第9話 偶然という名の必然
『私、陽介と付き合うことになったから』
悪夢の最後に時雨が言い放った言葉が頭の底から蘇って来る。嘘だろ? 嘘だと言ってくれ。
時雨が陽介とくっつく予兆なんて無かった。けど、人の心というのは案外あっさりと動いてしまったりする。
ましてやルックスも実力もある陽介だ、時雨がそれに惹かれないなんて保証は一切ない。陽介と僕なんかと比べたら、天秤にかける以前の問題だろう。
もし本当に時雨が陽介と付き合っているならば、僕は全ての生き甲斐を失うに等しいレベルのショックを受けることになる。そうなれば、今度こそ立ち直れるかわからない。
……いや待て、流石に決めつけるのは早すぎる。
たまたま2人が出くわしたとか、僕と同じく勉強のために来ている可能性だってゼロではない。
落ち着け、落ち着くんだ。
そう自分自身に言い聞かせ、僕は平静を保とうと下唇を噛む。
するとその刹那、背後からこれまた聴き慣れた声で話しかけられた。
「あれ? 融じゃんか。なんでここにいるんだ?」
「り、理沙……? そっちこそどうして?」
振り返るとそこには理沙がいた。
彼女はバーカウンターで引き換えたであろうウーロン茶を片手に持っている。
「ああ、岩本の知り合いのバンドのチケットがハケなくて困ってるから来ないかって言われてな。時雨と一緒に来てるんだ」
「なんだそういうことか。びっくりしちゃったよ」
僕は理沙の説明を聞いて文字通り胸をなでおろした。
その様子なら、時雨と陽介がデートで来ているとかそういう事はなさそうだ。
「融も岩本から誘われたのか? そんな話は聞いていなかったけど」
「いや、僕は部長から『お手本になるドラマーがいるから観に行こう』って誘われてさ、ハハハ……」
「そうだったのか、こんなハコで会うなんて世間は案外狭いもんだな」
「そ、そうだね……」
僕と理沙が話していると、時雨と陽介はそれを見つけたようでこっちにやって来た。
時雨と目があった時、ちょっとだけ彼女の緊張していた表情が緩んだような気がして、僕も少し安心した。どうやらライブハウスに来るのは初めてのようで、地下室独特の雰囲気に困惑していたみたいだった。
「融も来てたんだ。偶然だね」
「そうだね、僕もこんな場所にみんな揃っててびっくりしたよ」
「融も今日のライブに誰か知り合いがいるの?」
「ええっと、実は――」
僕がその説明をしようとすると、タイミングを見計らったかのように薫先輩が僕らのところへやって来た。
その瞬間、時雨の表情がちょっと動いた気がする。僕の勘違いだろうか。
「おお、有望な1年生たちが勢揃いじゃないか」
薫先輩がそう言うと、僕以外の3人は挨拶を返す。
軽音楽部とはいえ、こういうところはなんとなく体育会系の香りがしないでもない。
「へえ、融ってば、部長とデートかよ」
理沙がニヤニヤしながらそんなことを言うので、僕は真っ向から否定する。
「違う違う、さっきも言っただろ? 凄くドラムの上手い先輩がいるから勉強しに来たんだって」
理沙は「冗談だよ」と言うので、ちょっとムキになってしまっていた僕も落ち着きを取り戻そうと深呼吸をする。
心なしか時雨も、ちょっと大きめのため息をついたような気がした。
薫先輩は確かに魅力的な人だ。けれど本当に薫先輩のことを狙っている人もいるだろうし、あんまり誤解はされたくない気持ちはある。
「そういえば融、部長にドラムの特訓をつけてもらってるんだっけ。調子はどうなんだ?」
「まあまあかな。毎日走り込んでるし、ちょっと体力はついてきたかもしれない」
「走り込みって……、本当に基礎体力からトレーニングしているんだな。驚いた」
理沙のリアクションというのは正直なので、まさか僕がそんな基本的なところから鍛えているなんて思わなかったのだろう。
それでいて驚きながらもちゃんと僕の苦労をねぎらうあたり、彼女の育ちの良さというのを感じる。
「理沙もどう? 朝から走り込みしてみない?」
「私は遠慮しておく。ただでさえ岩本の面倒くさい注文に応えながらベースを弾くのでいっぱいいっぱいなんだ。走り込みなんて始めたら身体がいくつあっても足りないよ」
理沙は苦笑いする。
確かに陽介のレベルの高い注文を受け付けながら曲を録っていくのはさぞかし骨が折れるだろう。
その厳しさはなんていったって僕が1番知っているから。
「時雨はどう? コーラス録りは順調?」
僕は視線を時雨へ移して声をかける。
話を振られるとは思っていなかった時雨は、少し慌てふためいて答える。
「う、うん。録るのはすぐ終わったよ。理沙に比べたらそんなに大変じゃないよ」
「そっか、順調そうで良かった」
「だから今は曲作りの勉強をしてる。岩本くんって、ものすごく理論立てて曲を作ってて、とても参考になるんだ」
「そ、そうなんだ。ま、まあ、ライバルがいると気合が入るもんな……」
僕は時雨が陽介から曲作りを教えてもらっている場面を想像してしまい、また少し気持ちがどんよりとしてしまう。
やっぱりこんな気持ちを消し去るには、とにかくドラムの技術を上達させるしかない。
そう何度も言い聞かせているうちに、ホールの照明がゆっくりと落とされ、BGMは最初のバンドの登場曲に切り替わっていく。
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サブタイトルの元ネタはロードオブメジャーの『偶然という名の必然』です
是非聴いてみてください!




