マックにて
コーヒーを注文した。金券屋で買った100円のコーヒー券を使う。20円もお得だ。店員はしげしげとコーヒー券を眺めながら言った。
「お召し上がりですか」
俺は答えようとして口を開いたが、そこで止まってしまった。いや、凍り付いたと言った方がいい。
ー こ、この店員はなんで知っているんだ。
俺は驚きを隠そうとしていたが、既に店員に悟られているかもしれない。
ー こんなにストレートに言われるのは初めてだ。そういえばこの店員は初めてだ。見た事が無い。俺の事を知っているのかもしれない。もしかして、俺を問い出す為に送り込まれた店員だろうか。俺を見る目が確かに非難がましい。やはり、知っているのだ。
小心者の俺は後ろを振り向いた。他の客が並んでいたら迷惑だ。後ろに並んでいる客がいない事を確認して少し安心したが、だからといって次にどうして良いかは分からない。
ー 今日は、妥協して店内で飲んで行こうか。うーん。
しかし、割引券とはいえ100円も払っているので当初の予定通り、持って帰るべきだろう。が、少し目を上げるとその店員はまだじっと私の方を見ている。
ー この目は、、、 もう疑う余地は無い。知っているんだ。持ち帰るなんて言ったら、その先どうするかを鋭く追及されるだろう。
そうこうしている内に、後ろにカップルの客が並び、スマホをいじり始めた。
ー あっ、あっ、あっ、急がないと。
切羽詰まった俺は、考えも纏まらないまま賭けに出た。どうせバレているならこちらからぶっちゃけてやろう。上気した顔で店員を正視した俺は言った。
「そうですよ、その通りです。『召し上がりません』よ、ハイ」
店員の反応を窺った。怒りを買っただろうか。
「えっ」
店員はそれだけ言うと、驚いた顔で俺の方を見ている。ちょっと想定と違う反応だ。俺は続けた。
「悪いのは分かっています。でも、いいじゃないですか。コーヒー一杯ぐらい。食べ物を廃棄する訳じゃないし。それにしてもなんで私の事を知っているんですか。ウチの庭を覗いているんですか」
店員はきょとんとしてこちらを見ている。どうやら機先を制したようだ。今の所、反撃して来そうな様子も無い。
ー よし、この勢いだ。このまま持ち帰ってしまおう。俺は間を置かずに続けた。
「そういう事です。『召し上がらない』のは悪いけど、持ち帰ります」
店員は何も反応しなかった。できなかったと言うべきだろう。列が出来ている事に気づいて、俺から目を離すと慌ててコーヒーの注文を受け付けた。
「では、この番号でお呼びしますので、こちらでお待ちください。次のお客様、どうぞ」
店員は事務的に処理した。結局、何の騒ぎも起きなかった。俺はホッとした。あっという間に紙袋に入って出てきたコーヒーを受け取って店を後にした。
ー それにしても謎だ。何故俺が『召し上がらない』事を知っていたんだろう。だって、店内にしろ、持ち帰りにしろ『召し上がる』に決まっている。そこをあえて『お召し上がりですか』と聞くのは俺の事情を知っていて、それを正しているからに決まっている。本当はこう言いたいに違いない。
ー お客さん、本当に『召し上がるんでしょうね』。間違っても『召し上がらない』なんて事はないですよね。さあ、どうなんですか。さあ、さあ、さあ!
ウチに帰ると、一息ついた。とにかく無事帰ってこられて良かった。マックで買ってきたコーヒーが十分冷めたのを確認すると、それを恭しく手にして庭に出た。小さな野菜畑があった。人参、きゅうり、オクラ、、、 素人作りなので、大きさも形も様々。でも、俺は満足していた。見様見真似の無農薬有機栽培だ。
ー んー、出来はイマイチだな。でもこのコーヒーでぐんと成長してくれるかも。
俺はマックで買ったコーヒーの蓋を取りながら呟いた。が、直ぐに警戒した。くだんの店員がどこかで見ているかもしれない。監視しているかもしてない。恐るべしだ。周囲を一通り確認した後、俺はやっと安心してコーヒーを注ぎ始めた。コーヒーを根元にかけられた野菜たちは嬉しそうだった。
ー よーし、これでいい。コーヒーが最高の肥料になるなんて大発見だ。偶然だよな。
俺は今年の春の事を思い出していた。ちょっと体調が悪かったので、淹れて飲み残したコーヒーを捨てようとした。勿体ないので、何を考えたか庭の野菜にかけてしまった。すると、野菜の生育が良くなったのだ。面白がった俺は色々な銘柄や、お店のコーヒーで試してみた。勿論、人様が口にできるものを植物に遣ってしまうのは気が引ける。本来はご法度だ。
ー あー、どうしよう。今後は別のマックにいこうか、、、 でも、そこにあの店員がいたら嫌だな。もしかするとマック内で俺の写真が出回っていて「この客が来たら『お召し上がりですか』と言って問い詰める事」なんて事態になっているかもしれない。今回はうまく切り抜けたが、次回は分からない。
そう考えると憂鬱だった。俺は空になった紙コップを片手に、愛しい野菜たちを眺めながらどうしたものか思案を巡らせていた。