3.創造の枷(かせ)
『ではなにか創造できたか?』
「ドラゴンですか?」
『ドラゴンでなくてもよいが、
生物を創造するのであれば、
必要なものがまだまだ多くある。』
「食べ物…生息地、でしょうか。
火を吐く理由は、エサを得るための捕食?
火を使えば寒さも凌げるかもしれません。
しかし爬虫類であれば…温暖な気候の土地が、
棲息に適しているのではないでしょうか。」
『それは固定観念だ。』
意見を否定され、子供たちは考えを改める。
『体毛を持たせることはできないか。』
「ドラゴンは爬虫類ではありませんか。」
『爬虫類とはいえ、ドラゴンだ。
創造の上なら羽毛くらい生えるだろう。』
「ではコウモリではなく、
風切羽を持つ鳥の仲間になります。」
『どちらでもよい。
世の中には飛べない鳥もいるだろう。
クジラやイルカ、蝶や蛾のように、
類型化はあくまで便宜だ。
創造に分類の精度を問う必要もない。
生物学とはそもそも、生物を
正しく観察することにあるのだからな。』
「創造の上での生物――、
生息地や大きさも自由であれば、
水鳥のように泳ぎ、クジラやシャチを
捕食するなどもできますね。」
『その通り。』
「深海に棲むドラゴンも。」
「火口などの極限環境でも。」
「宇宙で生きられる生命でも。」
子供たちは自由な発想で生物を創造する。
生物への固定観念は
子供たちの柔軟な思考を鈍らせていた。
すると大人は浮上して、
子供たちとの接続が切れた。