第9話
「二人とも!最っ高だったよー!」
出演者の演奏がすべて終わり、着替えを済ませた俺たちがロビーへ向かうと、三木さんが興奮した笑みを乗せて出迎えてくれた。
「私、二人がステージに立ってるとこ見ただけで涙止まらなくなっちゃった!感動のステージをありがとー!」
「ミキちゃんどんだけ涙もろいん!?」
「だって、こんなに大きなステージで沢山の人に聞いてもらえたんだよ?嬉しくて感動しちゃうじゃない!」
「お礼を言うのはこっちのほうですよ。三木さんが勧めてくださらなかったら、立っていなかったステージだったんです。本当にいい時間が過ごせました。ありがとうございました」
三木さんは目を細め、ふわりと微笑むと言った。
「二人とも、今日は本当に楽しそうな顔して演奏してたよ。私の隣に座ってたお客さんもね、すっごく楽しそうな笑顔になってたの。そんなふうに、聞いた人を笑顔にしちゃうあなたたちの音楽が私は大好き」
彼女は両手を伸ばすと俺たちの背中をぽんとたたき、花を咲かせたような笑顔を見せた。
「素敵な演奏をありがとう!」
俺と鷹野は目を合わせると、彼女の笑顔につられるように、頬を緩ませてお互い笑顔を向け合った。
「あー、何かまた泣けてきたぁ」
「ミキちゃんホンマ涙腺弱ない!?ハンカチやのうてバスタオルがいるんちゃう?」
「そんなの持って来れないわよ!」
横でケラケラと笑う鷹野を、俺はふわりと目を細めて瞳に映した。途端、スマホが小さく震えた。見ると母さんからだった。
「鷹野、うちの親がこれから外で晩ご飯一緒に行こうだって。お前の両親もいま一緒にいるみたい。着替えとか準備済ませたら駐車場に来てだってさ」
「あ、ホンマや。こっちにも連絡来とったわ」
「駐車場って言ったって、ここ第1から第3駐車場まであるけど――」
俺はふと、ガラス張りの外の景色に目を向けた。日も落ちて、暗くなりつつある空。外のライトがぽつぽつと辺りを照らしている。続々と帰路に就くお客さんたち。その中に、偶然映った彼の姿。
「鷹野!悪い、少し待っててくれ!すぐ戻るから!」
俺は思わず駆け出して彼の影を追った。
多分、こっちへ向かって行ったと思うのだが。そう思って、ホールの裏手まで来てみたが、辺りを見回すも彼の姿は見当たらない。どうやら見失ってしまったようだ。仕方がない、戻るか――そう思った時だった。裏口の自動ドアが開き、彼が中から出てきた。
「透……?」
「綾人くん……!」
「……何でお前がここにいるんだよ」
「綾人くんの姿が見えたから追ってきたんだ。一言、伝えたくて」
俺は手のひらをぎゅっと握ると彼を真っ直ぐ見つめて言った。
「全力、出してくれてありがとう!……綾人くん、今日のイベント本当はあまり出たくなかったんだよね?でも、綾人くんはきっと手は抜かないと思ってた。だって、綾人くんはそういう人だから。おかげで俺たちも全力で挑めた。だから、ありがとう」
彼は小さくため息をつくと、壁を背に軽く凭れかかった。
「イベントは、講師の先生に勝手に申し込まれてた。行かざるを得なかったから参加したまでだ。……聞いたよ、お前らの演奏」
俺は小さく息を吸って目を見開いた。
「透、お前腕落ちただろ」
「うぐ……っ」
「ビブラートが浅い。フォルテの踏み込みが甘い。音のキレが弱い。観客の耳は騙せても俺の耳は騙せないぞ」
「し、仕方ないだろ!2年もブランクがあったんだから!」
そう言うと、彼はわずかに口を開け、そして伏し目がちに視線を落として言った。
「でも……、演奏しているお前たちは心底楽しそうだったよ。お前たちは、全身全霊で音を楽しんでた。……楽しむ、なんて感情、俺にとってはもう随分前に落として失くしたものだ」
そう言葉にする彼の瞳はどこか遠い昔を見ているようだった。
「何でか、お前らの演奏を聞いてたら思い出したよ。俺がヴァイオリンを始めたきっかけ。昔、子供向けのテレビ番組でヴァイオリンを弾いてた演奏のお兄さんがいたんだ。俺は、画面の向こうで楽しそうに演奏するその人に魅了されたんだ。この人みたいになりたい、そう思って俺はヴァイオリンを始めた。そんな思い出も、今まですっかり忘れてたよ」
彼は視線をこちらに向けると続けた。
「2年のブランクって言ったな。……ヴァイオリン弾かなくなった理由は、俺か?」
言葉にせずとも、俺の表情がそうだと語っていたのだろう。彼は俺の返答を待たず、視線を落とすと口元をわずかに上げて自嘲気味に呟いた。
「そうか……。2年は、長ぇよな……」
彼は瞳を閉じ、そして、ゆっくり瞼を開いた。凭れていた背中を離すと、彼は体を俺に向けた。
「俺は、ずっと透のことが妬ましかった。お前の才能が羨ましかった。次々と賞を取るお前と、段々と賞が取れなくなった俺。側にいると比較されて、俺はそれがずっと嫌だった。だからあの日、お前が俺に告白してきて同性愛者だと知った時、俺は募っていた色んな感情を全部乗せてお前にぶつけた。……今さら俺が謝ったって、透の2年間が戻ってくるわけじゃない。だから俺のことは許さなくていい。正直、俺は今も同性愛については理解できないし、考えを受け入れることもできない。……でも、これだけは訂正する」
彼はゆっくりと頭をさげた。
「悪かった。お前の音を気持ち悪いって言ったこと。これだけは本心じゃない。訂正させてくれ」
顔を上げた彼の表情は、演奏する前とは違って憑き物が落ちたように毒気が抜けていた。眉をさげて、ほんのりと笑みを乗せて彼は言った。
「透の音は、透き通るような綺麗な音がするよ。今も、昔も」
そうして少しだけ視線を落とすと、眉を寄せてわずかに笑みを含んで言った。
「ほんっと、悔しいくらいにな」
ただ、その瞳に濁りはなかった。どこか諦めにも似た、それでも何かを受け入れているような色だった。
「じゃあな。俺はもう行く」
俺の横を通り過ぎ、去っていく彼の背中。俺はその背中に声を投げた。
「綾人くん!ヴァイオリン、続けるよね!?」
彼は足を止め、肩越しに振り向いた。
「凡人は凡人なりに、もう少し足掻いてやるさ。透もこの先、本格的にヴァイオリンの道に進むなら覚えとけ。楽しいだけでやっていける世界じゃないってことをな。くれぐれも、俺みたいにはなるなよ」
彼はそう言って再び歩みを進めた。道を照らすライトの明かりが彼の背中をなぞっていく。俺はその背中を、姿が見えなくなるまで見つめていた。
「和泉くん」
「わっ」
背後からの声に、俺は咄嗟に振り向いた。
「鷹野……!」
「なかなか戻って来やんから探したで」
「悪い、もう済んだから戻るよ。行こう」
俺は正面玄関へ向かおうと歩き出した。ところが、鷹野はその場から動かず、視線の先は去って行った彼の方向を向いていた。
「さっき話しとったの、神崎さんやんな」
「何だ、聞いてたのか……」
「最後の辺だけな。……あの人、凡人とちゃう思うねんけどな。俺、今日の演奏が今までで一番楽しかったし、自分でも一番音が乗ってた思うねん。せやけど、今日のイベントでお客さんの心かっさらった演奏者は、断トツで神崎さん、あの人やった。悔しいけど、そう思うわ」
彼の演奏後、会場全体が震えた。俺たちは観客の溢れんばかりの歓声と拍手に納得せざるを得なかったのだ。それほどまでに彼の演奏は圧倒的で人の心を鷲掴みにしていった。
「あぁ、そうだな……。綾人くんが自分のことを凡人だと思ってしまうのは、きっとそれほどの実力があっても厳しい世界ってことなんだろう。周りには大勢の実力者がごろごろといる。そんな世界で綾人くんは自分自身と戦い続けてる。折れずに、立ち続けている。こう言ったら、彼にとっては嫌味に聞こえてしまうかもしれないけど、やっぱり俺にとって憧れのヴァイオリニストは綾人くんなんだよ。それは今も昔も、きっとこの先も変わらない。あの不屈の背中には、追いかけたくなる強さがあるから」
そう言って鷹野に視線を向けると、俺は思わずその表情にぎょっとした。鷹野があからさまに不機嫌そうな顔をして不貞腐れていた。
「なに、どうしたんだよ……。悔しかったのは分かるけど、俺たちだって最高の演奏ができただろ?三木さんも良かったって言ってくれたし、俺たちは俺たちの演奏でお客さんを楽しませたじゃないか」
「ちゃうよ、それはええねん。俺も納得しとる。そのことやなくて……」
俺は小首を傾げた。
「……和泉くん、神崎さんのことずっと綾人くんって呼ぶやん」
「そりゃ昔からそう呼んでたんだから、当たり前だろ」
「俺のことも、下の名前で呼んでや」
「は、はぁ!?何張り合ってんだよ。別に呼び名なんて何でもいいだろ。鷹野は鷹野だ。それに、お前だって俺のこと苗字で呼んでるだろ」
俺は踵を返し再び正面玄関へ足を進めようとした。途端、腕を掴まれ、進むことを阻まれてしまった。まったく、たかが名前の呼び方ひとつで何を拗ねているのだこいつは。
「透」
たかが呼び方ひとつ――されど、呼び方ひとつ。
俺の名前を呼ぶその声は、静かで、けれど確かな存在感を増して、俺の胸へと深く、強く響きわたる。広がる熱が頬を覆って俺を急速に昂らせていく。衝動で振り向いた視界には、真剣なまなざしを向ける鷹野の姿が映った。真っ直ぐ俺を見つめる瞳。熱を帯びた視線。降り注ぐライトの明かりが艶めかしく陰影をつくり、鷹野の姿を色濃く浮かび上がらせた。
「透……」
腕を掴んでいた鷹野の手が、するりと手のひらへ滑っていく。一歩、彼が近付くと俺の心臓の音も一音高く跳ね上がった。向き合う体。片方の手もそっと覆われ、握られた両手から彼の温度がじんわりと伝わってくる。
外の風はもうひんやりと冷たさを感じるのに、俺の頬は沸騰しているみたいに熱を放っている。風が木の葉を揺らすと、鷹野が静かな声で言った。
「神崎さんが凄い人やってのは、俺も今日、音を聞いてよう分かっとる。やけど、透があの人の背中ばっか見とんのは、やっぱ良い気がせぇへん」
「鷹野……?」
「透……」
濃くて甘い、溶けるような声色。鷹野の顔がゆっくりと近付く。まつ毛がふわりと揺れ、照明に注がれた細い影が頬に落ちると、彼の瞼はゆるやかに瞳を隠していった。熱をはらんだ吐息交じりの声が、言葉とともにこぼれ落ちる。
「ずっと、俺のことだけ見とって」
優しく重なり合う唇。やがて触れ合った唇がゆっくり離れると、お互いの口元から温かな吐息が漏れた。外気温との差に、余計、熱く感じた。
俺は目を見開いたまま、何がなんだか分からないまま思考を停止していた。俺は夢でも見ているのだろうか。唇の感触、熱、体温。今、何が起こった。
「……あれ?固まっとる。おーい、透くーん……?」
ひらひらと俺の目の前で手を振って見せる鷹野。これは夢ではない。俺は段々と現実味を帯びてきた先ほどの感触に、頬の熱を一気に爆発させた。
「たっ、たか、鷹野っ!いま、おまっ……!」
「え、もしかして嫌やった……?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!嫌とか、そういうことじゃなくて!……だ、だって、いきなりこんな……っ、キ、キスって……!」
「ええやん、だって俺ら付き合うとるんやし」
「…………へ?」
「ん……?」
俺たちの間にしばしの沈黙が流れた。
「待て待て待て!いつそんな話した!?俺、何も聞いてないぞ!」
「えぇ!?何で?俺ら夏から付き合っとったんとちゃうん!?」
「夏!?そんな前から!?ちょ、ちょっと待ってくれ……もう何がなんだか……」
「えっと、ほら、花火大会の日やって!透の誕生日!」
俺の誕生日、つまり8月11日。鷹野の中ではどうやらその日から俺と付き合い始めたことになっていたらしい。俺はあの日、鷹野に告白などしていない。だとすると鷹野から告白を受けたとしか考えられない。けれど、思い返してもそんな言葉をもらった記憶がない。全く思い当たる節がない。
「せやから、俺、透に曲贈ったやろ!?そしたら嬉しい言うてくれたやんか!」
「え?あぁ、そうだな……」
「ほら。つまりOKっちゅうことやん」
――ん?
「え……、ちょっと待て。つまり何だ、お前は俺に曲を贈った。それを俺が嬉しいと返した。だから、両想いです。付き合うことになりました、と……?」
鷹野は自信満々に首を縦に振った。俺はそんな鷹野の姿に白目をむいた。確かにあの日、鷹野が贈ってくれた曲は強い思いが込められていて、熱くて胸に訴えかけてくるものを感じた。けれど、そうだとしても――。
「分かるわけないだろうがー!言葉で伝えろ言葉で!独特過ぎるだろお前の告白!」
「えぇ!?せやかて、昔じいちゃんが言うとったんやもん!好きな子に告白する時は、その気持ちを曲にして三味線で贈るんやって!それが三味線弾くもんの告白の仕方やって!」
――おじいさん……!!
夜空に鷹野のおじいさんの照れ笑いが浮かんで見えた気がした。俺は思わず脱力してその場にしゃがみ込んだ。思い返すとあの日以降、鷹野からのスキンシップが妙に増えたと思ってはいた。成程そういうことだったのか。散々悩み続けていたあの日もこの日も、結局一人で勝手に空回っていただけだったのだ。
途端に恥ずかしくなって俺は両手で顔を隠した。
「何なんだよもう……」
鷹野が様子を伺うように、そっとしゃがんで声をかける。
「ほんで?俺ら、付き合うとるってことでいいんやんな?」
俺は顔を覆っていた手をそろりとずらし、鷹野に視線を向けた。彼は柔らかい笑みを頬に乗せて返答を待っている。
「鷹野は……本当に、それでいいのか?俺、男なんだぞ……」
鷹野は眉を下げ、ふわりと笑みをこぼすと俺の右手をそっと手に取った。
「男や女やのうて、俺が好きになったんは透なんや。ヴァイオリンがとことん大好きで、真面目で素直やないとこもあるけど、本当にしんどいとき寄り添って側におってくれる、そんな優しくてカッコええヴァイオリニスト。今、俺の目の前におる透を俺は好きになったんや」
瞳の奥から、じんわりと込み上げる熱いものを感じた。
――和泉くんは一輝くんのことを好きになった。『好き』っていう、素敵な感情を抱いた。ただ、それだけのことだよ。
三木さんの言葉が蘇る。もう恋なんてしたくない、してはいけないと思っていた。男を好きになるなんて普通じゃない。そんな恋が叶うなんて、砂粒のようにわずか一握りの確率なのだから。そう思って諦めていた。周りの目や非難が怖くて言い出せなかった。俺のせいで迷惑をかけてしまうんじゃないか、居づらくさせてしまうんじゃないか、そんなことを考えて足が竦んでいた。
ずっと、目の前に立ちはだかる壁を俺は叩き割る勇気がなかった。けれど、鷹野はそんな壁をいとも簡単に壊してしまった。壊した壁の向こうに立っていた俺を、俺という一人の人間を真っ直ぐ見てくれた。手を取って太陽のように笑ってくれた。
好きになっていい。叶うことを望んでいい。今、この手を強く握り返していい。
俺も、彼の隣にいたい――。
熱く滲んでいく視界。繋がれた温かな手を、俺はぎゅっと強く握り返した。溢れる想いが言葉になってこぼれていく。
「好き……。俺も、鷹野のことが、好き……!」
鷹野の指が俺の目元を優しく拭う。頬を覆う鷹野の大きな手のひら。鷹野の微笑みが俺の心を満たしていく。混じり合う視線。近づく唇。甘い吐息がほんのりと漏れる。
その時だ。俺のスマホから着信音が鳴り出した。まるで二人だけの空間から一気に元の世界に戻ってきたようだった。
「あ……母さんだ」
「ええよ、出ぇや」
どうやら、あまりにも遅いから心配になってかけてきたらしい。少し長居してしまったようだ。すぐに行くと伝え、俺は通話を切った。
「えっと、じゃあ……行くか」
先ほどの甘い空気から一変。改めて、冷静になった頭で鷹野と両想いだと理解したら、今度は何だか緊張してきてしまった。今までどうやって接していたっけ。目線とか、歩くペースとか、声のトーンとか。今まで通りでいいはずなのに、変にぎこちなくなってしまう。
すると鷹野の手が俺の頭を撫でた。
「へ……?」
見上げると、彼はニッと歯を見せ、途端わしゃわしゃと俺の頭を掻きまわした。
「うわっ!ちょ、おまっ何すんだ!」
鷹野は笑いながら駆け出し、振り向くと笑顔をめいっぱい浮かべて言った。
「そーそー!そういう反応やで!」
目の前に、明るく照らす太陽がいる。どんなに暗い夜道でも、どんなに厚い雲の下でも、彼はどんな場所でさえ、きっとこの先も、さんさんと光を照らし出してしまうだろう。
俺は頬を緩めると、軽くなった足で地面を蹴り、太陽のもとへと駆け出した。
***
地元に戻って来たのは5年ぶりだ。街の真ん中を流れる河原、土手に咲く菜の花、小高い山と空。5年が経っても、この景色はずっと変わらずあの頃のままだ。控室で、俺はスマホに納めた画像を眺めながら目を細めた。
「透、何見とるん?」
「あぁ、昨日撮った写真だよ。この河原から眺める景色、昔から好きでさ。久しぶりに地元に戻って来たし、今日のイベントのことも併せて綾人くんにお裾分けで送ったんだ」
「神崎さん、いま海外におるんやっけ?」
「そう、今はニューヨークのオーケストラ団員として活動してるよ。留学中は色んな場所に案内してもらえて楽しかったなぁ」
「あん時は気が気やなかったわ。俺は日本に置いてけぼりやし、透は神崎さんとこおるしで、師匠にも集中せぇって何回どやされたか」
俺はクスクスと笑って返した。
「一輝が案外嫉妬深いって知れて、俺は発見があってよかったけどな。それに、お互いの技術向上にも繋がっただろ?」
「せやけど、やっぱ俺は恋人が側におるほうが力湧くわ。やから、また一緒に活動できる今のほうが俺は幸せやわぁ」
そう言って鷹野が横から抱き付いてきた。
「あっ、こら!本番前に何してんだお前は!衣装とセットが崩れるだろうが!」
「ええやん、本番前の充電やって」
鷹野の顔が徐々に近づく。そんな彼を突っぱねきれない俺も俺だ。いつも、こいつのペースに持っていかれる自分も相変わらずだなと思ってしまう。それが嫌と思っていないことも合わせて。
「すみません、そろそろ移動お願いします」
ノック音とともにスタッフの方が顔を出し、俺は咄嗟に鷹野の顔に手を当てた。
「あぁ!はい!今行きます!」
しょんぼりと肩を落とす鷹野が口を尖らせて言う。
「もうちょっとやったのに……」
「ほら、もう行くぞ。今日は久々の地元なんだし、俺たちのこと、もっと知ってもらういい機会だ」
「せやな、ほな行きますか!」
桜と空のコントラストが映えるお花見日和。温かな日差しが降り注ぐなか、賑わいを見せる桜の名所。緑が広がる大きな公園には多くの観光客がお花見に訪れていた。
「今日はこの特設ステージにこちらのお二人をお呼びしております!どうぞー!」
野外イベントの特設ステージに上がると、席に座っているお客さんから歓声が上がった。とはいえ、そう多くはない。お花見に来ていたお客さんたちはこちらを気にしつつも、足を止めることなく通り過ぎていく。それは仕方がないことでもある。活動をしているとはいえ、俺たちの認知度はまだまだ低いのだ。それでも、隣に立つ彼の瞳から輝きが落ちることはない。揺るぎない想いが、今も変わらずそこに宿り続けているのだから。
そして俺も、その想いは同じだ。
「ほな、今日も楽しもか!」
三味線を構える鷹野。彼の右耳に垂れさがるシルバーのピアスが、今日も陽の光を集めてきらりと揺らめく。俺はヴァイオリンを構え、鷹野に視線を向けて合図を送った。
一斉に音を震わせ、その場の空気を一変させた。一人、また一人。次々と足を止め、集まってくる花見客。またたく間にステージ一帯が人で埋め尽くされていく。彼らの表情に、ぼんぼりのような明るい笑顔が灯りはじめ、やがて灯りをともすように次々と会場じゅうに広がっていった。
温かな春風が桜の花びらを舞い上がらせた。歓声とともに、今日も俺たちの旋律が響いていく。青く、青く、澄みわたる大空へと。




