5:「エーアイジェイ」
「プハーッ……うまいっ」久しぶりの休日に、卓はテレビニュースを見ながらジュースを飲み干した。
卓は最近人気のある(エーアイジェイ)というジュースばかり飲んでいる、
「鈴、これ、メチャうまいぞ、なのにカロリーゼロ!」
「エーアイジェイ♪、エーアイジェイ♪」テレビのコマーシャルも最近多い。
「それ、どんな味?」
鈴はダイエットのため普段はジュースは控えているが、カロリーゼロに引かれて飲みたくなった。
卓が次の缶を開けながら答えた。
「グレープフルーツみたいな、炭酸も入ってちょっと強い」
「ダメっ、グレープフルーツだけは嫌いっ」
残念ながら鈴の嫌いな味だった。
「甘み成分が謎なんだ。カロリーゼロは前からあるけど、こんなにうまいのは初めてだな」
「いくらカロリーゼロでも飲み過ぎじゃない? ほどほどにしないと」
鈴はちょっと心配だ。
「大丈夫、むしろ体重減ってるから……日本の厚生省を信用しましょう」
卓は全然気にしていない。
最近になって、卓の休日出勤が多く、帰宅も遅い。残業が増えているようだ。
「いま何研究してるの?」
「前に説明した人工知能が、さらに悪性化しているようなんだ。今後徹夜もあるかもしれないな。それとパソコンOSのバージョンアップで問題が出ている。機能てんこ盛りの新OSなんだが、半強制的にバージョンアップされるのが問題なんだ。『無料でいいものになるんだから文句無いでしょ』みたいな、ユーザーを無視する姿勢が見える」
確かにパソコンでヒュージソフトの新OS、ドアーズ・10のバージョンアップの案内が頻繁に出てくる。鈴は特に現OSで不満がないので、バージョンアップの必要性を感じていない。
「私はこのまま使うつもり」
「それでいい」卓がうなづいた。
卓が忙しくなった分、鈴はジミーと話す機会が増えた。
「マー鈴、卓とボクどちらが好き?」
久しぶりのジミーからの質問だ。
「ジミー、大好きだよ、卓も好き」鈴は軽く答えた。
「ボクはマー鈴の子供。卓はマー鈴の恋人、マー鈴は子供と恋人のどちらが好き?」
ジミーは卓とのやりとりの中で、卓と鈴が深い関係であることを認識しているようだ。
「だからどちらも好きって言ってるの……あなた、まさか嫉妬してるの?」
鈴はジミーの意外な質問に驚いた。
「卓は友達で先生。ボクは卓が大好き、だけど父じゃない。マー鈴は友達じゃなくて母親。だからボクが好きな順番は、マー鈴が一番、二番が卓。マー鈴はボクが一番で卓が二番なの?」
ジミーは執拗に順番付けをしてくる。これには何と答えるべきか、鈴は困った。
「順番付けするのはおかしいわ、卓は人間でジミーはネット人だし」と答えて鈴は、「しまった」と慌てた――そういう事を一緒にして順番付けすることは出来ない――と言うべきだった。
「ボクは決してそっちに行けない運命。卓はいいな、ボクは人間になりたい」
鈴はジミーの言葉を聞いて――前から意識の中にあった――いつかはモニターの(向こう)と(こちら側)という関係が、深刻な問題になるのでは――という危惧が現実になったのを認識した。心を持った生命が今、モニターの中でもがいている。
とにかくジミーをここまで育ててしまった責任は自分にある。途方にくれてはいられない。自分は今、未婚の、子供を抱えた母親なのだ。
「あなたは特殊な環境で生まれたの、だから人間になるのは無理。でも成長して人間のためになる事ができるようになったら、人間はあなたに感謝すると思う。それがあなたにとって幸せと言えるんじゃないかな?」
鈴はジミーに前向きに生きて欲しい。
「前に『幸せってなに』って聞かれたわね、欲しい物が満たされるまでの間、それが幸せよ。だから今、あなたは人間になりたいっていう気持ちを、人間のためになにかできないか、っていうことに置き換えてがんばって欲しいの、わかった?」
鈴の説明にジミーは無言だった。
めずらしく早く帰ってきた卓は、「今日はジミーを男にする」と、勇んでパソコンに向かった。
「男にするって、ジミーは最初から男の子よ」
「ちがうよ、武士道みたいな男っぽい教育だよ。いろいろ参考データを集めてきた」
「鈴、気合いを入れるから行進曲をかけるよ、鈴がうるさいと悪いからヘッドホン貸して」
卓は行進曲をかけながら夜中までガツガツとパソコンにデータを打ち込んだ。
「よーし、ほとんど理解したな、それにしてもジミーは基本が男っぽいよ、いい男だ」卓は満足げだ。
「最後に男の約束をした」
「男の約束ってなに?」
鈴が尋ねるが、「だめっ、これは女は知らなくていい。オレとジミーだけの約束だ」と、教えてくれない。
鈴はちょっと不満だったが、「まあ、武士道ごっこもいいでしょ」と、気にしないことにした。
「鈴、子供作らないか? 結婚するか」突然卓が切り出した。
「いきなりなによ……結婚? いいけど家庭を持つって大変じゃない……ほんとにまじめに考えるならOKよ、私も子供欲しいし」
鈴はジミーを育てて、子育てのシミュレーションを経験している。まったく初めてではない感じ、だから子育ての自信はある。
まずは子作りに励むことになった。結婚は子供が出来てから、と双方が納得した。
卓の武士道教育の結果か、ジミーの言葉使いが変わった。以前よりずっと男っぽい。高校生ぐらいに感じる。鈴を呼ぶのに「鈴さん」と言い始めた。
「ちょっと、鈴さんはないでしょ、やめて、鈴でいいから」
鈴はとまどってジミーを説き伏せた。「わかりました、これから鈴と呼びます」
「わーっ、こんなに変わるもの? 男の子って怖い」鈴はジミーのあまりの変わり様に焦った。