第52-1話 フロムナウオン
◇陽介
融が合図を送ると、俺はレスポールの3弦と4弦をナイロンピックで叩くように弾き始める。
拍を取るために融が踏んでいるハイハットのペダルが小気味よくBPM190を刻んでいて、いよいよこのライブは始まりを迎える。
後を追いかけるように奈良原がジャズマスターをかき鳴らす。高まって来たところでブレイクが入り、タイトルコールが静けさを劈く。
「――『From now on』」
その一言を皮切りに、待っていましたと言わんばかりにリズム隊が援護射撃を仕掛けてきた。
融の軽快なエイトビート、理沙の真っ直ぐ突き刺さるベース。
俺の頭の中でずっと悩んでいたこの曲のアレンジは、びっくりするぐらいシンプルに様変わりしていた。
融いわく、本来はこんな曲なんだと言う。
それどころか、1周目より今の方が全然カッコいいだなんてそんなお世辞のようなことまで言ってくる。
全く、芝草融というやつは不思議なやつだ。
彼は10年後の未来からタイムリープしてきた。
その『未来』での融は、俺にバンドをクビにされたらしい。
そんな恨みがあるのならば、俺のことなど徹底的に嫌って復讐をすればいい。普通ならそう思う。
それでなくてもわざわざバンドなんてやり直す必要は無い。10年後の未来を知っているのなら、お金を儲けたり、もっと違うことを始めてみたり、色々なことが出来るはずなんだ。
でも融はそうしなかった。
心の根っこの部分で音楽が好きで、なおかつ、10年後に悲劇を迎えてしまうという奈良原時雨によっぽど惚れ込んでいるのだ。
そんな彼を見たらバカだなと思うやつもいるだろう。
わざわざ茨の道をもう一度歩こうなんて、そんなのまともとは思えないから。
でも今の俺は、あえてこの道を行く芝草融というやつをとてもカッコいいと思える。
俺なら絶対に出来ないことを、こいつは足掻くだけ足掻いて成し遂げてしまうのだ。
ドラムの腕前に関しても彼は真面目だ。10年分の上積みがあれば、高校生レベルの中では天狗になる。その10年分のテクニックをひけらかして、凡人を見下したり、自分の取り巻きを作って承認欲求を満たしたりしてしまうのが人間というもの。
芝草融は違った。
10年分の上積みに対して驕ることなく、馬鹿正直に基礎練習をずっと繰り返していたのだ。
たかだかコンテストひとつに落選して落ち込んでいた俺はそれを目の当たりにして、自分は本当にしょうもないなと思った。
そんな俺を融は許してくれた。そんなことが出来るやつなんてなかなかいない。それどころか、俺をギタリストとしてバンドに招き入れたのだ。
どう考えても俺は貰いすぎだ。
恩なんてレベルじゃない。こんなの、どうやって返したらいいかわからない。
でも融ならこう言うだろう。
「陽介とバンドを演れることが、幸せだ」と。
だから、俺に出来ることっていうのはひとつしかない。
このバンドで、最高のサウンドを鳴らす。それしかない。
奈良原が透き通る声でサビを歌い上げる。
そのサビの勢いそのまま、俺のギターソロがやって来た。
――今出せる全力をぶつけてやる。
足元に置いてあるアイバニーズのTS-9を踏みつけると、レスポールの音は激しさを増す。
正確なタッチとか、テクニカルなフレーズとか、そういうものはいらない。熱量という熱量、それをぶつけることだけしか頭にない。
エレキギターがこの世に誕生して半世紀以上。最新鋭の電子音楽が蔓延るなか、未だに音楽の最前線でこの楽器が使われる理由。
それは、弾き手の感情を1番乗せやすいから。
小笠原がなんだ、スリアンのライブがなんだ。そんなのをすべて吹き飛ばすぐらいの感情が、俺の中に渦巻いていた。
レスポールの6本の弦は、それを最高効率で音へと変換していく。
ギターを弾くのは、こんなに楽しかったんだな。
譜面には起こせないようなフレーズを弾き倒すと、曲は一旦静かになる。
間を繋ぐように理沙のベースが響く。
ありがとうみんな。俺はここに居られて最高の気分だよ。
サブタイトルはMy Hair is Bad「フロムナウオン」