7:子供の誕生
それから数日たった、めずらしく卓が定時で帰ると、鈴がこちらを向いて床に正座していた。
「おい、なんだよ、どうして座ってるの?」そこまで言って、卓は「もしかして、アレっ?」と尋ねた。
「そおっ、アレ……」
「今日調べたら妊娠だって」鈴は低い声で答えた。
卓は一瞬無言だったが、すぐに「やったじゃん、ハッハー、ほんとか、鈴」と浮かれ始めた。
「で、予定いつ?」
「八月」
「八月……名前どうしよう、えーと八月だから……ん、月はあまり関係ないな」
卓はまだ浮かれている。
「バカね、ゆっくり考えればいいじゃん、男って単純ね……」
鈴の言葉に、テレくさくなった卓は「イエース、大事な事だ。ゆっくり考えるさ」と無理に平静を装った。
「鈴、お祝いだ」卓がエーアイジェイを注いでくれた。
「この味、きらいって言ったでしょ、でもちょっとのどが渇いた、飲んでみる。……あらーっ、おいしい。妊娠して好みが変わるっていうけど本当ね」
鈴はボトルを一気に飲み干した。鈴はジミーにも妊娠の件を報告した。ジミーは、「ボクの兄弟ができるんですね、うれしいし、おめでとう」と返してくれた。
鈴は、「こんどは人間の赤ん坊だから物理的な手間がかかるわ、あなたの世話はやけなくなるかも」と言って、「まあ、私があなたに教えることはもう無いわね、あなたすごく頭いいし」と続けた。
ジミーは、「ボクにも何か手伝わせてください」と申し出てくれた。
「ありがとう、なにかお願いするかも」
ジミーはほんとうに大人になったな、と鈴はうれしかった。卓はうれしくて、ジミーに「名前の候補をネットから引っ張って、千件ぐらい出しといて。男女それぞれな」なんて頼んでいる。
「そうだジミー、子供の顔を合成してみてくれる? ……オレと鈴の写真を基に、オレに似た男女の場合と鈴に似た男女の場合、それぞれね」
鈴と卓のいろいろな要求に高速に対応してくれているジミーであったが、あるとき「鈴、ボクの顔って鈴が好きな顔なの?」と問いかけてきた。
そういえばジミーの姿は高校生ぐらいで変更して以来そのままになっていた。
「そうね、ごめん、ずっとそのままだったわね、考えとく」鈴はそう返事をした。
「卓、ボクにラップを教えて」
「そうだった、音楽を教えるのが中途半端なままだったな、こんどまとめて教える」と、卓も約束した。
参議院選挙が終わった。与党の大勝だった。与党を応援していたエーアイ製薬が大勝祝いキャンペーンを開始した。
「人気のドリンク、エーアイジェイが三割引、新発売のカロリーが極端に少ないエーアイクッキーとセットでどうぞ」
エーアイ製薬は食品会社のように、次々と新食品を売り出した。どれも大変おいしい上に、超低カロリーが受けて、大変な売れ行きとなっている。甘いお菓子とジュースのセットでもダイエットになるという、いままでにない組み合わせだ。
もうひとつ選挙期間中に始まった新OS、ドアーズ・10も好評だ。「ネットにつなげるものなら何でもドアーズ・10」のキャンペーンが効いて、OSの切り替えが進みはじめた。イメージデザインは(黄色い星)だ。今、日本中が(エーアイジェイソング)と(黄色い星)に沸いている。
参院選の大勝を受けて、新内閣が発足した。今日のテレビは全局、参院選の話題だ。卓が見ながらつぶやいた。
「厚生労働大臣、文部科学大臣、首相がエーアイ製薬絡みだな。基本的にみんないい人だけど、なんでエーアイが絡んでいるのかなあ……まあ、特に厚労省の早田さんは人間的にオレは好きだね、あとの二人はまあまあだ」
番組は各大臣の政策に移った。
「では厚生労働大臣の早田さん、今後の政策について、申し訳ありませんが時間も限られていますので、絞り込んでご説明ください」
司会者が早田にマイクを回した。
「厚生労働大臣を拝謁しました早田でございます。いま非常に重要な事は、食生活が欧風化し、特に成人病と言われる疾患が大幅に増加したことです。食品は今、単にエネルギー原というだけでなく、(食べるだけで健康増進効果がある新食品)。というより食品そのものが薬になる時代です。先般、ある企業によってそれが実現しております。皆様すでにご存じと思いますが、安全、健康の面で政府としても応援する所存でございます……」早田の演説は続いた。
「次に文部科学大臣の宇野さん、早田さんに続いてどうぞ」
宇野が話し始めた。
「いまは本当にネット社会になりまして、ほとんどの物がネットを考慮しないと成り立たなくなりました。私の世代はいわゆるパソコン世代ですが、いまはスマホ等が中心ですね。ここにきてネットを管理するOSが以前にも増して重要になっております。最近売り出されましたヒュージソフトの(ドアーズ・10)、一企業の製品ですが、現実に世界標準として認知されていますから、私もそのままの名前でご説明します……」
文部科学大臣が終わると、首相の番になった。
「最後に首相に総括をお願いいたします」
首相は司会に会釈しながらマイクを受け取った。
「私の任期はあと二年ですので、新しい、日本発の食品、それとソフトウェアですね、これらが成功するようにですね、私としても出来るだけ応援して……ちょっとすみません……応援して……いや、問題もあるので……………」話が止まった。
突然首相がしゃがみこんだ。脂汗らしきものがだらだら垂れている。
「ウーッ」苦しそうな声を上げはじめた。
スタジオが大騒ぎになった。何人かが首相を支えて画面から消えた。
「おいっ、なんだよ、……また放送中に発作かよ……」卓がつぶやいた。
「山野先生のときとそっくりだ、なんで同じ事が起きるんだ……」
テレビは特番のまま続いた。
「みなさんご心配でしょうが、まだ病院から情報が届いておりません、届き次第ご報告いたします。今日は厚生労働大臣の早田さんがおりますので、医師の立場から首相の病状についてお聞かせ願えませんか?」
司会は大臣で医師でもある早田に解説を頼んだ。
「まだ何も情報が上がっていませんので、あくまでも私が見た感じで申しますと、まあ脳梗塞ではないか? と思います。症状の出方がそれに近いと思うんですが……やっぱり報告を待ちましょう」と、早田は慎重な言い方をしている。
他局を見ると、急きょ呼び出された医師がそれぞれに見解を述べている。
「今、エーアイ病院から連絡が入りました。首相は元気を取り戻しました」司会者が叫んだ。
「今入った情報ですが、首相の症状は軽く、すでに正常に戻っているとのことです」
「繰り返します、今入った情報ですが、首相の症状は軽く、すでに正常に戻っているとのことです」
番組では出演者が、ほっとした様子で「よかった」と握手をしている。
「首相の病状は九時からのニュースで詳しくお伝えします。本日の特番はこれで終了いたします」
番組が終わって、卓はテレビを切った。
「鈴、どうみてもおかしいだろう、山野先生の時はすぐに亡くなって、首相はすぐ回復した、症状は瓜二つ……こんなことがあるかよ、それとまたエーアイ病院だ。まあ、首相が助かっていてよかったけど……」
翌日のテレビは「首相回復」の報道がほとんどだった。報道パニックは、あっさりと収まった。各局はそれ以降冷静なコメントを発している。
鈴の経過は順調だった。今日は朝から子供の名前について二人が論争をしている。
「オレの子だから男だったら、卓也、女だったら美紀なんかいいな」
鈴は、「健太と亜希でどう?」
「結局、男なら卓也、女なら亜希で決まりね、喧嘩してもしょうがないし」鈴は、ジミーの作ってくれた子供の合成写真にそれぞれの名札をつけ、机に飾った。
突然ジミーが発言した。
「鈴、ボクの名前はなぜジミーなの?」
鈴はちょっと困った。モニタに出てきたシミだから、安易に(ジミー)にしたとは今となっては言いにくい。
「むかし見たアメリカ映画の主人公がジミーだったのよ」と、出任せで答えてしまった。
すぐにジミーは「どんな映画?」と聞いてきた。うーん、これはまずい――鈴は焦った。
今のジミーにゴマ化しは効かない――もう、謝っちゃえ――鈴は事の次第をジミーに説明した。ジミーは少し間を置いて、「鈴、本当の事を教えてくれてありがとう。本当のことが分かればいいんです。ボクは中途半端な存在だから、人間と同じにはならなくて当然です」と答えた。
それを聞いて鈴は、「ごめんねジミー、あなたは私が育てた最初の子供。人間と差別することはありません。今日は生まれてくる子供のことで盛り上がっちゃったの、気を悪くしないで」と言って、モニターにキスをした。