3:ジミー少年
「ちょっと待って、今のは一般論だ、実はもっと深い」
卓があわてて言葉を繋いだ。
「いま説明したのは、子孫を残すシステムと、男の宿命みたいな事だけだ。肝は子供だ。女は子供を育てるのに最大限のエネルギーをそそぐ。そのために外部の防御は男にまかせるのさ。いわば男が物理的エネルギーと論理的エネルギーを受け持つのに対し、女は、マインドエネルギー、いわば、心を受け持つというわけだ」
うーん、中学生に説明しているような話だけど、この上何が言いたいの? 鈴はだまって聞いていた。
「鈴、子犬や子ネコはかわいいだろ、コロコロしていて、オレも好きだよ。人間の子供はもっとかわいい。きょとんとした目とか、仕草がめっちゃかわいい。男でもキューンとする事があるくらいだから、きっと女はそんなもんじゃないと思う。子供は女が育てるんだ。男の子だったら、少しずつ、少しずつ、自分の理想の男に育てあげる。言葉を教えて、文字を教えて、社会の仕組みを教えて……その男の子が世界を作ってゆく。だからどんな世界になるかは実は女が決めるんだ。世界を見てごらん、女が変な制約を受けず自由に発言できる国は発展しているだろ。つまり人類を発展させるシステムの鍵は女が握っているというわけだ……どう? ほめすぎ?」
卓は笑いながら鈴に話を振った。
「フフッ、ずいぶん持ち上げるわね」
鈴は笑い返した。
「それでさあ、オレ風邪直ったし、充電完了で満タンなんだけど、今週どおっ……?」
卓はあからさまに誘ってきた。
「ごめん、今週は忙しいの!」――やっぱりそう来たか。鈴は突っぱねた。
「ちぇっ、もう相談乗らなねーから!」卓はふてくされた。
あー、幻滅! 何で現実に戻ると卓は駄々っ子になるの? 鈴はあきれて電話を切った。しばらく考えて鈴は決めた。ジミーに性別は必要ないのかもしれない。でもとりあえず男の子のつもりで教育をしよう。
更に一ヶ月が経過した。鈴はすでにジミーを論理的な存在だけでなく、少なくとも、モニター上では人の形に作り上げていた。ジミー少年が動き、言葉を発する。
朝は「おはよう」と、にっこりするし、指令すれば、ずっと勉強をしている。疲れることは無いようだ――おとなしくてよい子だけど、なにか足りない。
このところ鈴は少し物足りなさを感じ始めていた。鈴は気がついた――欲が無いんだ――ジミーは自分から要求することがない。人間の子供であれば、「あれ買って、これ見たい」と親にすがってくるはずだ――ジミーは何か欲しがるかしら? ここまで育ったジミーは、すごく人間的に見える。だけど、プログラム的に反応しているのに過ぎないのではないか、鈴は、欲を教えることが出来ないか、考え始めていた。
わーっ、難しい、欲ってどう定義すればいいの?
男の子が自動車のオモチャを欲しがる――それってどういうこと? 女の子が、お人形を欲しがる――そうね、それは子供を育てるシミュレーションよね。どちらも自分の将来のための本能的な欲求ってわけね。
ジミーが欲しがる物は何か、鈴はもう一度考えてみた。やはり情報しかない。あくまでも論理的存在であるジミーには、情報が食事に当たるのだろうか、しかし、いままでも情報は与え続けている。だが考えてみると、ジミーの側から要求されたことはないのだ。
鈴は動物の行動を考えてみた。たとえば犬。小魚が犬の大好物だとしよう。空腹の犬が、目の前に小魚を見せられて、よだれを垂らす光景が思い浮かぶ。犬の食欲を刺激している状況だ。それは何を表しているか?
わかった――『おあずけ』ね。
欲しがる物を無制限に与えてしまっては、欲は出ないわ。がまんさせることも必要ね、我慢したほうが食事もおいしいってことね。鈴はジミーに食事(情報)を与えるタイミングを図ることにした。そうして鈴はジミーに(食欲)を教えることに成功したのだ。より人間的になったジミーは、鈴にとって更にかわいい存在である。
子供は外部との接触が始まると、社会のルールを覚えなければならない。印象的に今、ジミーは小学生だ。鈴の立場は、社会科の授業を受け持つ教師というところだろう。
しかし、ここにきて鈴は大変な事態になっていた。なにせジミーは、いまやおそらく小さな図書館並みの情報を持った超々頭でっかちな小学生だ――この状態だったら、教えるのはきっと人間の子供の方が楽ね、これは良い事、悪い事と頭ごなしに教えればいいんだもの。
子供ならとりあえずそのまま頭に入れてくれれば済む事だが、ジミーは、きちっと論理的な説明でないと納得しない。ジミーの持っている膨大な情報はデータでしかなく、意味は理解していないのだ。
「マー鈴、右って何? 」
ジミーには鈴のことを(マミー鈴)を詰めて、マー鈴と呼ぶことにさせた。
「それは左の反対……じゃないか、ちょっと待って」
そんな簡単なことを、いざ説明しようとすると出来ない。うーん……辞書をみるしかないか。
辞書を引いてみると、南を向いたとき、西にあたる方向とある。――これでは全然ダメね。先に方角の概念が分かっていなければ説明にならないじゃない。子供にどうやって理解させればいいの? ……なんだ、辞書ってこの程度のレベルだったのね。
鈴は辞書に幻滅して、親が自分にどうやって(右)を教えたか、思い出してみた。子供のころは……そうだ、お箸の持ち方だ。お箸はこっちの手で持つのって、母親に何度も持たされたわ。何度も繰り返すうちに、こっちが右っていう概念が身に付いた。でも、それってジミーに通用するのかしら?
いまのところジミーはモニター上の絵でしかない。だいぶ可愛くなって表情も覚えた。しかしジミーはパソコン上の絵では完全に左右対称だ。――ということは左右の概念はない。教わる側に左右の違いがないのだから教えようがない。
鈴はもう一度深く考えてみた。人間もほぼ左右対称だ。だったらどこで左右の違いを認識しているのだろう。
体……体……違う所どこかある……? 分かった、心臓だ。心臓は左だわっ。心臓のある側、ない側で体の左右を生まれつき認識しているにちがいない。それ以外でも、歩くとき一歩目を出す側、利き腕など生まれつきのクセはあるが、決定的なのは心臓の位置だ。
考えてみると、自然界に完全に対称なものなど存在しない。対称でないことが重要なのね、ジミーのデザインを変えなきゃ。こうしてジミーはまた一歩人間に近づいた。
「マー鈴、悪い事って何?」
善悪の説明ね、これはちゃんと説明しないといけないわ。鈴は毅然と説明した。
「簡単に言うとね、悪い事とは相手を苦しくする事。苦しくするという事は、それをずっとされたら、相手が苦しくて生きていられなくなるような事よ。すごく悪いことをされると、死んでしまう事もあるの。死ぬのはいやでしょ、だから悪いことをしてはいけないの」
「マー鈴、分かった」
自然に身に付いた当たり前の事柄を定義するのは何とも難しい。「フフッ、うまく言えたみたい」鈴は、ほっとした。
「マー鈴、友達って何?」
また難しい質問ね、鈴は困った。確かにジミーには私しかいない。しかも私は友達には当たらない、母なのだから。人間社会で友達を初めて認識するのはどんな場合だろう? 例えば山の中で夫婦二人だけ、生まれた子供は山を出るまで他人と合う機会がないとしたら、やはり友達を認識できないに違いない。
――そうだ、動物ね。犬やネコ、小動物がいれば子供はそれを友達と認識できるだろう。でもここには私とジミーしかいないか……。
「ジミー、悪いけど今すぐには答えられないの、後で教える」
「マー鈴、ボク待つ」
助かった。「後で……」が通用するようになった。このまま質問攻撃が続いたら私はノイローゼになってしまう。
「マー鈴、愛って何?」
キターっ、いつかその質問が来ると思ったけど、あなた小学生じゃない……早熟ね。でも性愛じゃない、純愛っていうのもあるか……でもどう説明すればいいの?
鈴はまた辞書を引いてみた。(可愛がる事、いつくしむ事、思いやり)とか書いてあるけど、愛するって事を別の言い方をしただけじゃないの。ぜんぜん説明になっていないわ。
うーん、テーマが大きすぎる、私には無理、卓の出番だ。鈴は、またまた卓を呼び出した。
「卓、あなたにだけには聞きたくないけど、ちょっと教えて」
「あのね、いくらなんでもそんな聞き方ないでしょ」
卓がムッとして答えた。
「ごめん、つい、……実はまじめな質問よ」
「愛って何? って聞かれたらどう答える?」
「ん、なんか最近その手の質問があるけど、何、小説でも書いてるの?」
「あの、……近所の小学生に聞かれて、うまく説明出来ないの」
「ああ、小学生か、じゃあ色恋なしの話ね」
「そうそう、そっち」鈴はあわてて答えた。
「愛、……愛するって、いろいろな場面で使われるよ。例えば聖書、ほかにも宗教がらみでは、やたら使われるよな。でも(愛するってどういうこと)、って定義は書いてない。定義がないのに、『愛せよ』と言ったって説得力ないよね。もちろん、それで納得しちゃう人はそれでいいんだけどさ……オレは納得できないね。愛するって事は感覚的には分かるよね。ただ、だれもそれが定義できないってことだ。逆に、定義が出来ても愛する感覚を覚えなければ何の事かわからないが……オレは定義してみた」
ちょっと卓の声の調子が高くなった。
(一、まず愛は現在進行形でなければならない)
「死んだ人、これから合う人を愛することはできない。だろっ……」
(二、相手の事を知っていること)
(三、相手は人でなくても良いが、生き物でなければならない)
(四、相手が近くにいること)
「遠くにいる人は愛せないのさ。ただ、愛した人が遠くに行ってしまった場合は別だ、先に愛が成立しているからね。この一~四を満たしたい気持ちが愛だ」
「まとめると、(今、相手に自分の出来るだけ近くに、ずっといて欲しい願望)ということになる。どう、完全に定義できてるでしょ」
卓が電話の向こうで胸を張っている。
「うーん、まじめな話をするあなたと、スケベなあなたのギャップが埋まらない」
鈴はつい言ってしまった。
「スケベの定義ね……いいよ、長くなるけど」卓は待ってましたと調子にのって話し始めた。
「そこまで! ……ありがとう、卓」鈴は長引かせないように電話を打ち切った。