34話 復讐鬼
夜。
月は雲に隠れていた。
街灯が街を照らしているものの、全てを補うことはできず、大半は暗闇に包まれている。
夜の街を歩く人は少ない。
冒険者ギルドや騎士団は、夜、外出しないように呼びかけている。
その効果が出ているのだろう。
とはいえ、完全にゼロというわけにはいかない。
仕事の都合、個人的な事情、飲みの帰り……
夜、外に出る人は一定数いた。
「ふぅ……ちょっと遅くなっちゃった」
ギルドの受付嬢は、街灯のあるところを選んで帰路を辿る。
残業で遅くなってしまった。
恐ろしい事件が続いているため、日が暮れる前に帰りたかったのだけど、仕事なのでそれは厳しい。
また、事件のせいで仕事量が増えていて、早く切り上げることも難しい。
とはいえ、それほど不安は感じていなかった。
まだ深夜という時間帯ではないため、少ないものの人はいる。
それに街灯も輝いていて、場所を間違えなければ暗闇に囚われることはない。
受付嬢は自宅の方に歩いて……
「……え」
ふと、足を止めた。
気がつけば周囲から人が消えていた。
明るく周囲を照らしていた街灯も、いつの間にか切れかかっている。
暗闇の中、一人だけ。
異世界に迷い込んでしまったかのような孤独と不安感。
「……別に、なにもないわよ」
たまたまこういう状況になっただけ。
なんてことはない偶然。
そう自分に言い聞かせて、受付嬢は足早に帰路を急いで……
「よぉ」
「っ!?」
不意に現れた男の姿に、悲鳴をあげてしまいそうになる。
なぜなら、その男は、指名手配されている、元Aランクパーティー『漆黒の牙』のリーダー……トッグだからだ。
しばらく見ないうちに、トッグは別人のようになっていた。
頬は痩せこけて、筋肉の鎧は削ぎ落とされている。
目の下にくまができていて、何日も寝ていないかのよう。
それでも、特徴的な目や雰囲気でトッグと理解することができた。
トッグはニヤニヤと笑う。
その笑みは嗜虐的で。
そして愉悦に満ちている。
不気味なだけではなくて、危険も感じた。
受付嬢は、一歩、後ろに下がる。
「……なに? 自首しに来たの? なら、ギルドか騎士団に行ってよ」
「んなわけねえだろ、クソアマが!」
「ひっ!?」
一瞬で距離を詰められて、剣を突きつけられていた。
殺意と悪意。
殺されてしまうと、受付嬢は腰を抜かしてしまいそうになる。
勝手に涙が出てきた。
「おいおい、なかなかそそる顔をするじゃねえか。ヤッちまいたくなるが……ま、我慢しといてやるよ」
「こ、殺さないの……?」
「お前は伝言役だ。だから、殺さねえ。本当は殺したくてヤリたくて殺したくて、それから潰し、つ、つつつ……潰したくて、た、たまらねえけどなぁ! ひっ、ひひひ!」
おかしな笑い声を響かせるトッグの姿に、受付嬢はさらに恐怖を深くした。
今すぐに逃げ出したい。
しかし、機嫌を損ねるようなことをしたら、即座に殺されてしまうだろう。
下手に動くことができない。
「で、伝言というのは……?」
「あのガキに伝えろ」
「が、ガキ……?」
「カイルのクソガキだよっ、決まっているだろうが! なんでそれくらいわからねえ!!!」
「ひっ!?」
トッグの目は血走っていた。
完全に頭がおかしくなっている。
そう感じた受付嬢は、重なる恐怖に失神してしまいそうだった。
いっそのこと、意識を手放してしまったらどれだけ楽だろう?
しかし、そうなると『伝言役』を果たせない。
そうなった時、トッグがどんな行動に出るか……考えただけで恐ろしく、どうにかこうにか意識を保っていた。
「あのガキ、まだここにいるんだよな? いるんだよなぁ!? そろそろ頃合いだから、やらないとダメなんだよぉ!」
「ば、バーンクレッドさんに、なにを伝えれば……?」
「あぁ!? だから、カイルだって言ってるだろうが!!!」
「そ、そのカイルさんです! バーンクレッドは、カイルさんの姓です!」
「……あぁ、そうか。そうだったな。わりいな、勘違いしてた」
トッグの様子は明らかにおかしい。
罪が暴かれて、逮捕状が請求されて、逃げ回っていたという話だ。
その間、いったいなにがあったのだろうか?
どのようなことがあれば、ここまで人が変わるのだろうか?
考えるけれど、なにもわからない。
深い闇を覗いても、なにも見えないだけだ。
「決闘だ」
「え? あ、は……?」
「だから、決闘だよ、決闘。カイルに決闘を申し込む」
「バーンクレッドさんに……ですか?」
「だから、そう言ってるだろうが!」
「ひっ」
体の震えが止まらない。
以前から、トッグは粗暴な振る舞いをすることが多かった。
とはいえ、恐怖を感じるほどではなかった。
それなのに、今は怖い。
とにかく恐ろしい。
まるで魔物を相手にしているかのようだ。
「わ、わかりました……! バーンクレッドさんに決闘、ですね!?」
「ああ、そうだ。なんだ、わかるじゃねえか」
「そ、その……詳細はどうしましょう?」
「あー……細かいことは任せる。ただ、日時と場所は俺が指定する」
「う、うかがいます……」
「三日後。場所は、街を出て南に少し行ったところにある平原だ。あそこなら、思う存分に暴れられるだろ」
「わ、わかりました……確かに、お伝えします」
「ああ、頼んだぜ?」
満足したらしく、トッグは小さく笑う。
「じゃあな。伝言役……くれぐれも頼んだぜ?」
「は、はいっ!」
トッグは手をひらひらと振りつつ、夜の闇の中に消えた。
その背中を見送り……
受付嬢は本当に腰が抜けていることに気づいて、しばらく立ち上がれないのだった。




