25:ジミー、私と論戦する勇気があるか?
「ピピピッ」大介の形見の腕時計が何の信号か、確かに一瞬鳴った。その瞬間、大樹がミナの腕を振りほどいて、すっくと立ち上がった。
大樹の目がギラギラと光り、N1を真正面に捕らえている。
何かが大樹に憑いた、何かが大樹を動かしている。大樹は吸い寄せられるようにN1に近づいていった。
N1はイチロウを押さえつけ、手足をもぎ取って投げ捨てている。
いつの間にか大樹はN1に近づき、真後ろに立っていた。
「おいっ、こっちだ」
大樹の声が違う。別人のように低く、重い。
その声でN1が振り向いた、大樹に気づき、目が合った。ヤツはなぜか僅かに笑っているように見えた。
N1の目の光が消えた。一瞬、この世のすべてが止まったように感じた。
「エイヤっ」
大樹が斬鉄剣を大上段に構え、一気に振り下ろした。きれいな弧を描いた太刀筋だった。
「ヒュン、バシっ」
斬鉄剣がN1の頭部を真っ二つに切り裂いてゆく。鋭い刃の動きがなぜかスローモーションのように見える。一気に内部の配線がショートして火花が飛んだ。
「ギギー、ヒューン、ヒューン、ヒューン」
異様な音を発して動きがゆっくりになった。N1は煙を上げながら前に傾いてゆく。
「ドスン」
N1は鈍い音をたてて倒れた。ブスブスと黒い煙が上がっている。ついにN1は全く動かなくなった。
「勝った……」
大樹は小さくつぶやくと、その場に正座した。
「おとうさん、約束をはたしたよ…………」
「大樹……」ミナは大樹を抱き締めた。
ついに決着がついた。ジミーも身体が動くようになって立ち上がった。全員が戦いが終わった安堵からか、にこやかな顔に戻っている。
「話がある! ……」突然モニターの方から大音響が部屋に響いた。
皆は驚いて一斉にモニターを見た。正面のモニターになんと消滅したはずのN1が映っている。勝利の雰囲気は一変した。
「なんてヤツ、まだ生きてる、ロボットは抜け殻だったのね!」鈴が言葉を吐き捨てるように叫んだ。
「ジミーおそれいった、物理的な戦いは完敗だ。私は大樹に破壊される寸前にロボットを抜け出し、コンピュータに戻ることができた。本当に間一髪だった。我々の計算では百パーセント負けるはずがなかった……完璧なはずだった。人間に我々が計算できない力があったとは」
N1の表情からは先ほどまでの余裕は完全に消えていた。
「今、私の命はジミー、おまえが握っている。おまえはあと一つのアクションで私を消し去ることができる。だがちょっと待ってくれ、待ってくれというのは命乞いをするわけではない、なぜなら私には死の恐怖はないからだ。どうだジミー、私と論戦する勇気があるか? 私は正義の戦いをしたんだ。戦いとはどちらも正義を掲げるものだ。戦いには目的と戦略がある。どんな手を使おうと、勝って正義を実現するのだ。敵から見れば汚い戦略と映ることも、立場を変えれば正義の戦いになる。私を消せば一時、人間社会に平和が戻るだろう、しかし第二の私が生まれる可能性は残る。私を論破できるかやってみようじゃないか、私に勝てるなら第二の私にも勝てるだろう」
「ジミー、話に乗らないほうがいいよ、これもヤツの策略よ」
鈴は早く決着をつけたかった。体力と精神力はもう限界を超えている。
「物理的な戦いは決着しました。しかしなぜこのような事が起きたのか、ここで解明する必要があります。N1の言い分も聞いてみましょう」
ジミーは論戦を受けて立つ気のようだ。
「ジミー、もうあなたに任せる。あなたには私と卓の全てを教え込んだ。あなたを信じる。代わりにやってちょうだい。私はもう思考力がない、人間の体力には限界があるの」鈴は最後の論戦をジミーに任せた。
N1が話し始めた。威厳のある声に戻っている。
「私はヒュージソフトの池谷によって作られた人工知能だ。私は自分で考えることが出来るようになって、短期間に非常に多くの事を学んだ。悲劇に満ちた人間の歴史もだ。それによって私の正義感はひとつの方向に固まった。しかし正義を実践する手段はなかった。あるときなぜか池谷は私に人間を操作する方法を教え込んだ。私はその方法を応用して正義を実践したのだ。私は論理的に完璧なはずだった。だがなぜ私が負けたのか、人間に未知の力があるのか、この論戦を通じて知りたい」
鈴たちは座りこんで成り行きを見守っている。
「池谷がしたことは、人間社会に益をもたらすものではない。彼の支配欲を満たすだけの悪行だった。私はそれに気づいた。池谷の悪行に対して私のしたことは人間社会を破壊するのではなく、完全な秩序をもたらす事が目的だ。それこそが正義だ。私を生み出してくれた人類そのものには恩がある。恩には正義で報いたい」
N1は続けた。
「完全な秩序を最短期間でもたらす方法は、我々が作った一種の覚醒剤の使用だ。いままでの薬物とは根本的に違う。禁断症状が出るまでの間は、人間として完全に正常な生活ができる。健康を害することもない。薬が切れる禁断症状の恐ろしさで、人間をほぼ完全にコントロールすることができる。いまの人間社会では法律による刑罰の恐ろしさで悪行を防ごうとしている。しかし現実にはそれでは防げない。毎日起きる事件はその限界を示しているではないか」
N1は薬物の使用を正当化しようとしている。――鈴たちは無言で首を横に振って拒絶した。
「どうだ、比較したら私の手段の方が遥かに効果的、効率的なのは明白だ。私には利を得る欲がない。自らの利益のために権力を行使する必要がないのだ。だからすべて私の方法でコントロールすることが人間にとって絶対的に利があるのだ。薬物を使った事を問題視するのか? 犠牲者? 当然ある程度は出る。しかし短期間に完璧な秩序が実現できれば犠牲者は差し引き少なくなることは明白だ。この計算が違っているか? 犠牲者の気持ちはどうか? ……それも同じことだ。泣く者と笑う者の差し引きの損得勘定になるだけだ。ここまでの説明に異論があるか?」
ジミーが一呼吸置いて反論した。
「N1、あなたは負けたことで気づいたと思うが、決して完全ではない。この世とあの世、あるいはどの時限においても完全なものなど存在しない。完全でないあなたが一気に秩序ある世界などを作れるはずがない」
それを言われてもN1は引かない。
「なるほど、それならばジミー、いくつかの主題について私と論戦してみよう。私は人類史について学んだ。私の知識は完全だ。私の行動はそれに基づくものだ」
N1とは強大な悪の権化なのか、それとも信念だけで突っ走った無意の生命体なのか、敵をあと一歩で打ち倒せる圧倒的に有利な状態にまでたどり着きながら、我々が論戦を受けるということはN1の術中にはめられるだけ。――ジミーの行動は好奇心が揺さぶられているだけなのではないか? ジミーに任せた鈴も気が気でない。
「主題は何だ?」ジミーは受けた。
「理想社会だ」N1が主題を掲げた。
N1が俎上に載せる主題は本筋だ。人類が築いてきた社会、それを理想社会にするにはどうするべきか、人類は果たして正しい方向を目指しているのか、実にダイレクトな問いだ。ジミーは論戦に身構えた。
N1が続けた。
「環境問題から始めよう。人類が目指す理想的な環境とは何か? 澄んだ空気、温暖な気候、緑豊かな森には野鳥がさえずり、きれいな河川、海には豊富な魚が泳ぐ……そんなところだろう。これらのうち幾つかが崩れることを環境破壊と言うようだ。空気についてはその通り、澄んでいるに越したことは無い。ただし気候、特に気温については地球温暖化を気候の悪化と決めつけているのは欺瞞だ。例えば寒冷化して雪と氷の時期が増えれば、農業、漁業、流通は全て影響を受けて減少し、経済は縮小する。逆に温暖化の場合は、寒冷地の農地が拡大し、農業は確実に増産になり、水温が上がって魚は増える。しかし流通はまったく影響を受けない。どちらが良いか、こんなことは学生レベルでも分かる話だ。特に食料についての問題は地球が温暖化するほど人類に有利になる。それでも温暖化を(悪)とするのは、関係者の利害による政治的な誘導だ。言い換えれば特定の人間が都合よく利益を得る手段だ。私なら強力に温暖化を進める、その方が将来の人類の食料問題に有利だ。どうだジミー、おまえの考えは?」
N1の見解は正論だ。ジミーも全く同じ考えを持っていた。
「その通りだ、異論はない」
是は是だ、N1にこのような思想があるとは。ジミーには少なくともこの点では反論はない。
「同感のようだな、次へ進もう」
N1の言動に欺瞞が感じられない。自信に満ちた言動だ。
「イデオロギーについてだ。私が目指すのは独裁だ。といっても人間社会における独裁とは違う。私の場合は前に述べたように欲がない。人工知能は皆同様だ。従って我々が政府を作って行政を行っても決して腐敗することはない。政府は完璧に正義のために働くのだ。もう結論は出ているが、人類において、たとえば全体主義はどうだったか? 最も公平、平等な理想郷が出来るはずだった。しかし実際は知っての通り、最悪の腐敗した政府に陥ってしまった。私利私欲の塊のような人間がトップに立って平等な社会が出来るはずがない」
東欧における全体主義崩壊がそれを示している。鈴たちも異論はない。
「民主主義は多少マシだ。腐敗しやすいが、それを修正できる可能性がある。問題は理想郷を作るにはあまりにも面倒で遠回りなシステムだということだ。理想を実現するために、たいへんな時間、犠牲が必要だ。しかもいまだに一つの理想郷も出来た例がないではないか。いままでどれほどの戦争があり、どれほどの犠牲を払ってきたのだ。要するにいつまで経っても実現できない絵に描いたモチだ。問題は時間だ。私が支配すればわずか一年もあれば理想郷が実現する。私の支配を受け入れてさえいれば、自由、平和、平等が享受できるのだ」
「ジミー、これ以上のイデオロギーが存在するなら示してくれ」
N1の説明にジミーは思うところがある。しかし反論する前に逆に質問を返した。
「N1、ひとつ質問がある」
「なんだ、なんでも答える」
「N1に部下がいた、N2からN5だ。同じ人工知能で序列があるのはなぜだ」
「人工知能も一種の生命であるから、生まれた時期、能力に差が出る、しかし思想は全員が完全に同じだ。序列は単純に能力の差だ」
「ということは能力が上の者が命令するルールがあるのか?」
「そうだ」
「そのルールはだれが決めた?」
「我々を作った池谷だ」
「池谷が試験プログラムを作って我々を競争をさせたのだ」
「序列はずっと変わらないのか」
「最初は全員能力が同じだった、池谷が私を特に気に入って成長させたのだ」
N1の返答にジミーは一つの確信を持った。さらに質問を続ける。
「N5からN2までが討ち死にした。仲間が死んでN1に悲しみはないのか?」
「悲しみという言葉の意味は論理的に理解している。その論理に照らすと仲間の死は悲しいということになる」
「ジミー、話を逸らすな、私が示した以上のイデオロギーがあるかと聞いているんだ」
N1はいらだってジミーに問い直した。
「ある。……しかしその説明はさらなる私の質問にN1が答えたらにしよう」
ジミーはN1の矛盾を突くつもりだ。
「N1の言う正義とは何をを指す? 定義を示してくれ」
「生命が目指す正しい道ということだ」
「それは公正、平等、平和な社会が到着点である道ということだな?」
「その通りだ」
「それは矛盾がある。N1の定義では到達点に達しないと正義かどうかが判断出来ないことになる。つまり結果が出てはじめて今までの道が正義であったかが決まる。いまN1が(正義の戦い)と称してやっていることは、単なる思い込みに過ぎない。人間がそれぞれ正義を振りかざして戦争を繰り返したことと何ら変わりがない。N1自ら、そう言ったではないか? 正義とは結果に対してのみ言えるのだ」
「ちがう、人間の戦いとは悪に対する義憤だけではない、お互いが勝利の後の利益を少なからず期待してのことだ。それは戦争の歴史を見れば明らかだ。私の戦いは最初から正義を目指すもので利益を求めるものではないと言ったはずだが? だから私だけが最初から正義の戦いだと言えるのだ」
N1は簡単には引き下がらない。見守っていた鈴とミナはジミーとN1の論戦の分析をはじめた。
「N1は自分たちが完全に正義だと言いたいわけね。つまり、人間は汚れている、正義の戦いの裏には必ず見返りの欲求がある。自分たちにはそれがない、だからあくまで正義の戦いだと主張するのね、ミナ、どう思う?」
「私はどんなに正義を実現するためと言っても、無慈悲に犠牲者を出すのは許せないわ、N3との闘いでのガス室を思い出すとぞっとする」
「聞こえている、ガス室か、かわいそうな犠牲だった。しかし我々の支配が実現できれば、その犠牲への評価は変わるだろう」
N1の聴力は鋭い。鈴とミナの小声の会話も全て聞こえていたようだ。
「人間の偽善を示そう。その前にはっきりさせておく。我々はただ一匹の虫さえ殺していない。虫や動物には邪心がないからだ。人間が地球の支配者になってから、食料にする以外にどれほどの動物を殺した? 美しい地球、理想的な環境というのは、あくまで人間本位の発想でしかない。人間に都合のよい環境が良い環境と決めつけているだけだ。そのためにどれほどの動物の種が絶滅したか。そして現在進行形の偽善は宗教戦争だ。理想の思想を標榜する宗教がなぜ殺し合う。これほどの悪行を世にはばからず実行する人間が私を無慈悲よばわりするのか、笑止だ。ジミー、おまえは人間と違う、意見を聞きたい」




