「優しさだと思っていたものが、ただの放置だったと気づくまで。」
あなたはいつも、返事を急がせなかった。
既読がつかない夜も「無理しなくていいよ」と私は自分に言った。あなたに向けた言葉のふりをした、私の言い訳。
“理解のある私”でいれば、あなたはいつか私を選ぶ。そんな期待だけで、画面を何度も更新した。
会えない日が続いたある日、私はあなたの部屋の前に立っていた。チャイムを押せばよかったのに、指が動かない。
『今、近くまで来た。少しだけ会える?』
返事はすぐ来た。
『今日は無理。気をつけて帰って』
理由も、代わりの提案もない。なのに私はそこに「配慮」を見つけてしまった。責めない、追わない、あなたは優しい——そう呼べば、待つ時間が正当化できるから。
次に会えたのは二週間後。あなたは私の髪に触れた。触れ方だけが丁寧で、言葉は薄い。
「最近、連絡少ないね」
「……ちゃんと返せないなら、下手に返事しない方がいいと思って」
善意みたいな顔。そこで何かがひっくり返った。
「それ、優しさじゃないよ」
「え?」
「放置だよ。あなたは、私が何も言わないのをいいことに、何もしなかった」
あなたは困った顔をした。怒りじゃない。逃げ道を探す顔。
「だって……重いって言われたら怖いし。束縛したくないし。だから距離を」
「距離を置いたつもりで、私を置いていっただけ」
言い切ると、胸の奥が空洞みたいに鳴った。
「君だって、自由がいいって」
「私が言ったのは、“自由でいい”じゃなくて、“嫌われたくない”だよ」
言葉にした瞬間、私の胸の奥で何かが剥がれる音がした。私はあなたに執着してたんじゃない。あなたの“優しい人”という像に執着してた。そこに触れれば、私が救われる気がして。
あなたは黙る。沈黙の中で、次の安全な言い回しを探している。
私はその癖を知っていた。知っていて、待ってしまっていた。待つことで、あなたの罪を薄めて、自分の惨めさも薄めていた。
「私も卑怯だった」
喉が熱くなる。
「あなたが何もしないのを、優しさって言って守った。あなたを守れば、私が傷つかない気がした。……結局、欲しかったのは沈黙じゃなくて、あなたの選択だったのに」
「好きだよ」
あなたがようやく言った。軽く、保険みたいに。
「好きだけど、今は……」
「“今は”って、便利だね。何年でも先延ばしにできる」
あなたが息を呑む。笑われるのが一番苦手なんだ。
「じゃあ、どうすればよかったの」
あなたが小さく言う。
「簡単だよ。何かをするか、終わらせるか。どっちかを選ぶ」
私は立ち上がる。足が少し震える。震えているのは恐怖じゃなくて、執着が剥がれる痛みだった。
「私、あなたの優しさに執着してた。優しい人に選ばれてるって思いたかった。だから放置されてる現実を見ないふりをした」
あなたは腕を伸ばしかけて、止める。最後まで、何もしない。
扉の前で私は振り返る。
「ねえ。あなたは“悪くない”って言ってほしい?」
あなたは答えない。答えないことで、自分を守る。悪者にならずに、私だけが勝手に去った形にしたい。
その卑怯さが、あまりにも私に似ていて、笑いそうになる。
外に出ると夜が冷たい。スマホが震える。
『ごめん。本当にごめん』
その一文が、私の中の最後の糸を引っ張る。
私は画面を見つめて、親指を止めた。
画面が暗くなるまで、私はただ呼吸していた。涙は出ない。代わりに、胸の奥が少し軽い。
返事をしない。
それが、私にできる最初の「何か」だった。




