってくる天使の姿だった。
そう。空から女の子の姿をした天使が降ってきたのだ。
その時の俺はその一瞬だけ、彼女を天使だと信じて已まなかった。
肩より長めの癖のあるやや茶色めの、ふわふわした栗色の髪。
流行りっぽいおしゃれなピンクニットにヒラヒラの白いスカートみたいなショートパンツという『可愛い女の子』と形容するような服装。
日の光に照らされて輝くような女の子が空から降ってきて……いや、正確にはすぐそこの木から飛び降りたんだと思うのだけれど……。
その女の子はジャガイモの怪物を蹴り飛ばした。
一瞬、辺りが静まり返ったかのようだった。
そんな静けさも、1号が目を回してるのを見たジャガイモ2号が気付いてから慌ただしさが戻る。
『ウゲゴォアァァァァッ!!』
ジャガイモ2号が報復と言わんばかりに不気味な叫びを上げながら女の子に迫って行った。
「ちょ…危な……っ!!」
なにもできないでいる俺が叫びかけると、女の子はほんの少しだけ振り向いて軽く微笑みながらそれはそれは小さな声で呟いた。
だ い じ ょ う ぶ
『グォォア…グゴッ!!』
俺とそんなに歳が変わらないようなその女の子は、その容姿に似つかわしくない外国の軍隊が履くようなゴツいブーツでジャガイモ2号に蹴りをお見舞いした。
▼効果は絶大だ!!
唖然とする俺とジャガイモ三兄弟の間に立ちはだかる女の子。
ジャガイモ3号は、一瞬怯んだ後に1号と2号を引き摺りながら逃げ帰っていった。
「……………はぁぁぁぁ…」
俺が安堵の溜め息をつくと、女の子はくるりと振り返った。
日の光に晒らされて透き通る栗色のふわふわした髪が桜を纏って揺れた。
───それは、目にした瞬間に身体中を巡る血液が沸騰してしまったかと錯覚するようで、彼女が振り向いて視線を合わせた瞬間に顔中が 真っ赤になってしまったくらいで……。
そうして、彼女がふわりと自然な微笑みを魅せた瞬間、溶けてしまいそうで、蕩けてしまっていて、さくら色の景色の出来すぎたシチュエーションの元…
俺は彼女に、一目惚れしたんだ───
ほんわかはにかむ様に笑った彼女を見つめて居ると、急に顔が熱くなった。
きっと目に見えて赤くなっているだろう。
それに気付いてか気付かずか、フッと表情が消えて、じぃっと見られた。……睨み付けられてしまったのだと思う。
あんまりジロジロ見すぎた所為だと反省していると、次の瞬間にはパッと何か思い付いたように表情を変えて、降りてきた木に登り始めた。
表情がクルクル変わったり突然木に登ったりと、忙しそうな彼女の行動に驚いているとザザッと地面を軽く滑る着地音が聞こえ、そちらを見ると彼女は背中に可愛らしい水玉のリュックサックと赤色のトートバッグ手にしていた。
そして、中からレジャーシートを出して敷き、靴を脱いでそのシートの上に色々な物を広げていく。
重箱と保冷温ポットをリュックから出し(これには正直吃驚した)カップやお皿や箸などを赤白の水玉トレイ二つの上に手際よく並べている。
その様子を茫然と腰が抜けた状態で見ていると、その視線に気付いたのか彼女がこちらに靴下のまま、汚れるのも構わずにずんずん向かってくる。
なんだろう、と思ったがある考えが浮かんだ俺は一瞬怖くなって後ずさった。
ジャガイモ妖怪を蹴り飛ばしたからといって俺を助けてくれたとは限らないと言うことを。
それに普通は、普通の人ならあのジャガイモ妖怪は見えない。
この子もまた異形で、俺を喰おうとしてんじゃ…そんなことを考えて居る間に至近距離まで来た女の子がしゃがみこんで口を開いた。
「もうお昼の時間だよ?」
俺の思考は謎の沈黙を得た。
………うん?
右手に巻いた時計を見ると、確かにあと5分程で12時だった。
いや、時間はわかった。なにが言いたいんだこの子。
「よし」と言って(いや、全然よしじゃない)彼女は立ち上がり座り込む俺に手を差し出す。思いがけない行動と混乱状態にある俺は差し出された手を取った。
「うぉっ!?」
とんでもなく強い力で引っ張られつんのめり素っ頓狂な声まで出してしまい、図らずも彼女に寄り掛かる形になる。端から見ると抱き締めてる様にも取られかねない体勢だった。
「ご、ごめ…」
慌てて離れようとしたけど手が繋がれたままで体勢を立て直すくらいしか出来ず、彼女に不思議そうかに見詰められてしまった。
「うん?どうしたの?」
キョトンと小首を傾げる仕草をして、何でもなかった様に手を取ったまま、強めの力のままぐいぐいレジャーシートに俺を引っ張っていくから、俺は手を振り払った。
──こんな小柄な女の子のどこに、こんな馬鹿力がある?
油断させて、あちら側に連れていこうとするのは妖の常套手段だ。
この彼女も、人の形をしているだけであの妖怪と同種なのでは……?そう考えると自分の中で色々な納得がいくような気がした。
俺がそう考える一方で彼女は寂しそうに、振り払われた自分の手を見ている。
絆されそうになる気を振り払って俺は告げた。
「…お前は一体何者なんだ」
キッと彼女を睨んで牽制のつもりで構える。
彼女は、んー…と軽く唸りながら困ったような悲しそうな、そんな曖昧な顔をしてから閃いた様に微笑んだ。
「安心してよ!えっと…怪しいかも知んないけどそんな大した者じゃないから」
訝しみながら疑問に思ったことを訊ねる。
「……そこは怪しくないって主張しなくて良いのか…?」
「いや、怪しくないって言っても君は怪しいから訊ねたん…だよね?だったら否定せずに肯定して意表を突こうかなーって」
その方が面白くなりそうでしょ?と彼女は笑う。
ポジティブなのかなんなのか、そして意表を突く事に成功している…。
ぼんやりした彼女に警戒が薄れてきた頃、次に差し出された手以外のものによって俺は再び彼女を警戒する。
「あ、はい。これ君の大事なものじゃないかな?」
それは、さっき風に流された紙切れだった。
「!!……なんで持ってんだ?」
拾ったと言うには風向きも、拾った様な仕草もしていないのにと、俺はその不自然さから彼女から少しを距離を取った。
「んー…短くまとめるの苦手だから、とりあえずお昼食べながら話さない?」
はいっ、と紙切れを押し付けて一人レジャーシートに戻っていく。
「おい……一つだけ教えてくれないか?」
喧嘩腰のまま訪ねる俺に彼女は靴下に付いた草を払いながら、なぁに?とほわほわした空気を崩さずに返してくる。
「……俺を喰う気じゃないんだな?」
一瞬にして、彼女のほわほわした空気にピシリと亀裂が入り瞬く間に崩れた。
「……あの?」
気の抜けた声を出して俺の方を悲しそうな目で見る。
「もしかして、妖怪かなにかだと思われてる……のかな…?」
少し傷付いたような顔で曖昧に笑っていた。目は全く笑ってなかったけど……。