第31話 観覧車
◇理沙
観覧車のゴンドラの中。この広いようで狭い空間にいるのは、私と岩本だった。
やけっぱちで繰り出したパーの手は、よりにもよって岩本と被ってしまったのだ。
今一番会話をしたくない相手筆頭だ。観覧車が一周するまでの約15分間、こいつと同じ空間を共有しなければならない。
おまけに、私は先程こいつに溺れかけたところを助けてもらっている。このまま沈黙を保ったまま一周を終えるというのは、どうも礼節に欠けてしまうので私自身許すことが出来なかった。
こんなときになって初めて、私は自分の育ちの良さを少し恨んだ。
「……さっきは、その、……ありがとう。助かった」
なんとか声を出して沈黙を破る。ここ最近で一番勇気を消費した瞬間だと思う。
「助けたのが俺で悪かったな」
そんな私の気持ちなど知らず、帰ってきたのは少し卑屈そうな言葉だった。本当は融が助けたら良かったのになという表情で、岩本はそっぽを向く。
「別にそんなこと思ってない。単純に礼が言いたいだけだ」
「礼なんていい。……よくわからないけど、俺もとっさに手が出た感じだった。ほぼ無意識だ」
「なんだよそれ。素直にどういたしましてくらい言えよ」
すると、岩本は気持ちの入っていない声で、
「どういたしまして」
と言う。私はそれに少しイラッとして、
「可愛くないやつ」
とすぐさま返した。
やっぱり岩本と話すとどこかお互い喧嘩腰な気がする。
性格的にも、会話のリズム的にも、こいつとは波長が全く合わない。
しかしながら沈黙を破ったおかげでお互いに少しエンジンがかかってきたのだろう。少しの間をおいてから、岩本がまた皮肉っぽく話を切り出す。
「片岡がウォータースライダーに乗ろうとしたとき、正気かって思った」
「どういうことだよ」
「どう見たって水に対する恐怖心と言うか、泳ぐのが苦手なのが見え見えだったからな」
水に対する恐怖心は極力出さないように心がけていたけれど、深層心理から滲み出る行動の不自然さは隠せなかったらしい。
「……そんなにわかりやすかったのか、私」
「少なくとも俺には。融は多分気づいてなかった。奈良原は……、知ってて黙っていた感じ」
私のことだけでなく、時雨のことまで岩本はちゃんと言い当てていた。こいつはよく人を見ている。
「どこまで人のこと観察してるんだか。そういうのが趣味なのか?」
「そういうわけじゃない。ここのところの片岡、どうもおかしかったからな。ちょっと心配してただけだ」
「別にそれは……、ただテスト疲れが出ただけで……」
「どうかな。気持ちが音に乗るタイプのベーシストが、疲れたぐらいでそんなにサウンドがブレるもんかよ」
うるさいな、と、私は心の中で岩本を睨みつける。
「……ほっとけ、お前なんかに何がわかるんだよ」
「何もわかんないな。本来の片岡理沙のサウンドが出てこないってことぐらいしか」
「じゃあ余計な口を出すなよ。お前に言われると腹が立つ」
私はこれ以上話しかけてくるなと言わんばかりに、強い言葉を放つ。
それでも岩本は何か言いたいことがあるらしく、声色を変えて話を続ける。
「……俺は悔しいんだよ。あれほど芯があってブレない音の持ち主が、あっさり崩れてしまうのが」
「岩本……?」
私は少し驚いた。
レコーディング中、あれほどボロクソに言ってきた岩本陽介が、ここに来て手のひらを返すようなことを言い始めたから。
彼はさらにこう続ける。
「俺はバンドサウンドを組み立てるとき、何か『軸』になるものをひとつ置く。今まで組んできたバンドだったら、自分のギターをそういうポジションにつけてきた」
ひとりのクリエイターとして、アレンジャーとして、岩本にはそういう手グセみたいなものがあるらしい。
確かに何事も軸になるものを見つけられたのならば、物事を進める上で役に立つ。
「でもあのライブで片岡を観て、それは間違いだったんだなっていうものすごい衝撃を受けた。まるで意思を持ったかのような、確固たるサウンドの持ち主だなって」
むず痒い。
こんなやつから褒め言葉みたいなセリフを聞くなんて、なんだか変な気持ちだ。
私はその気持ちをごまかそうと、振り払うようなことを言ってしまう。
「そんなの、買いかぶり過ぎだ」
「これはお世辞でもなんでもない。驚いているんだよ、俺は」
岩本の声に力が入る。
そのプレッシャーみたいなものに、私は少し気圧されてしまう。
「本来、原曲の『シャングリラ』はジャズベースを小気味よく指弾きで奏でる曲だ。でも片岡は、自分のスタイルを全く崩さずプレシジョンベースのピック弾きで演りきった。それも、まるで自分の曲にしてしまうかのように」
「それは別に……、それ以外やりようがなかったというか」
「俺はそれが羨ましかった。教科書の受け売りを寄せ集めたような自分なんて、全然芯がなかったんだなって」
完璧人間のように見えた岩本が、その瞬間私にはとても小さく見えた。
「……俺は、お前に変わって欲しくない。そう思ってる」
懇願するように告げられた彼の一言に、私は何も言い返せなかった。
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サブタイトルはMy Hair is Badの『観覧車』から
(音速ラインと迷った)




