09
フェルディ教国の歓迎会は、和やかな雰囲気で開始された。
会場となった大広間には、フェルディ教国側から会談にも参加した使節5名、魔王国側から魔王と獣人族、小人族が集まっていた。
魔王国の歓迎会は、人族のものとは趣が異なる。
まず、立食形式の食事がメインであり、ダンスを踊ったり、楽団の演奏を楽しんだり…という娯楽はない。
あくまでもビュッフェを楽しみ、交流を楽しむのが魔族流の歓迎だった。
人族の貴族がするようなパーティとも違い、かと言って庶民が楽しむ宴会よりも豪華。
そんな位置付けである。
ちなみに魔族同士が集まると、ここから「どちらが多く飲めるのか対決」や「どちらが力が強いか対決」など様々な競技が行われ、それを周囲が賭け…という定番の流れがあるのだが、今日はもちろんそんなことはしない。
会場は大きなシャンデリアがいくつも魔術で浮かべられ、ふわふわと宙に揺れている。
床は大理石で、シャンデリアの光を浴びてきらきらと煌めいていた。
料理が並べられているテーブルには、見事な金糸の刺繍を施されたテーブルクロスが載っており、料理をより映えさせていた。
初めて見た者は、その全てがなんて幻想的なんだと感嘆の息を漏らすだろう。
もちろん、それはフェルディ教国の使節も例外ではない。
「お気に召していただけましたか?」
そう声を掛けられて振り返り、使節たちは再び感嘆の溜息をついた。
そこには、山吹色のイブニングドレスに身を包んだ白銀の髪の美女が立っていたのだ。
昼間の編み上げられた髪とは違い、今は緩やかなウェーブの髪が胸の前で踊っている。
その白銀と同じ色のリボンが腰に揺れ、髪には黄色いマリーゴールドが飾られて、なんとも可憐だ。
白銀の美女――魔王ソフィアは呆気に取られて固まっている一団を見て、こてんと首を傾げた。
そのなんと可愛らしいことか。
「まああ、ソフィアさん!本当に素敵ですわ!」
一同が呆けている中、一番最初に再起動したのはマリア大司祭だった。
果たして褒めているのは会場についてなのか、それとも魔王本人についてなのか。
その答えが出る前にソフィアが鈴の鳴るような声で笑う。
「ありがとうございます。とても嬉しいですわ。皆さま、今日はぜひたくさん食べて、たくさん飲んでいってくださいませ。」
そう言って淑女の礼を取った。人族の挨拶である。しかも、その完成度たるや、その辺の貴族のご令嬢よりも美しい所作である。
そのことにも使節たちは驚いたのだが、その後のソフィアの行動にも驚きを隠せなかった。
「さささ、マリア様!そういうことですから食べましょう!お好きな食べ物はなにかございますか?魔王国選りすぐりのシェフが腕に縒りを掛けて作ったお料理がいっぱいございますの!」
そう言うと、魔王は大司祭の腕を取って、下から覗き込んだのだ。
まるで小さなご令嬢が、姉や母に強請るようではないか。
昼間の凛とした姿勢はどこへやら。こちらが魔王の本来の性格なのか、それともこれも人心掌握術のひとつなのか。
ただ、大司祭はこれに完全に陥落したようで、「ええ、そうね!おすすめはあるかしら?」と言いながら朱に頬を染めている。
使節たちもこの様子にほっこりとして、微笑みながら後ろを付いて行った。
その後は、ソフィアに促されるままに料理を堪能することになった。
どの料理もフェルディ教国の使節のために肉や魚を使用していないもので、それでいて飽きさせないような工夫のあるものばかりだった。
その間にも獣人族や小人族を流れるように紹介され、談笑し、あっという間に時間が経った。
歓迎会が終わる頃には、人族も魔族もなく各地で会話に花が咲いており、それを大司祭もソフィアも満足そうに眺めていた。
「今回は本当に素敵な時間が過ごせました。今回、魔王国を訪れることができて良かったですわ。」
そうほのぼのと話す大司祭は、とても美しかった。
その隣には、先ほどとは逆に腕をがっちりと組まれているソフィアがおり、「ええ、本当に。」と嬉しそうに微笑んでいる。
二人の手元には可愛らしいケーキが鎮座している。デザートは別腹である。
大司祭の後ろにはピーターが控え、ソフィアの後ろにはフィルマンが控えているが、その二人の表情もとても穏やかだ。
良き縁を繋げたことに満足感を覚えているのだろう。
「さて、そろそろ……」
お開きにしましょう、と言おうとしてソフィアはぴたりと動きを止めた。
身体が重い……まるで、麻痺毒を服用したように。
「いかがなされタ?」
フィルマンの声にはっとして顔を上げるが、その動きも酷く緩慢に感じる。
隣のマリア大司祭に視線をやると、彼女も気怠げな表情を浮かべているではないか。
彼女はソフィアの視線に気が付くと「ちょっと年甲斐もなくはしゃぎ過ぎちゃったみたい」と、肩を竦めてみせた。
あぁ、きっとあのお茶だ。遅効性の毒だったのだ。なんてこと…。
ソフィアは虚しさに目を伏せた。
しかし、それも一瞬のこと。次の瞬間にはフィルマンをしかと見つめた。
「フィルマン、マリア大司祭はお疲れのご様子。お休みできるよう部屋を用意してほしいわ。使節の方々もお疲れでしょうし、あなたもお手伝いをしてあげて。私も少し疲れてしまったわ…。人酔いかしら?しばらく控え室で休むから、ひとりにしてくださる?」
ソフィアの意図はフィルマンにしっかりと伝わったようだ。
ほんの少しだけ眉間に皺を寄せてはいたが、「承知しタ」と返事をすると部屋の準備をメイド達に命じていた。
「マリア様、本日は本当に楽しいお時間をありがとうございました。次の機会には、ぜひ王都を案内させてくださいませ。今日はゆっくりとお休みになってください。」
「お気遣い感謝いたしますわ。本当に、疲れてしまったようで。お言葉に甘えさせていただきます。ソフィアさんもゆっくりお休みになってくださいましね。」
マリア大司祭と挨拶を交わすと、近くにいた獣人族の護衛を一人だけ連れて、控え室へと向かった。
控え室は、大広間から少し離れた、中庭に面した場所にある。
中庭には季節に応じた花が美しく咲き誇っているはずだが、生憎、闇夜に紛れてはっきりとは見えなかった。
ソフィアは重たい身体を引き摺り、部屋のソファに身体を預けた。
護衛は部屋の外に待機させている。そのため、部屋にはソフィア一人だけだった。
「はあぁ…」
ソファに深く腰掛けて目を瞑ると、自然と大きな溜息が出た。
会談は、思っていた以上の成果があった。
歓迎会も、終始和やかで種族を超えた友好関係がきちんと結ばれていた。
このまま、どうかこのまま何もないでくれと願ったというのに。こんなに残念なことはない。
がっくりと項垂れてから顔を上げると、窓辺に黒装束の男が四人立っていた。
フードを目深に被り、顔を窺うことはできない。
目を向けると、僅かに身構えたのが見えたが、向こうに動く気配はなかった。
じっとこちらを様子見しているようだ。
あぁ、どれだけ毒が効いているのか知りたいのかもしれないわ。
ぼんやりする頭でソフィアはそう思い立ち、苦笑いを浮かべた。
怠い身体を叱咤して、ゆったりと立ち上がる。
それを見ていた男たちは警戒の姿勢を取った。
随分と怖がられたものね、と苦笑を深め、なるべく優しく聞こえるように口を開いた。
「ごきげんよう、皆さん。そんなに警戒なさらないで。皆さんとお話したいと思って、こうして待っておりましたの。」
「話…だと…?」
一人の男が唸るように声を出した。
フードから覗く瞳は、こちらを睨んでいるように見える。
「ええ。月輝教は他者を害さないものと聞いておりますわ。そのように暗器を忍ばせていらっしゃるなど、教義に反していらっしゃるのではなくて?どんなご理由があって私を害そうとされているのか聞くのは、私の権利だと思いますわ。」
「はっ!月の女神はお前らのような下賤の民には微笑まれない。しかし、女。お前の血には利用価値がある。せいぜい利用してもらえることに感謝をすることだ。」
そう男が吐き捨てるように言うのを聞いて、ソフィアは何かが冷めていくのを感じた。
ぼんやりと霞む思考を、冷えたものが覆っていく。
この感覚は何だろう。だが、悪くないと思った。
「つまり、我ら魔族には、月の祝福はもたらされないと仰るのね?そして、この私を利用できると。そう仰るの?」
「当たり前だ。お前たちは汚らわしい種族だ。それに、お前のような非力な女に何ができる?」
男の蔑むような言葉を聞いて、ソフィアの中の冷たいものがぐんと大きくなった。
それと同時に、何かがカチリと填まったような感覚があった。
ああ、許せないのだ。
私の大切な民を、そんな風に扱うなんて。
そんな理由で利用しようとするなんて。
ならば、どうする?
――――――壊そう。
ひんやりした感覚が、身体中を包み込む。
それに呼応するように力を放出すれば、あっという間に部屋中が氷漬けになった。
「んなっ…!」
突然の事態に男たちが慌て出すが、すでに下半身は氷の中だ。
身動きをすることもできなくなった男たちは懐のナイフをソフィアに投げ付けるが、ナイフはソフィアに届く前に氷の塊となって地に落ちる。
男たちの顔に恐怖の色が広がる一方で、ソフィアは歓喜で頬が緩んでいく。
「やはり魔族など!血に飢えた悪魔なのだ!このばけも…」
暗殺者の叫びは最後まで続くことはなかった。
一陣の風とともに現れた翡翠の男が、手刀でその意識を刈り取ったからだ。
「…ジアス。なぜ…」
なぜここにいるのかと問おうとした声は、ジアスのきつい抱擁によって途切れさせられた。
「ソフィア、大丈夫だ。誰も害されてないよ。みんな無事だ。大丈夫。ゆっくりお休み。」
ソフィアが驚愕で固まっていると、耳元でジアスの低い声が響いた。
それと同時に背中を撫でられ、身体の力が抜けていく。
いつの間にか冷たいものは身体からなくなって、代わりに温かいものが流れ込んできた。
そして、微睡むようにソフィアはジアスの腕の中で意識を手放した。