13:身方が欲しい
鈴は翌日、ぐったりしながら、これからどうするかを考えた。横浜の実家に帰ろうか、帰ればしばらくは安心できる。でもそれは、ほんの一時だけだ。このまま事態が進めば、あっと言う間にこの世が地獄に変わってしまう、間違いなく。
今は心が疲れきっている、なにか心の安寧が欲しい。……鈴は産婦人科医院にまた行ってみようと思い立った。医院の、あの先生にもういちど会いたい、そうすればきっと少しだけでも心が休まる。
朝早く出た。医院には開いた直後に着いた。鈴は今日、一人めの患者のようだ。
「双葉鈴さんどうぞ」看護士に呼ばれて診察室に入った。
「あれっ?」鈴は入るなり、診察室が全然変わっているのに驚いた。
前には無かった真新しい設備が並んでいる。
院長がやってきた。
「お加減はどうですか?」院長は前と変わらぬ優しい話し方で腰をかけた。
「特に悪くないですが、定期的に見てもらおうと思いまして」と話しながら、鈴は周りの機器類を見回した。
「ずいぶん変わりましたね」
院長はうれしそうな顔で、「近々息子が東京から帰ってくるんでね、この際、設備を入れ替えたんですよ」
「息子さんも先生ですか?」
「そうそう、ここを継ぐんで私はそろそろ引退ですよ」
先生は、新しい設備で、慣れない手つきだったが、いろいろ鈴を検査してくれた。
「こういう設備って、高いんでしょ、たいへんですね」鈴は設備の話に振った。
「あるところが、うちの息子に期待をしてくれて資金援助をしてくれましてね」
「まったくもって有り難い話ですよ」
「それってどんな所が援助してくれるんですか?」
鈴はちょっと話を突っ込んでみた。
「エーアイ製薬っていう……有名な……いや、あぶない……」
先生の調子が変わった、急に体調が悪くなったような。
鈴は、ふと思い出した、山野博士の事件を。それまで絶賛していた事を、急に否定し始める。それと同時に急激な体調の変化。卓の言う、覚醒剤が切れる寸前の状態だ。
「ちょと気分が悪くなった、いったん席を外しますがすぐ戻ります」
院長が部屋から出ていった。
鈴は震え上がった。「やられてる……」大慌て医院を飛び出した。
「ああっ、ここもダメ……」鈴はがっくりうなだれて帰宅した。
家に帰ると鈴は、ベッドに大の字になって、手足を広げた。鈴は今日のことを瞑想した。
あの先生まで取り込まれた。信用したい人が次々取り込まれている。いったいどこまで侵食されているのだろう、もう日本人の半分ぐらいはヤツらの奴隷になってしまっているのか、もう、手遅れじゃないか、それに、戦うのは自分一人? ……なんで? ……こんな大きな敵に、私が? ……冗談でしょ、ゴキブリが怖くて部屋に入れないような私が?……相手は途方もなく巨大な敵よ、バカよね私って、どう考えたって……。
鈴はすっかり投げやりになった。逃げて、隠れて、なんとかやり過ごす、実際できるのはそれぐらい。「もう諦めた……」
ひとことつぶやいて鈴は横向けになった……横になって体の違和感に気づいた。「子供!」鈴はガバっと起き上がった。「子供はどうなるの……」
自分の力のなさに、いったんは諦めた鈴だったが、このままでは生まれてくる子供にまで侵食が及ぶ。鈴は考え直した。「やるだけやって、だめだったら二人で死のうね」
もう、子供のために這ってでもやる、なんでもやってやる、卓も見てて。鈴はお腹を押えながら改めて誓いをたてた。
味方が欲しい。一人でも本当の味方がいれば、どんなに心強いことか、鈴はもういちど友人の心当たりを思い浮かべた。
長野ミナ――サキとの思い出話で出てきた高校美術部の同級生だ。山路大介と結婚したから、今は山路ミナかな……鈴は去年、同窓会名簿が届いていたのを思い出した。
見ると確かに山路大介と山路ミナになっている。電話番号も載っているし、現住所もけっこう近い。
「一か八か」鈴はためらわず電話をした。
ミナが出た。
「あのう、突然なんですが、高校で同期の双葉鈴ですが……」
「エっ……ああ、分かります、ミナです、どうもしばらくです……」
「結婚されたと聞きましたけど」
「そうなんです、大介と結婚しました。鈴、お元気? 大介も居ますよ」
「あっ、それじゃ代わってください」
大介に代わった。
「あのう、覚えてます、鈴さんでしょう……」
「呼ぶのは鈴でいいですよ。ところで、今どんなお仕事されてます?」
「うちはデザイン事務所です」
「あらっ、じゃあ同業じゃないですか、私はインテリアデザインをやってます」
「うちは広告からホームページ作成まで、まあ、何でも屋です。それじゃないと食えないんで」
鈴は、はっと思い出した、問題のOS、ドアーズ・10の件を。これってリトマス試験紙になるかも。もし、大介がヤツらに侵食されているとしたら、かならずOSのバージョンアップを養護するはずだ。
「デザインは主にどんなソフトを使ってますか?」
「パソコン用の主要なのは全部あります。目的によって使い分けてますね、たとえば……」
鈴が口をはさんだ。
「あの、パソコンのOSは何ですか?」
「OS? ドアーズ・9に決まってるじゃないですか。今、ほぼ強制的にドアーズ・10にバージョンアップとかやってるでしょう、これは根本的におかしいんです。そもそもOSっていうのは……」
大介がOSについて語り出した。
似ている、卓にそっくりだ。鈴は卓のイメージがふわっと沸いてきて、胸が熱くなった。
一通りOSについて講釈を聞いて、鈴は次の質問に移った。
「あの、突然話が変わりますけど、甘いジュースとか好きですか、私、もらい物がたくさん余ってて飲んでもらおうかと……」
「ジュースとかはですね……」大介が話始めると一瞬声が途切れた。
「もしもし」
電話が突然ミナに代わった。話をスピーカーで聞いていたようだ。
「大介はジュース全然飲まないの」
「エっ、なんで?」
「実はね、彼、デブだったでしょ、それで私にアタックしてきたとき、男もスタイルが良くないとねって冗談で言ったら、彼、本気にしちゃて、ジュースとか全部やめて、20キロも減量したのよ」
「それで私、感動しちゃって……」
「オイ、それをいうなよ」
大介が電話を奪い返した。
「くだらん話はもういいでしょ、とにかくまたお友達でいましょう」
「やった、味方みっけ」鈴は小躍りして喜んだ。
「こんにちわ、双葉です」
早く味方が欲しい、鈴は翌日にはもう山路家の前に立っていた。
「急にすみません」
「いえ、全然かまいません、私も鈴に会いたくて……」
「どうも、大介です」大介が出てきた。
「あらっ、デブじゃないわ」
出てきた大介に鈴は、ひどい言い方をした、それを最初に言おうと決めていた。気を悪くするに決まっている。心苦しいが、許して。
「そうだね……オレ、デブだったよ」
大介はいきなり鈴に言われて、正直、むっとした。そんな言い方ないだろう。
「昔はそうだったけど今はこの通り」ミナが慌てて雰囲気を取り繕った。
鈴は確信した――大丈夫!
すぐさま鈴は非礼を詫びた。
「ごめんなさい、大介さん、ミナさん、この通りです」
鈴は深々と頭をさげた。
ずっと頭をさげたままなので、二人があぜんとしている。
「鈴、どうしたの、なんか変じゃない? ……」
「そう、確かに変です。でもどうしてもそうしなければならない訳があるの」
鈴は涙目になって二人を見つめた。
「まあ、どうぞお入りになって、お話を聞くわ」
ミナが落ち着いているのが、鈴には心強い。奥の部屋に通された、そこは畳の部屋だった。鈴はきちんと正座をして話し始めた。
「これからお話するのは尋常な事ではありません。私が気が狂っているとしか思えないかもしれません、でも事実なんです」
「お二人はSFみたいな話って好きですか?」
鈴は信じてもらえない事は十分覚悟の上で話し続けた。もし逆の立場だったら、絶対信じられない。
「私たち大好きなんです、主人は特に好きで、私もSFマンガ書きましたよ、二人でストーリーを練ったりして」
「よかった、今から話すのはSFそのものです。でもそれが現実に、今起きているんです」
二人は顔を見合わせて同時に言った。
「何が起きてるんですか?」
鈴はジミーとの出会いから卓の死まで克明に話した、二人は全く質問せずにずっと聞いていた。




