19:男の約束
鈴も、外出しない、携帯も出来るだけ使わないなどの隠遁生活であったが、どうしても定期的に産婦人科に行かなければならない。以前の産院のこともあったので、やはり大病院は避け、いわば時代遅れのような病院を探した。
それにはミナが主に動いてくれた、全員が一緒に大介の運転で、そこに向かった。そこはまさに田舎の病院だった、あまり活気が無いが、それなりに看護士は多くいる。
一人でないだけに鈴も気が楽だった。皆が協力してヤツらの影響がないか探ってくれているからだ。順調という結果に鈴は安堵した。
帰りの車の中で大介がふと思いついた。
「じじいの所へ行ってみる。岸田の話から察するに、じじいも何かアイデアがあるような気がする」
「そうね、でも私たちは行っても難しい事はわからないわ、食事の支度とかあるからここで降りるわ、電車で二駅だからもう近いし」
大介だけが行くことになった。ここからなら秋葉まで三十分だ。
「この時刻なら、まだじじいの店はやってる、急がないと」
大介は首都高を飛ばした。
「ブーン、ブーン」携帯が振動した。
「はい、だれ?……」大介は電話を取った。
「鈴ちゃんが連れていかれた!」
ミナだった。鳴き声になっていて聞き取りにくいが、一瞬で事態は把握できた。
「どこで、どうなったの?」
「電車降りてマンションに向かってたら、いきなり捕まったの、私と大樹は逃げたけど鈴ちゃんが……」
大樹が代わった、「このまえ見た三人だよ、間違いない」
「やられた、鈴を助けなきゃ、大樹、いまどこにいる」
「マンションの近く、国道の歩道橋のとこ」
「わかった、すぐ行く」
大介は首都高を大急ぎで降り、反対車線に乗り換えた。
「なんとかしないと全てが終わりだ……」
気が狂ったようなスピードでマンションに向かった。
走りながら大介は考えた。ヤツらの行き先は絶対にエーアイ製薬だ、九分九厘間違いない、もうその読みに賭けるしかない。
歩道橋に着いた。「すぐ乗れっ」二人を乗せると大介はホイールスピンをしながら走り出した。
大介は走りながら二人にはっきりと、ゆっくり話しかけた。
「ふたりとも良く聞いて……今日で二人とお別れかもしれない。オレは鈴を助けに行く。行き先はエーアイ製薬の工場だ。鈴はそこに連れていかれるはずだ。それはオレの勘だ。分かっていると思うけど、それが外れだったらお仕舞いだ。当たっていたとしても、鈴を取り返えせる可能性は低い、すごく低い。でも、もうオレたちに出来ることはそれが全てだ、やってみるしかない」覚悟を決めた大介が低い声で言った。
「二人ともいいな!」
大介は涙をボロボロ流しながら運転している、二人も気持ちは一緒だ。エーアイ製薬までは普通なら約二時間の距離だ。飛ばせば一時間半、連中が普通に走っていてくれればエーアイ製薬までに追いつける。高速を降りたら少し山道に入る、そこは一本道だ。先に着けば待ち伏せができる。大介の車は車体の大きなトヨタ・ランクルだ、ヤツらの車も確かランクルだった。車は同格だ、それならば可能性がある。大介は走りながら作戦を練った。
道が空いていたことも幸いして、一時間ちょっとでエーアイ製薬の近くまで着いた。工場は山の頂上にある。大介は走りながら作戦の狙いに近い場所を探した。
「ここがいい」
その場所は山を上ってくる車が見渡せる。
「ここで待てばヤツらが必ずやってくる、その時が勝負だ」
大介は山道に直角な脇道に車を着けた。
「たぶんあと十分ぐらいでヤツらが来る。ここは一本道だから必ずここを通る。オレは最高速でヤツらに真横から突っ込む。前半分をぶっ壊してやる。鈴は後の荷物室にいるはずだ、うまく行けば鈴が助かる可能性はある。もう頼るのは運しかない」
大介はタバコを一服した。
しかし、「味が無い……いままでで一番まずいタバコだ」といって一服しただけでもみ消してしまった。
「そろそろだ、降りろ」
大介はミナと大樹を降ろして、窓から二人と握手をした。
別れ際に「大樹、オレの腕時計だ。学生のころから持っているものだ。身につけてくれ」
「ミナ、十年使ったジッポーのライターだ、いま渡せるのはこれしかない。さようならだ、できれば二人とも生き延びてくれ」
「きたっ」灰色のランクルが見えてきた。
「おとうさん、間違いない!」
「じゃあな……」
大介は窓を閉めた。もう振り向かない。じっと前方を見ている。
二人は直立して成り行きを見守っている。
ミナは大介と出会ったときのことを思い出した。
大樹は父親の男気を目の当たりにして、とてつもなく誇らしく感じた。
ランクルが射程に入った。比較的ゆっくり走っている。「ブワーっ」大介の車はアクセル全開で飛び出した。見る見る敵が近づいてくる。完全にタイミングが合っていた。大介の車は100キロ近い速度で、相手の前半分に突っ込んだ。
「ガッシャン、ガガーッ」大音響と共に二台の車はガードレールを突き破り、下に転がり落ちた。ミナと大樹は足が抜けるほど全力で現場に駆け寄った。
車は二台とも4メートルほど下の段差に落ちている。車は、前部が完全に壊れ、白煙が上がっている。幸いにも火は出ていない。
二人は階段をかけ降り、大介の車をのぞいた。
「おとうさん!」「大介!」ふたりは必死に声をかけた。車はひっくり返ってはいなかった。大介は意識があった。「オレはまだ生きてる。鈴を見にいってくれ」
鈴の方の車は、真横になっていた。窓ガラスは粉々に割れ、前半分が折れ曲がっている。ドアは開いていた。中をのぞくとだれもいない。車から放り出されたようだ。二人は連中は無視して、後部荷物室をのぞいた。
「ここよ!」鈴の声が聞こえた。元気なようだ。荷物室にベルトで拘束されていた事が幸いして、鈴はまったく怪我をしていなかった。
「助かった。よく来れたわね」
鈴は驚きながらも「大介はどこ?」と尋ねた。無事を確認した二人は鈴を助け出し、すぐ大介の救助に戻った。
大介は意識はあるが、非常に危険な状態なのは明らかだった。
「鈴はどうだった……」
大介は苦しそうだが、比較的はっきりした声で尋ねた。
「だいじょうぶだった。いまこっちに来る」
「よかった、それなら作戦大成功だ」
鈴が来た。
「私は大丈夫、それより大介を……」
三人は、車の状況を見て、それがほとんど不可能なことを察した。
「みんな……オレ……ダメだよ……」
「下半身がつぶれた車に完全に挟まってる。機械がないと抜け出せない……それと出血がひどい、動脈が切れたな」
見ると足元は血の海になっている。
「救急車が来ても、もう助からないよ」
「何かないの、棒でも何でも、引っ張り出せないの!」
ミナが叫んだ。
「ミナ、残念だけど、ダメだよ。あと三十分は持たないよ」
「エーっ、そんな、何よ大介、そんなこと言わないで」
「ミナ、落ち着いて……人はいつか死ぬんだよ……オレはちょっと早いだけ。いま、しびれて痛みはない。あと三十分、オレの思うようにさせてくれ」
「分かったわ、どうしたいの」ミナは吹っ切れた。
「車にパソコンがあったろ、見てくれ」
パソコンは無事だった。
「起動して……曲が聞きたい……」
「いいわ、準備する」
「それと大樹、こっちにおいで……いまから大事なことを言う」
ミナがパソコンを起動した。
「ありがとう。行進曲を聞きたい」
「曲は?」
「自衛隊マーチ」
「あった、これね」
ミナはパソコンの音を最大にした。
「♪タタタタ、ターターターター、タタタタタ……♪」
「いい曲だ……気持ちがいい……」
大介は目をつむってしばらくその曲をじっと聞いていた。
「これは男の約束だ、いいか大樹……」
大介は大樹を引き寄せ、耳元で小さな声で話し始めた。ひと通り話が終わったようだ、大樹が戻ってきた。
鈴が尋ねた、「何を話したの?」
「これは男の約束だから、女は関係ないの!」
大樹の大人じみた言い方に鈴はちょっと戸惑った。
しばらくして鈴に戦慄が走った。鈴の心の中でうずくまっていた卓の記憶がぐるぐる回り出した。
「行進曲……男の約束……? 卓とジミーの約束! 」
思い出した。あの時、卓はジミーに武士道を教えると言って、行進曲をかけていた。卓の言葉もなぜか大介と同じ、(男の約束)だった。
卓が死に際に言いきれなかった文字以外のキー、それがこの行進曲の事ではないか? 鈴は、卓が好んでかけていたのは、確かにこの曲だったことを覚えている。パスワードと行進曲の組み合わせ、それがジミーを呼び出すカギだ。
大介の意識が遂にもうろうとなってきた。
「大介、大介、やだ……死んじゃダメ、死んじゃダメ」
「おとうさん、ありがとう、ボク、おとうさんの子で良かった……」
ふたりが大介にしがみついた。そのまましばらく無言の時が過ぎた。大介は、とうとう動かなくなってしまった。
パトカーのサイレンが聞こえてきた。鈴たちは家族と関係者であることを警察に伝え、現場を去った。




