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電車にて

ふいに視界を車掌が遮った。

「困りますねぇ、一応規則ですから」

「ん?」

何を言われているのか分からなかった。俺は会社帰りに電車に乗っているだけだ。いつもの様に長椅子の座席に座り、ボーとして猥雑な車窓の風景を眺めていただけだ。規則違反など何もしていない。

「あのー、何かいけないですか。座っているだけですけど」

車掌は私の柔らかい応答に安心したのか、しゃきっとした口調で話し始めた。

「今月からなんですよ。別に罰金はありませんが、車内秩序や他のお客さんの安全・安心の為にもご協力ください」

まだ要領が掴めなかった。何だか、俺が車内で大暴れでもしそうな言いように少しむっとした。

「何をどうしたらいいのかはっきり言ってください。たぶん、私はその今月からという規則を知らないんだと思います。教えてください」

少し強めの口調に車掌は一歩引き、でもやはり丁寧な言葉使いで続けた。

「あ、そうですよね。私にとってもまだ新しい事なので、どうも説明が下手ですみません。お客さんは窓の外を見ていたと思うのですが、スマホを見るか、本をお読みになっていただけますか。お持ちですか」

さらに良く分からなくなった俺は、一呼吸して落ち着いてから、冷静にとつとつと聞いた。

「いや、何ですか。必ずスマホや本を見ていないといけないのですか。変な規則ですね。スマホや本が嫌いだったり、目が疲れてしまった人はどうするのですか。電車に乗っちゃいけないんですか」

車掌は少し慌てた様子で答えた。

「いえ、いえ、いえ。もちろんご乗車いただけます。スマホや本に目を遣らない時は、目を閉じていてください。寝ていてもいいです。ほら、御覧になってください」

車掌は車両に乗り合わせている他の乗客をぐるりと指さした。私は訝しそうに指さす先を追った。

「あっ、あっ、本当だ」

私が驚くのを見た車掌は少し笑みを浮かべた。そう、目に入った乗客達は、見事にスマホや本を見ているか、目を閉じていた。先ほどの私のように、目を開いて車窓を眺めたりしている乗客は一人としていない。私が目を見開いているのを見て車掌は続けた。

「なぜこんな規則があるか知りたいですよね。ちょっと実験してみましょう。お客さん、向かいの乗客の何人かにしばらく目を遣っていただけませんか。睨みつける必要はありません。普通に見るだけでいいです」

今度は実験などとまたもや良く分からない事を言いだした車掌だが、俺も理由は知りたかった。車掌の指示に従って一番近い数人の乗客に繰り返し目を走らせた。しばらくは誰も私の視線に気づかなかった。と、その時、乗客の一人と一瞬目が合った。スマホを見ているので頭も体も微動だにしないが、確かに一瞬目が合った。ちらっと上目遣いでこちらを見たのだ。目だけが敏捷に動くその様はまるで爬虫類を見ているようで俺は一瞬ぞっとした。しかし、次の瞬間、その乗客は大慌てで目をスマホに戻し、猛烈な勢いでタッチやスワイプを始めた。慌てているのが見て取れる。何を慌てる必要があるのか意味不明だが、どうやら俺のせいでそうなっているようだ。車掌は言った。

「ね、平穏が乱れちゃうでしょ。目を合わせるのは別に悪い事ではないですが『通話はご遠慮ください』と同じで、皆が一番丸く収まるルールを作ったという事です。和の国ですからね、日本は」

最後の一言はともかく、反論した所でルールが変わる訳じゃない。言い過ぎればカスハラ扱いにでもされそうだ。納得したような俺の様子を確認した車掌は隣の客車へと去って行った。

「良くわからん世の中になってきたなぁ」

俺は普段はスマホを持ち歩かない。生憎、今日は本も雑誌も持ち合わせていない。見れば、先ほどまでずっとスマホを見ていた正面の若い二人連れは目を閉じている。見事だ。本当に寝ているのかどうかわからないが規則通りだ。俺も目を閉じる事にした。でも、例えば観光旅行に来ている外国人なんかどうなんだろう。都会のビル街とは言え、車窓を楽しみたいに違いない。その時、あの車掌は同じような説明をするのだろうか。目を合わせたくない人が居るからスマホか本でも見ていてくださいと。外国人、とりわけ欧米から来た人達は驚くに違いない。彼らの文化は「相手の目を見てなんぼ」だからだ。でも、これはこれでいいのかもしれない。この規則と、それが実際に行われている車内は、本当に神秘体験だろう。SNSで発信しまくるに違いない。それを見た外国人が神秘に触れたくて日本に殺到するだろう。日本は儲かるという算段だ。であれば、めでたしめでたし。目を閉じた俺はウトウトしてきた。これは夢で、もしかすると目覚めたらこんな規則はなかったなんて事なのかもしれない。うーん、きっとそうだ。こんなへんちくりんな規則はいくら日本でも変過ぎる。そんな事を考えながら俺はゆっくりと眠りに落ちて行った。


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