11:卓の死
「鈴、オレ言ったろ、この世は女が作るんだ、おまえはこの事件の後の世を作ってくれ。
次のステップはエーアイ・Bドリンクの発売だ、それにカプセル溶解剤が入っている。もうエーアイ製薬が大規模な宣伝を始めている、それが発売されたら終わりだ、人工知能の世界が一気に完成する、何としてもそれを止めるんだ」
卓の表情がゆがんで来た、苦しさが増しているようだ。
「ウーっ、苦しくなってきた……まだ大丈夫だ。この覚醒剤が切れる前、約二時間だけが苦しいが元の人間に戻れる時間だ。人間の尊厳が戻ってくる。この時間のうちに、この悪魔の事を伝えようとした人が何人もいた。皆、死ぬのを覚悟でやったんだ。思い出してみると、山野先生、社長がそうだ。なにかを伝えようとして倒れた。首相が回復したということは、死ねなくて溶解剤を飲んだはずだ、それで平静に戻れる。だけどオレがこれ以上続けたら、オレは人工知能の指令を拒否できない。そして秘密を知ってしまったおまえを、オレと同様に覚醒剤患者にすることになる、それはおまえとおなかの子供を殺すこと。……鈴、オレが死を選ぶわけがわかったろ」
「卓、ウワーっ、ひどいよ、なんで……なんでそんなことになるの、そんなのヤダーっ」
鈴はこらえきれず泣き出した。
「鈴、悪いけど泣いてなんかいられないよ。あと一時間だ、もうひとつ阻止しなければならない事がある。ドアーズ・10、これは人工知能の命令装置だ、OSに組み込まれて、パソコンやスマホを介して人間に命令を送るシステムだ。今、強引なバージンアップをしているのはそれが狙いだ、だからメチャ有利な条件で強引に広めようとしているんだ。これが広まったら人類はヤツらから直接命令を受けることになる、完全にやつらの奴隷だ。覚醒剤が効き始めてしまった人間は、平静を装って近づき、仲間を増やそうとする、その見分け方を教える」
卓は苦しい息の下で必死に対策を伝えようとしている、鈴も泣くのをやめた、泣いてる場合じゃない。
「全く自然で見分けがつかないが、まず態度が妙に親切な事、それとヤツらが仲間を見分ける方法が分かった、黄色い星のマークだ。気をつけて見ると、体のどこかにそれがある。親切な人を疑ってかかるのは、心苦しいと思う、だけど親切はヤツらの手だ。もう一つ見分け方がある、態度に注意するんだ。試しに相手が気を悪くするような言葉を浴びせてみる。そのとき、ニヤっとしたら絶対ヤツらの仲間だ。専務ウチに来た時の態度がどうだったかを思い出して見ろ。ヤツらは覚醒剤拡散マニュアルで、そうするように仕組んでいる。だけどこれはヤツらのミスだ、ヤツらの手先だということが気づかれないように無理に笑顔を作る、それが不自然だということに考えが至っていない。だけどそれは最悪の方法だよな、見分けるために善意の人間にイヤな言葉を浴びせなければならないなんて……」
説明しながら、卓は怒りがこみ上げてきた。
「くそっ、なんて罪深いやつらだ!」
興奮した卓は、さらに苦しくなった。
「ウワーっ、ウーっ」
「卓、苦しいの、なんとかしたいけど、どうにも……」
鈴にはなす術がない。
「ウーっ、まだ話すことが……重要な事が……」
「鈴、最後まで言えないかもしれない、子供を、子供を頼む……」
「分かってる、卓、絶対に産んで、立派に育てる。約束する!」
「鈴、ありがとう……心は少し楽になった」
「卓、人工知能の事は分かったけど、どうやって対抗するの、私なんかに何ができるの」
「ジミーを呼び戻すんだ、ジミーなら何とかなる」
「えっ、ジミーは呼び戻せないんでしょ、あなたが無理だって……」
「それが、たったひとつ可能性が……ある……ウーっ、苦しい」
「もうダメだ……」
卓は、手足が硬直してきた、表情は苦しそうなまま、なんとか言葉だけを発している。
「男の約束……パスワード……武士……メモリ………………アアーっ」
「ウー……………」卓のうめきがだんだん小さくなってきた。
「卓、戻って、行かないで、卓……卓……」
卓は動かなくなった。
鈴は思考も時間も空間も止まって、宇宙の中にポツンと自分だけがいる。
……………
いったい何時間たったろう、「男の約束……? ……」鈴の思考だけがよみがえった。
「ジミーを呼び戻す……男の約束……なんだろう……?」
鈴は体も動くようになってきて、救急車を呼んだ。卓の言う通り、エーアイ病院から救急車が到着した。
まったく卓の予告通りに事は運んでいる。「そうなんだ……」鈴は確信した。
卓の葬儀は極めて普通に行われた。鈴は泣き崩れて悲しみにくれる恋人を演じた。悲しくないわけではないが、鈴の心の中には、はっきりと卓が宿っている。卓の遺言を忠実に守っている。卓と一緒に闘う。そのために、鈴は単なる感情だけの自分ではなく、周囲を意識した行動を取っている。
鈴は葬儀に訪れた人々を注意深く観察した。喪主は卓の母、葬儀委員長は会社の、あの専務だった。
「私どもは短い間に二つの葬儀を行うことになってしまいました。我々の社長、そして井上卓さんです。両人とも会社にとってかけがえのない人物でした、特に井上さんは……」 専務は型どおりの弔辞を述べた。
この人は間違いなくヤツらだ、試してみるしかない。鈴は一計をめぐらした。
「ご結婚の予定だったと聞きました、さぞ残念だったと思います」
専務が鈴に近寄ってきて、お悔やみを伝えはじめた。
「あなた、会社で卓を責めたでしょう、私はそれが原因と思ってる、卓が心労でおかしくなったんだわっ!」
鈴はいきなり専務に罵声を浴びせた。周囲は慌てて鈴をなだめに集まった。専務は驚いた様子だったが、だまって引き下がった。
鈴は見逃さない。専務の表情の変化は、まさに卓の言う通りだった。
「やっぱり……卓、確認したよ」鈴は、周囲に聞こえない小さな声でつぶやいた。
もうひとつ確認することがあった。
鈴は専務に近寄って詫びた。「すみません、私、失礼なことを言ってしまいました……」
詫びながら鈴は、専務の体中を見回した。
「いや、無理もありません、気が動転されるのもよく分かります、私だって……」
鈴は専務の言葉など聞いていない。どこかに印があるはず……専務の体中を見回した。――あった――喪服のポケットから黄色いハンカチが少しはみ出している、葬儀に黄色いハンカチなどありえない。
さらに良く見ると、「星だ……」ハンカチの黄色地に、小さな星型の印刷がちらっと見えた。この分だとおそらく、葬儀関係者の中には相当にヤツらが混じっているはずだ。しかし、これ以上動くと警戒される。鈴は努めて、しおらしい女を演じた。




