6:PCの新OS 「ドアーズ10」
世間が騒がしくなってきた。参議員院選挙がある。テレビやネットは選挙の話題一色になっている。
今日は政党討論会だった。卓と鈴はテレビを見ながら夕食を食べている。野党の政策発表が一巡し、与党、(全保守党)の番になった。
「今や日本は機械、電気、自動車で圧倒的な地位を占めるに至りました。それに加え、医療、健康、製薬分野を伸ばさなければなりません。他に比べて、健康、製薬分野は特に延び代があります。全保守党としては特にそれを応援いたします。さらにネット社会におきましては、国産新OSの普及を応援したいと思います」
全保守党の政策担当大臣が力説している。卓が首をかしげた。
「健康、製薬分野に投資を、と政府がいうのはエーアイ製薬を伸ばせという国策じゃないか……一企業に肩入れし過ぎじゃないの? 国としてそれでいいの?」と、言いながら卓はまたエーアイジェイを飲んでいる。
「これはエーアイ製薬製だけど特別だね、たしかにうまいっ、これだけは許す」
「新OSのドアーズ・10も業界が違うようだけど、実は同じエーアイグループ企業なんだよね、こっちは問題大ありだ」卓はOSのバージョンアップに否定的だ。
選挙報道が終わって、特集番組に変わった。今日は卓が批判したドアーズ・10について討論がある。
「バッチリ、エーアイ製薬のスポンサーが付いているから、きっと提灯番組だぜ」卓は不満そうだ。
「でもこの番組には尊敬する山野博士が出るから見よう、彼が何というか」
鈴が尋ねた。「山野博士って有名なの?」
「ドアーズ・9までは山野博士が中心になって開発したんだ。だから出来がいいだろ、いま使ってるやつ」
確かに鈴のパソコンのOSはドアーズ・9のままだが問題は少ない。
「こんどのドアーズ・10に彼が関わっているかどうかが今日聞ける。それで確認できたら自分もOSをバージョンアップするつもり」卓はそのまま特集番組を見続けた。
番組の司会者が解説を始めた。
「新発売のオペレーティングシステム、ドアーズ・10についてお尋ねします。OSといいますとなじみがないと思いますが、皆さんのスマホ、パソコンやタブレットはOS、正確にはオペレーティングシステムというソフトウェアがまず最初に動き出します。毎回最初に出る画面がOSなんです。いま注目されているのは、ドアーズ・9が進化したドアーズ・10です。これに替えると、すべての機能が大幅にアップします。そしてセキュリティーの問題も格段に進歩しています。これについて開発主任である山野博士にご説明をお願いします。山野先生どうぞ」
司会者に促されて山野博士がマイクを持った。
「こんにちわ、山野です。皆さんにうれしいお知らせをしたいと思います。いま司会の方からご紹介されました新しいOS、……ドアーズ・10といいますが、これに替えることによって新しい機能が、今よりはるかに豊富に、安全に使えるようになります。OSですから表面的にはちょっと起動画面が変わるだけです。でも内容が全然ちがいます。国の援助もありまして、無償でみなさんに配布できるようになりました。バージョンアップ案内を(OK)するだけで、自動的に新OSに交換されます。今、いろんなメディアで案内が届いていると思います。ぜひお試しください」
見ていた卓がつぶやいた。
「山野先生、ずっとニコニコだったな、ドアーズ・10がよほどうまく出来たということかな? それにしても、山野先生がニコニコしているのを見るのは初めてだよ、よほどうれしいことがあっても、ニコリともしないのが山野先生なんだが、何か違和感あるな……」
つづいて機能の紹介を始めた山野博士であったが、話しながら急に笑顔が消えてきた。
胸を押さえている。
「いろいろ新機能が……あるんですが……少し問題が」
山野博士の話すペースがおかしい。それに、それまでと違って、否定的な事を言い始めた。
「鈴、山野先生なんかおかしいぞ、言ってることが違ってきた」卓が首をかしげている。
「基本的に……このOSは……問題があって……」と言ったところで、博士が胸を押さえたままうずくまった。
いっせいに番組スタッフが駆け寄り、番組は騒然となった。
「おうっ、この番組、生なんだ……」卓が驚いて叫んだ。
確かに、この番組は選挙報道に便乗して急きょ内容が変更された感がある。
「たいへん申し訳ありません、ちょっとアクシデントがありました。ただいま混乱していますが、もう少しこのままお待ちください」
司会者があわててマイクを持って画面中央に出てきた。司会者に隠れて、バックで何が起きているのかテレビでは見えない。ただ「ウオーッ、ウオーッ」という先生の叫びと思われる音声が漏れてくる。
しばらくして、「ただいま調整中です、しばらくお待ちください」というテロップが出たまま番組が完全に中断した。
「なにかの発作みたいだな、アクシデントだ、これはただごとじゃない。山野先生はオレの師匠だ、すぐ行ってみる」
卓は夕食をほったらかしにして飛び出していった。
テレビ局は比較的近くにある。急ぐ卓はタクシーを拾った。
「関東テレビ」
「急いでください」
局から100メートルほどのところで道は大混乱になっていた。目の前を救急車が通過した。すぐ続いてまた救急車、と思ったが、エーアイ製薬の緊急車両だった。
――なんでエーアイ製薬? ――卓は不思議に思った。確かにエーアイ製薬でも赤灯付の緊急車は持っている。だが駆けつけるのが早すぎる。まるで番組中に何かが起こることを知っていたかのようだ。
ようやく局に着くと、どうやら先生はエーアイ製薬の車で、エーアイ病院に向かったらしい。エーアイ病院はもともと地元の有力病院であったが、最近エーアイ製薬に買収されてエーアイ病院と名前が変わったものだ。
追いかけてエーアイ病院に行っても、きっと面会謝絶だろうから意味がない。卓は局の外でウロウロしている番組スタッフらしい人に尋ねた。
「先生の様子はどうでした?」
「しばらくうめき声をあげていたんですが、静かになってしまいまして、……おそらく相当悪そうです」
さらに聞こうとしている卓に、「あなたはどなた? 関係ない人に言うことはありません、帰ってください」と、別のスタッフに強引に割って入られた。確かに卓はこの場では関係者ではない。一人のヤジ馬だ。
「わかりました、帰りますよ」
卓は仕方なく帰ろうとしたが、どうも違和感がある。さっきの男はなぜか最後にニヤッとした。最初はすごい剣幕だったのに、なぜニヤッとしたのか、あいつこそ何なんだ?
卓はぶつぶつ言いながら家に帰った。
家に帰ると、鈴がテレビにくぎ付けになっていた。鈴が尋ねた。
「何か分かった?」
卓は首を振って「ダメ、行ったのはムダだった、それよりテレビではどうっ?」
「山野先生、亡くなったみたいよ」
「えっ、亡くなった? ……先生が、……本当か?」
「ほら見て……」
画面はエーアイ病院の入り口を映し、「山野博士死亡」とテロップが出ている。
「考えられない! 先生は太ってないし、つい最近でも血液検査ですべての指標が正常、脳のCTも問題なし、と自慢していたんだぞ」
「これは事件じゃないのか!」
卓はさっきのエーアイ病院の緊急車両を思い起こした。きっと何かある――エーアイ病院との絡みが。しかし卓はこれ以上考えても仕方がない、と翌日のテレビで見ることにした。
ところが翌朝、なぜかどの局も昨日の事件を全く報じていない。
「鈴、おかしいと思わないか、今日の報道に昨日の事件が全然出てこない」
卓はじっと考えた末、無言で会社に向かった。