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「優しさだと思っていたものが、ただの放置だったと気づくまで。」

作者: 松本ゆきみ
掲載日:2026/01/26

 あなたはいつも、返事を急がせなかった。

 既読がつかない夜も「無理しなくていいよ」と私は自分に言った。あなたに向けた言葉のふりをした、私の言い訳。

 “理解のある私”でいれば、あなたはいつか私を選ぶ。そんな期待だけで、画面を何度も更新した。


 会えない日が続いたある日、私はあなたの部屋の前に立っていた。チャイムを押せばよかったのに、指が動かない。

『今、近くまで来た。少しだけ会える?』

 返事はすぐ来た。

『今日は無理。気をつけて帰って』

 理由も、代わりの提案もない。なのに私はそこに「配慮」を見つけてしまった。責めない、追わない、あなたは優しい——そう呼べば、待つ時間が正当化できるから。


 次に会えたのは二週間後。あなたは私の髪に触れた。触れ方だけが丁寧で、言葉は薄い。

「最近、連絡少ないね」

「……ちゃんと返せないなら、下手に返事しない方がいいと思って」

 善意みたいな顔。そこで何かがひっくり返った。


「それ、優しさじゃないよ」

「え?」

「放置だよ。あなたは、私が何も言わないのをいいことに、何もしなかった」

 あなたは困った顔をした。怒りじゃない。逃げ道を探す顔。


「だって……重いって言われたら怖いし。束縛したくないし。だから距離を」

「距離を置いたつもりで、私を置いていっただけ」

 言い切ると、胸の奥が空洞みたいに鳴った。


「君だって、自由がいいって」

「私が言ったのは、“自由でいい”じゃなくて、“嫌われたくない”だよ」

 言葉にした瞬間、私の胸の奥で何かが剥がれる音がした。私はあなたに執着してたんじゃない。あなたの“優しい人”という像に執着してた。そこに触れれば、私が救われる気がして。


 あなたは黙る。沈黙の中で、次の安全な言い回しを探している。

 私はその癖を知っていた。知っていて、待ってしまっていた。待つことで、あなたの罪を薄めて、自分の惨めさも薄めていた。


「私も卑怯だった」

 喉が熱くなる。

「あなたが何もしないのを、優しさって言って守った。あなたを守れば、私が傷つかない気がした。……結局、欲しかったのは沈黙じゃなくて、あなたの選択だったのに」


「好きだよ」

 あなたがようやく言った。軽く、保険みたいに。

「好きだけど、今は……」

「“今は”って、便利だね。何年でも先延ばしにできる」

 あなたが息を呑む。笑われるのが一番苦手なんだ。


「じゃあ、どうすればよかったの」

 あなたが小さく言う。

「簡単だよ。何かをするか、終わらせるか。どっちかを選ぶ」

 私は立ち上がる。足が少し震える。震えているのは恐怖じゃなくて、執着が剥がれる痛みだった。

「私、あなたの優しさに執着してた。優しい人に選ばれてるって思いたかった。だから放置されてる現実を見ないふりをした」

 あなたは腕を伸ばしかけて、止める。最後まで、何もしない。


 扉の前で私は振り返る。

「ねえ。あなたは“悪くない”って言ってほしい?」

 あなたは答えない。答えないことで、自分を守る。悪者にならずに、私だけが勝手に去った形にしたい。

 その卑怯さが、あまりにも私に似ていて、笑いそうになる。


 外に出ると夜が冷たい。スマホが震える。

『ごめん。本当にごめん』

 その一文が、私の中の最後の糸を引っ張る。

 私は画面を見つめて、親指を止めた。

 画面が暗くなるまで、私はただ呼吸していた。涙は出ない。代わりに、胸の奥が少し軽い。


 返事をしない。

 それが、私にできる最初の「何か」だった。

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