夜の学校に出るらしい
これは、僕が高校三年生の夏休みの終わりごろに体験した話だ。
正確に言うと、体験した“かもしれない”話で、今でも本当にあれが現実だったのか、ただの夢だったのかはよく分からない。
僕の通っていた高校は、地方にあるごく普通の公立高校だった。特別に古いわけでもなく、かといって新しいわけでもない。校舎は三階建てで、夜になると人がいなくなり、電気もほとんど消される。そういう学校は、だいたいどこにでもあると思う。
ある日、クラスメイトの佐藤が、昼休みにこんなことを言い出した。
「なあ、夜の学校、出るらしいぞ」
いかにもありがちな話だった。
僕は最初、どうせまた誰かの作り話だろうと思って聞き流していた。正直、そういう怪談話はあまり好きではない。怖いというより、後味が悪いからだ。
「誰が言ってたんだよ」
「先輩。去年の三年の人」
先輩、というだけで妙な説得力が出てくるのが不思議だった。
話によると、夜中に学校に忍び込んだ生徒が、誰もいないはずの廊下で足音を聞いたらしい。振り返ると、誰もいない。でも、また歩き出すと、後ろから足音がついてくる。
正直、聞いたことがある話すぎて、あまり怖くなかった。
「それ、どこの学校でもあるやつじゃん」
「でもさ、音楽室の前だったらしいぞ」
音楽室。
それを聞いた瞬間、少しだけ背中がぞわっとした。
うちの学校の音楽室は、なぜか妙に暗い。窓が少なく、昼間でも薄暗い感じがする。特に理由はないのだろうが、雰囲気だけは確かにあった。
その日の放課後、僕は部活がなかったので、一人で帰ることになった。
校舎を出る前、ふと、さっきの話を思い出した。
馬鹿らしい。
そう思いながらも、なぜか足が音楽室の方へ向いてしまった。
廊下には誰もいなかった。
夕方の校舎は、昼間とは違って静かだ。自分の足音だけがやけに大きく響く。
音楽室の前に立つと、ドアは閉まっていた。
当たり前だ。誰も使っていないのだから。
そのときだった。
カタン。
小さな音が、後ろから聞こえた。
心臓が一気に跳ね上がる。
僕は、しばらくその場から動けなかった。振り返るのが怖かったからだ。
「……誰かいるのか?」
声が震えていたと思う。
ゆっくり振り返る。
しかし、そこには誰もいなかった。廊下は相変わらず静まり返っている。
気のせいだ。
そう自分に言い聞かせ、帰ろうとした、そのとき。
ギィ……。
音楽室のドアが、少しだけ開いた。
誰も触っていないはずなのに。
中は暗くて、よく見えない。
ただ、ピアノが置いてあるのだけは分かった。
なぜか、そのまま立ち去ることができなかった。
今思えば、完全におかしい行動だったと思う。
音楽室の中に、一歩足を踏み入れる。
その瞬間。
ポロン。
ピアノの鍵盤が、一音だけ鳴った。
「うわっ!」
思わず声を上げてしまった。
誰もいない。
ピアノの前にも、もちろん誰もいない。
なのに、確かに音はした。
怖くなって、僕はそのまま走って音楽室を飛び出した。
廊下を全力で走り、校舎を出て、家まで一気に帰った。
その夜、なかなか眠れなかった。
あの音は何だったのか。誰かのいたずらだったのか。それとも本当に――。
翌日、佐藤にその話をすると、彼は目を丸くした。
「マジで? お前も?」
「も、って何だよ」
「いや、実は俺も、去年の冬に似たようなことあってさ」
詳しく聞こうとしたが、授業が始まってしまい、結局それ以上は話せなかった。
それからしばらくして、学校でそんな話をする人はいなくなった。
音楽室も、今まで通り普通に使われている。
今でも、あれが何だったのかは分からない。
ただ一つ言えるのは、夜の学校には、あまり近づかない方がいいということだ。
もしかしたら、今も――。
そう考えると、少しだけ、背中が寒くなる。




