第53話 シンデレラボーイ
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1時間ほど前まで爆音に包まれていたライブハウスは、ひっそりと静まり返っていた。
その片隅には陽介の姉、岩本明菜の姿がある。未完成フェスティバルの予選ライブが行われている最中はタバコが全く吸えなかったので、それが終わった今、ニコチンというニコチンを取り返そうとホール内にある灰皿の横で紫煙を漂わせていた。
彼女の吸うセブンスターの濃い煙の向こうには、同じようにタバコを吸おうとやってくるひとりの男がいた。その男は明菜の横に立つと、なぜか大きくため息をついた。
「……やっぱりお前かよ。明菜」
「久しぶりに会ったと思ったら、随分ショボいことしてんのな。優吾」
現れたのはスリアンことSleepwalk Androidsのドラマー、建山優吾だった。
彼もまた、タバコを吸いにここへやってきたのだ。
明菜と建山は旧知の仲。今現在融が所属している軽音楽部の同期だ。卒業してから約2年ぶりの再会である。
「嫌な予感がしたんだよ。あのギタリストにはなんだかお前の面影があるし、俺が壊したベースの代替機がリッケンバッカー4003だし」
「全く……。やっぱり犯人はお前だったのか」
「ああ俺さ。予選ライブを勝ち上がるなら、1番厄介な敵の弱い部分を突くのが定石だろ?」
「演奏で勝とうって気がないのが、お前らしいと言うか」
建山は薄いオレンジ色のソフトパックを取り出すと、そこから短めのタバコを一本取り出した。
彼の愛飲は赤マルだが、金銭的に余裕がないときはECHOを吸う。
「まあ、このコンテストは10代メインのものだし、俺らみたいに取ってつけたようにガキを加入させたバンドにとっちゃ、アウェーもアウェーってことよ」
「だから彼女のベースを壊したと」
「そういうこと。1番ブレたらまずいところがダメージを受けたら、俺らにもチャンスがあるんじゃねえかなって思ったわけだ。まあ、怪我の功名なのか余計にパワーアップしてたけどな」
「ざまあないな」
明菜は煙を吸い込んで、余った分を吐き出す。
昔から建山がこういう悪巧みをすることはよく知っているので、今更彼をどうこうしようという気は明菜には無い。
「まあでも? おかげで俺の言うことを聞いてくれる子分がひとり出来たわけだし、ポジティブにとらえておくわ」
「子分って……、また何か企んでいるのかよ」
「さあな。それは俺の思いつき次第。でも、コンテストにも落ちたわけだし、他の方法考えねえとな」
「真っ当にバンドが売れるようにすればいいものを」
もっともな明菜の指摘に、建山はヘラヘラと笑い返す。
「無理無理、馬鹿正直にやるとか正気じゃないって。この世界はずる賢くやらないと」
「どうだか」
「そんなことよりお前のあのベース、あの子にあげちゃうのか? 噂で聞いたけど、弾けなくなったんだろ?」
「さあね。それは私の思いつき次第」
食えない奴だと、建山は苦笑いする。
「まあでも、ある意味お前のおかげでちょっと自分を見直す機会を得た気がする。音楽辞めるかどうかは、別に今決めなくてもいいかなとは思えるようになったよ」
「おっ、じゃあベース弾けるようになったらうちのバンドに加入してくれよ。もう中村がすっかりやる気なくなっちゃってさあ」
「嫌なこった。まずはその曲がった根性なんとかしてから来やがれってんだ」
「おー怖、そんな怖い姉ちゃんのもとで育てられた弟くんはさぞかし厳しく育てられたんだろうな。かわいそうに」
明菜は何も言い返さなかった。
陽介にはそれなりに厳しく音楽のことを叩き込んだつもりだが、彼はそれを難なく吸収した。
ただ、そのセンスのおかげで何でも出来過ぎてしまう弟のことが少し心配でもあった。
バンドはひとりでは出来ない。
それだけは陽介に上手に教えることが出来なかった。
しかし、彼が自分のもとへベースを借りに来たとき、その懸念みたいなものは払拭された。
「あいつにはいい仲間がいるから、かわいそうなどころか羨ましいぐらいだよ」
「いい仲間ねえ……」
「あのドラム、面白い奴だな。建山なんかより、よっぽどいい」
「そうかあ? 高校生にしては上手いけど、それぐらいじゃねえの?」
明菜は短くなったタバコを灰皿に押し付ける。
そして立ち去り際、建山へ挨拶代わりに言う。
「それがわからないお前は、やっぱりそこまでってことだよ」
スタスタと明菜が立ち去ったあとには、何やら気に食わない顔をした建山が2本目のタバコに火をつけていた。
サブタイトルはSaucyDog『シンデレラボーイ』
次回、第2部最終話