第32話 北極星
◇理沙
「変わってほしくないって、そんな漠然としたことを言われても困る」
私はただただ困惑していた。
おとなしく人生のレールに乗れ、お前はこうあるべきだと言われた事は数え切れないほどある。でも、自分のスタンスを崩さないでほしいと願われたことはこれが初めてだ。
「変なことを言っているのは分かってる。でも、ここで片岡がブレてしまうのは、やっぱり違うと思うんだ」
「そう言われても、私には……よくわからない」
岩本の真っ直ぐな言葉に、思わず私は彼から視線をそらす。
片岡理沙に変わって欲しくない。
それは、私自身が一番思っていることでもある。
しかし、いざ融や時雨が一歩先へと進化していく、変わっていく姿を目の当たりにしたらどうだ?
私は変わらなくてはならない、そう思わずにはいられない。
勇気を出して普段では選ばないような水着を買ってみたり、絶対に乗らないようなアトラクションに乗ったりした。
でも結果は散々だ。
変わろうとしなければならないのに、行動なんて起こさなければよかったと思ってしまう。それくらい今の私はブレている。
「融や奈良原は確かに進化していると思う。今までよりも凄くなっているのが俺にもよくわかる。それで、片岡が焦ってしまう気持ちも、よくわかる」
「……わかっているなら、どうしてそんな事を」
「片岡まで変わってしまったら、あの2人が迷ったときに道しるべが無くなってしまうだろ。北極星みたいなもんなんだよ、『ストレンジ・カメレオン』というバンドの、片岡理沙というベーシストは」
北極星――それは夜空に輝く星々が地球の自転に合わせて動く中で、まるでコンパスの針を刺した場所のようにずっと動かない星。
融や時雨が夜空を大きく動き回るのだから、私こそ一点にとどまって2人の帰る場所になるべき。岩本が言いたいのはそういうこと。
「変わること、進化することが良いことだとされがちだけど、俺はそうは思わない。変わらないっていう選択肢だって、あっていいはずなんだ」
「……だから私に変わるなと?」
「ああ。でもこれは俺のエゴ。できればそうあってほしいという、ただの願い。どちらが正解なのか、胸を張って答えられるくらいの器量は俺にはないよ」
そこまで語気が強かった岩本だが、急に語尾の声量が落ちる。
もしかすると彼も彼で心理的に不安定な状態なのだろうか。私はそんな違和感を覚える。
「そう言うお前だって、変わって欲しくないだの変わるのが正解とは限らないだの随分なブレようじゃないか」
「ハハハ、痛いところを突いてくる」
岩本は自嘲する。
我が強くて自信家なはずの岩本陽介は、その瞬間とても弱々しく見えた。
「笑ってごまかそうとするな」
「じゃあ、泣いたほうがいいか?」
「お前の泣き顔なんて見ても嬉しくも楽しくもない」
「手厳しいな」
もう一度彼は自嘲する。
まだ冗談を言う余裕があるのだなと思っていた矢先、急にシリアスなトーンで彼は弱音をこぼし始めた。
「……正直、音楽をやることに参っているんだ。目標を見失っている」
「目標? メジャーデビューしてちやほやされることか?」
「それもある。でも、参っているのはそれじゃない」
それもあるのかよと、心の中でツッコミを入れつつ私は彼の言葉に耳を傾ける。
「目標としていた人が、音楽を辞めちゃいそうなんだ。いや、もう実質辞めている状態」
「それは、まあ……、気の毒だな……」
「タイミング悪く俺も自分のバンドが解散しちゃったしな。何か掴めるかと思って宅録コンテストに向けて曲を作ってはいるけど、より参っているのが悪化しているというか」
泣き面に蜂ということわざがまさにぴったりだろう。
不思議と悪いことというのは立て続けに起こりやすい。
「でも、お前が参っていることと私に変わらないでいてほしいことは別問題だろ?」
「それがそうでもないんだよ。俺の憧れたその目標の人は、片岡によく似たスタンスのベーシストだから」
彼がそう言うと、私の中でようやくそこで点と点だった話がひとつ線になった。
「つまり、私をその目標の人と重ねていたということか」
「……まあ、概ね正解だ」
少しバツが悪そうに岩本はそう言う。
その姿を見て、私はイラッとしてしまう。
「回りくどく言いやがって。最初からそういう風に言えばいいんだよ全く」
「そうでもしないと片岡に訴えかけるには難しいかと思って」
「お前の中での私はどう思われているんだよ」
「そりゃあ、芯のあるカタブツベーシストに決まってるだろ」
まるで千日手のようにキリのないやり取り。私は思わず呆れ笑いを浮かべ、そのあと大きなため息をついた。
苦手でいけ好かない奴だと思っていた岩本陽介だけれども、なんとなくお互いに共鳴するところがあるような気がしてきた。
こいつと言葉で語り合うのは結構非効率なことだと思う。私らしく行動してみるほうが、多分良い方向に進む。そんな気がする。
「ようやく岩本という人間の大枠がわかってきた気がするよ」
「そりゃどうも」
「まあでも、岩本という人間がわかってきたおかげで、私自身もなんとなくわかってきた」
私のやるべきこと。
変わるとか変わらないとか、多分そういうレベルの話じゃない。
万物は流転するから変わらなきゃいけないことは必ずある。でも、変わらないという選択肢だってきっと間違いではない。
言葉にすると難しい。しかし、先程岩本がちょうどいい比喩表現を用意してくれた。それを拝借しようと思う。
「要するに、私は『北極星』を目指せばいいってことだろ?」
誰かにとっての帰る場所だったり、目標とする目印だったり、そういう存在になる素質が私にはある。
融や時雨にとっての『北極星』であることはもちろん、ついでに岩本の『北極星』にもなってやれば一石二鳥。
「『北極星』って言葉、すっかり気に入ってるじゃないか」
「ハハハ、違いない」
お互いにクシャッとした顔で笑う。
ずっと自問自答を続けていた迷いみたいなものが、スッといなくなった。
乗る前の重苦しい空気が嘘のように変わる。観覧車はちょうど一周を終えて乗降場所へ戻ってきた。
先に降りていた融と時雨は、私達のちょっとした変化に気づいたかどうかはわからない。
でもそれでいい。一番大切なのは、自分が迷わないことだ。私は私らしく、真っ直ぐいこう。
……それにしても、岩本の憧れるベーシストというのは何者なのだろうか。私にスタンスが似ていると言うのであれば、それはそれで一度会って見たい気もする。
まあ、そのうちどこかで会うだろう。
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サブタイトルは忘れらんねえよの『北極星』




