第2話 Mr.Suicide
それからの僕の生活は自堕落の極みだった。
本職であるドラムを叩くことはもちろん無く、食い扶持を稼ぐためのアルバイトにも行かない。ただ部屋に籠もって酒を飲み、時間という時間を消費していた。
「クソっ……なんで僕ばっかりこんな目に……」
ここ数日は酩酊する意識の中、悔しい気持ちを独り言として吐き出すことを繰り返している。
傍から見ればどうしようもない大人だ。
しかし、生き甲斐にしていた自分のバンドを追放されるような形で辞めることになったのだ。誰だってこんな風に自暴自棄になる。
今頃、元いたバンドやレコード会社のウェブサイト、SNSなんかではメジャーデビュー決定の発表がなされ、ファンは大いに湧いていることだろう。
多分その中に、僕が脱退することに対して悲しんでいる人なんていない。
誰にも認識されないまま、静かに表舞台を去っていくのがこんなにも辛いのかと、そんなことを思い出す度に僕は心を抉られている。
気を紛らわすために部屋にはずっと音楽を鳴らしていた。
もちろん自分のバンドの曲や親しい仲間の曲など聴く気はしないので、遠い世界にいるような人の曲を選んでいる。
――その歌の主は奈良原時雨、今をときめくシンガーソングライター。
彼女の印象を一言で表すなら『透明感』だろう。
歌声にも容姿にも、この世の物とは思えない透き通った感じがある。
アイドルではないのでこういう表現をしていいのかはわからないが、彼女は僕の『推し』であると胸を張って言える。それぐらい好きだ。
そしてその特異なキャラクターと唯一無二の楽曲は、リスナーたちの心を鷲掴みにした。
ミュージックビデオやサブスクリプションの再生回数は国内随一となり、今や街を歩けば彼女の歌声を耳にしないことはない。
メジャーデビュー直前で戦力外となった僕とは、まるで月とスッポンの差だ。
ただ、不思議なことに僕は彼女と少しだけ面識がある。
奈良原時雨は、実は僕と同じ学校の同じ部活に所属していたのだ。
彼女は容姿こそ目立つが、何故かあまり人を寄せ付けない存在だった。
所属していた部活――軽音楽部でもほぼ幽霊部員のような感じ。
案の定、周囲に馴染むことなくいつの間にか部活を辞め、学校を辞め、そしていつの間にか歌手デビューをし、スターへの階段を駆け上がっていったのだ。
彼女とまともに会話をしたのは、最初に出会ったときのあの1回きりだ。
それでも鮮烈に覚えている。当時は高校生ながら、本当にこの人とは住む世界が違うのだなと思った。
あんな風になれたら僕も違う人生を歩んでいたのかなと、酔っ払いながらぼんやりそんなことを考えていた。
◆
もう何時間酒を浴びているだろうか。
窓の外はすっかり暗くなっている。
オーディオからは奈良原時雨が1週間前リリースした『トランスペアレント・ガール』というアルバムの『Re:』という曲が流れている。
この曲は今の僕にはよく刺さる。
それは、人生をもしやり直せたらこうしたいという気持ちを歌ったものだったから。
一方でつけっぱなしのテレビからはゴールデンタイムのバラエティ番組が放送されている。
当然、見る気なんて起きやしない。静かになるとまた余計なことを考えてしまうので、とにかく騒がしくしておくために惰性でつけているだけ。
途中で番組の間に挟まるニュースなんかも、内容は全く入ってこない。
しかし、とある臨時ニュースが流れたとき、僕は一気に意識が戻った。その内容が己の耳を疑わざるを得ないものだったから。
『速報です、人気シンガーソングライターの奈良原時雨さんが、今夜19時半ごろ自宅マンションのベランダから転落したという情報が入ってきました。現在奈良原さんは救急搬送され都内の病院で――』
「えっ……?うそ……、だろ……?」
あれだけ酒を飲んだのにも関わらず、酔いが急に醒めた。
自宅マンションのベランダから転落。
そう表現すると事故のようにも見えなくもないが、実際は自ら飛び降りたというのが正しいだろう。
すなわちそれは、自殺を図ったということ。
あの天才シンガーソングライターである奈良原時雨が、この世を憂いて自ら命を絶とうとしたのだ。
シンプルに僕はショックを受けた。
「なんでだよ……、そんなとこまで、新曲の通りにしなくたっていいじゃないか……」
彼女が『Re:』という歌に込めたメッセージというのは、この世に対する絶望であったのかもしれない。
成功者であっても、そこには成功者なりの悩みがあって、自分ではもう手に負えなかったのだろう。
そんな素人なりの考察を、僕は酔った脳みそで巡らせる。
あの奈良原時雨ですらこの世界には嫌気が差すのだ。底辺で這いつくばっている僕なんて、もうどうしようもない。
「……俺も、ベランダから飛び降りたら人生やり直せるかな……」
彼女がどんな大きな闇に包まれていたかは知る由もない。でも、僕だって今相当な絶望を抱えている。
人生をやり直せるならば、喜んで飛び降りる用意だってある。
この衝動を止めるブレーキが今の僕には無かった。
気がついたら何かに取り憑かれたかのようにベランダの手すりをよじ登っていた。
そうして、あとひと呼吸で飛び立てるというところで、僕の意識はふとそこでブラックアウトした。
傍から見れば奈良原時雨の後追いみたいに見えるだろう。
でもその時の僕は彼女の気持ちが痛いほどわかった。なんなら、ここで飛び降りれば本気で人生をやり直せると信じてやまなかったのだ。
やり直すために一度終わらせよう。それが奈良原時雨からのメッセージだったようにも思える。
――身体は重力に逆らうことなく地面へと向かっていく。
そうこうする間もなく、僕の人生はここで一旦幕を閉じることになった。
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サブタイトル元ネタは9mm Parabellum Bulletの『Mr.Suicide』だったりします
カッコいいのでそちらもぜひ聴いてみてください