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緑の森の姫君  作者: 高峰 玲
6/6

〈6〉より賢いほうの選択



 かつて、ひとりの従者が彼について、戦には興味のない人間だと言ったのを覚えている。

 だが、毎日のように馬を駆り、狩猟に明け暮れる男の四肢には力がみなぎり、無駄なく鍛えられた膂力はしなやかな鞭のように鋭い動きを作りだす。

 彼女は、あきらめていた。

 そう、確かにそれはあきらめであったはずだ。

 己の心に目を閉ざし、耳をふさぎ、口をつぐんで生きようとしたのだから。

 それは生ですらなかったかもしれない行為。

 自分ばかりか周囲をもいつわり、傷つけること。

 最後の最後で気づき、彼女はあがいた。あきらめることを、やめる。

 生きることを続けるために!


 華やかだが重苦しい衣装もヴェールも、枷とはなりえなかった。


 それらを凌駕するだけの力を彼女は持っていたから。

 天与の資質と、たゆまぬ努力が培った実力は、彼女の体に(いま)だとどまっていた。

「すまない」

 その瞬間、カドゥリアーナはわびた。

 ノマフィの手から剣が弾き飛ばされていた。

 あまりの出来事に、まだ事実を理解できていない男の頸窩に、放浪の剣士の剣の柄頭をたたきこむ。

 ルドゥーン王の娘はセルパ領主の後継の求愛をしりぞけたのだ。もう、後戻りはできない。

 王女であれ、農婦であれ、女に負けたという現実は容赦なくノマフィ・アルカーンを責め苛むだろう。自分が生きるために、カドゥリアーナはひとりの男の一生を……不名誉にまみれさせてしまった。

「……すまない」

 言葉でわびるしか、彼女にはできなかった。

 力なく男はその足元に伏している。


 しゅっ──剣が鞘走る音がした。


「カドゥリアーナ姫」

 感情を抑えた声で呼びかけられ、彼女はそちらを見た。

 抜剣したのはウッタル領主。その友の名誉を傷つけた女の足元に膝をつき、ヴェールの裾にくちづける。

「ウッタル領主ワケト・ワレン、王女殿下に求婚申し上げる!」

 言うが早いか斬りつけてくる。

 それをアコーウィンの剣で受け止めるカドゥリアーナと、男の目が合った。

 そこには当然、自分に対する怒りや憎しみがあるものと思っていた。

 しかしワケト・ワレンの瞳は感情的な乱れを映し出すことなく、青空のように澄んでいる。

「たぁっ!」

 気合を発しまずは男を突き放し、それから、カドゥリアーナは納得した。

 この男は、本当にノマフィのことが好きなのだ。ノマフィへの友情のために自分の名誉をも損ねて、かまわないほどに。

 知らず、彼女は笑んでいた。ならば自分も本気をださなければなるまい。無役の女の剣に負けたという汚名を、領主の身でかぶろうとはいい度胸だ。

「だが、負けてはやらんっ」

 口をついて叫びが出た。

 それを聞いてワケトが破顔する。彼の思惑をカドゥリアーナが理解したとわかったのだ。

「──っ! 手を抜くな、あほう!」

 次をかわしながら王女は叱責した。右手には不似合いな大剣を、左手にヴェールと裳裾をからめての大立ち回りにもかかわらずその動きは機敏でなめらかだ。

「では、ご覚悟めされませ。あなたは私の妻だ!」

「甘いわっっ」

 華奢なまでの彼女の身体つきからカドゥリアーナの戦いぶりを想像できる者など、いようか。

 自身もそこそこの使い手だけに、ワケトはカドゥリアーナとの斬り結びに没頭した。よもやそれがこようとは、思いだにしない。

 アコーウィンが伝授した武術は剣や弓だけではない。

 あまりに速すぎて何があったのかわからなかった、というのが広場にいたおおかたの意見だった。ワケト本人にしてからが、気がつけば膝を折って石畳にくずおれているという事態に直面していたくらいなのだ。

「うむ。技の()()はまあまあ、だな」

 剣を弾き返す反動を利用して回転した弟子が、ワケトのうなじに蹴りを入れたのを見届けた師匠がひとりごちる。

「すまぬなワケト・ワレンどの。貴殿の奥方にはなれそうもない」

 にこやかに彼女は言った。延髄斬りをまともにくらった男は、応えなかった。

「ワケト!」

 数人が走り寄り介抱にあたる。

「他にも我に、結婚を申し込む者はあるか?」

 若者たちを睥睨(へいげい)しながら王女は言った。

「おっおう!」

 命知らずはひとりではなかった。あるいはそれを友情というのかもしれないが……。

「誰だ?」

「ターンデル城主が一子チャトリカ。姫、ご無礼つかまつるっ」

 彼女以上にその体と不釣合な大剣を振りかぶった若者は、どう見てもカドゥリアーナより年下だ。剣技の拙さもさることながら、気合も満足に張りつめられない。

「未熟者が! 百年早いわ」

 言葉こそ乱暴だったが、彼女は少年を辛辣には扱わなかった。武器を奪っただけで背を向ける。

「姫! わたしと結婚してくださいっっ」

 次に決死の面持ちで立ちはだかった青年には見覚えがあった。

「ウシウシどのか」

 緊張からか、ウシウシは震えている。それでも、歯を鳴らしながら剣を構える。

「手が震えているぞ」

 こちらは上段に構えつつ、挑発の笑みを浮かべる。

「む、武者震いですっ」

 叫んで、スカルダのウシウシは斬りかかっていった。ほぼ、猪突猛進である。

 さっと(たい)をかわしてカドゥリアーナはウシウシの足を引っかけた。当然、彼は蹴っ躓(け  つまず)き、まろぶ。その鼻先に切っ先を突きつけて彼女はにこやかに告げた。

「残念だったな、ウシウシどの」

 すでにノマフィに対する罪悪感は払拭されていた。

 求婚者をひとりしりぞけるごとに、彼女の心は軽くなる。さながら、大空を翔る翼が生えそろっていくように。

「……姫君」

 背後からの声に振り返ると、新たに五人の若者が、剣を手にしていた。

「ガーティ領主エッダブ・ルの息子、コラルレです。カドゥリアーナ姫に求婚します」

 左端の男が額に剣をかざして言った。これも求愛の所作のひとつだ。

「よし、来い! ひとりふたりは面倒だ。五人いっぺんにかかってこいっ」

 宝冠を投げ、カドゥリアーナはヴェールを取った。光りものは弧を描いて老巫女の手におちつく。

「しかし、姫君……」

 かかってこいと言われたほうが、とまどっていた。普通の剣術の稽古ならばあることだ。だが、求婚のための試合に五人がかりとは……前代未聞である。

「来ないならば、こちらからゆくぞ!」

 水面に網を投げ入れるように若者たちにヴェールを投げかける。

「ご無礼っ」

 いちはやく、すでに抜いていたコラルレが斬りかかる。

「おう。コラルレどの、だったな。その他は誰だ? 名を名告られよ」

 カドゥリアーナ、いや、アナはわらっていた。

 迫りくる刃をかわしてコラルレの胸元に飛びこみ、左手だけで剣を持つ手を押さえる。それをくいっとねじって体を入れ替え、次を待つ。

「ご免!」

 ようやっとヴェールの下からもがき出てきた若者が剣を抜いた。

「名告れ」

「ギザンツのペペイ・ナーレン」

「ナーレン大臣の息子か」

 コラルレを放してアナは剣をとった。どちらかといえば逃げ腰の大臣の息子に、こちらから斬りつける。

「わあっ」

 剣撃の重さに若者はたまらず声を出す。じわじわとそれを押さえながら、彼女は後ろに向かって言った。

「いっぺんにかかってこい、と言ったぞ? 遠慮してどうする、コラルレどの」

 刃を下にして剣を両手で握っていたコラルレだったが、その声にはっとしたように王女を見る。

「来いよ」

 再度、彼女は誘う。振り返ろうともしない。

 剣をそのしなやかな首筋につきつけるだけ、ただそれだけで少女を傷つけることなく自分は勝利できるのではないか──誘惑は甘い幻想と化して彼を支配した。卑怯という言葉ならば、彼女が放棄したはずだ。

 そっとコラルレはアナの背後に忍び寄る。

「──姫!」

 剣先を上げると同時に、横っ面に衝撃を受けて彼は吹っ飛ばされた。何が起こったか、わからなかった。

「ガーティのっ」

 残る三人が様子を見る。

「だめだ。完全にのびている」

 彼らはその瞬間を目撃していた。

 カドゥリアーナの目はペペイ・ナーレンを見ていたが、コラルレが上げた刃に反応して左足が高く蹴り上げられた。優雅な舞のような動きで彼女はコラルレの顔面をなぎ、その回転の勢いのままペペイの剣を跳ね上げたのだ。

「参りました」

 大臣子息は潔く負けを認めた。

 剣をひき、王女はペペイに背を向ける。深い森の色の瞳が、三人の若者を見つめる。

「どうした?」

 かすかに上気した頬は輝くばかりに初々しく、紅をさした唇があざやかな微笑を彩る。少女(こども)というには(あで)やかで、そして女性(おとな)というにはあどけない、不思議な美しさをまとうものがそこにいた。

「! クント・リーズル、まいる!」

「同じく、セノ・イシト!」

「カニス・ワンバハ!」

 政界には興味のない彼女のこと、名前を聞いたところで誰がどこの領の者かわからないのだが、律儀に名告りをあげてかかってくる三人には好意的対応をした。

 すなわち、全力で応戦したのである。

「……勝負あったな」

 腕を組んでわざと傲然とそれを見守るルートウェックの傍へ来て、老巫女が言った。満足そうだった。

「巫女どの。あなたはこうなるとわかっていて……?」

 知っていて、この老女は王太子たる彼から結果を引き出させたのだ。

「──おおお!」

「姫の勝ちだ……」

 首尾よく若者たちをくだした王女に、広場がざわめく。


「……この感じ、覚えがある。以前にも同じようなことが、あった?」


 敗北者たちを見渡しながらカドゥリアーナが怪訝そうな顔をする。意識を取り戻したノマフィが、彼女を見つめていた。

「あ?」

 敗れた悔しさよりも彼女の強さをたたえるまなざしに、見覚えがあった。過去一度だけ、彼女はそれを受けたことがある。

「あのときの」

「思い出したようだな」

 うれしそうに、ノマフィは笑った。アナはうなずく。

 彼女は彼に会っていた。

 十年前……王宮の庭のひとつだった。ルカリィアは立太子式がらみで忙しく、彼女は同じように退屈している子供たちと遊んだ。ただ、その子供は王太子への忠誠の儀に参列するために来ていた地方領主の息子たちだったので……遊びはいつしかチャンバラごっこになっていた。あてがわれた姫君の役をアナはよしとせず、参戦してとうとう全員を負かしてしまったのだ。

 いの一番に倒されたのはセルパ領主の息子ノマフィ(当時八歳)であった……。

「姉上!」

 そのあいだに、割り込むようにルートウェックが走り寄る。

「お見事でした。姉上の、完全な勝利です」

「ルートウェック……」

 複雑な表情でカドゥリアーナは王太子を見つめる。

「いいや、まだ完全ではないぞよ」

 老巫女が水を差す。

「どういうことです?」

 巫女が宝冠を差し出すので、身をかがめてそれを戴きながらアナは訊いた。

「まだおまえが勝っていない男がおろうが。おまえにふさわしい、独り身の、王の血をひく男がそれそこに」

「(げげっ)!」

 巫女が示したところにいるのは、三人の男。

 ひとりは妻帯しているブブンカ宰相。ひとりは賢者ルカリィア、そしていまひとりは……。

「剣でもよし、知恵でもよし、王女を負かした男にこれを娶らせる。そう言ったな、王太子?」

「はい!」

 この異母弟は、はじめからそのつもりで──騙された、とカドゥリアーナは思った。

 まだ少年とはいえ王太子、国のためならば政略結婚の一つや二つ、画策してくれるのである。

「……ならば」

 その男の剣を握りしめ、彼女は言った。

「ならば戦うまでのこと」

 氷は水より出でて水よりも寒しという言葉があるが、彼女の剣技は未だその師をしのぐ域には達していない。しかし、負けるとわかっているからと、戦わずして膝を屈するなど嫌だった。

 それは彼女の──誇り。

「おまえの剣が、通用する相手ではないわ」

 イザーカが薄笑いを浮かべる。

「〰〰〰〰〰っ」

 すんでのところでカドゥリアーナは憤りを抑える。彼女が老巫女を殴れば、それは弱い者いじめになるのだ。

 王太子と共に彼女を(たばか)った三人がゆっくりと歩いてくる。アナはまっすぐにアコーウィン・ラドグリフを見据えた。

「おい」

 涼しい顔で大陸最強の英雄は言った。

「なんでそう俺をにらむんだ。殺気を感じるぞ」

 そうして彼女の手から愛剣を受け取ろうとする。一歩、彼女が後退する。

 かたくななその表情に、アコーウィンは苦笑した。

「もう剣は必要ないだろう? アナ、さっさとそいつをしまわせてくれ」

「アコーウィン?」

 カドゥリアーナは剣士を見上げる。男は笑ってうなずいた。その笑顔を、長いあいだ彼女は信じてきた。いまも……信じてもよいと思った。

「ほっほ、親子ほどに年の離れた娘はさすがに抱けぬか、アコーウィン・ラドグリフ」

「ばーさん」

 鍔鳴も高らかに、剣を鞘に収めてアコーウィンが嘆息する。

「親子ほどに、はなかろうが。俺はこいつとは二十と離れていないぞ」

「では求婚してみるか?」

「いいや。それはよそう……彼がする」

 言葉を聞いた瞬間、体中の血がざわつくのを感じた。

 いま、アコーウィンは、彼女の信頼する師は、何と言ったのだ?

 ふわり。

 篝火を受けて赤く映える飴色の長い髪が、視覚をよぎった。足元に、なにか……あるいは、誰かの気配を感じる。

 それがいったいなにものであるのか、確かめようと思いつつも、そこに目をやる勇気がカドゥリアーナは出せずにいた。

 冷たくなっているその指先に、温かいものが触れた。

 それはわずかに彼女の手を引き寄せ、次いでさらに温かいものが甲に触れる。


「我、シスマ王の次子ルカリィア・リギディアはここに、ルドゥーン王が息女カドゥリアーナに求婚します」


 静かな声だった。


 これは、夢だ──静寂の中、王女は自分にいいきかせる。現実でなど、あろうはずがない。


 しかし、老巫女の声が彼女の期待を打ち砕く。

「王女よ、応えよ」

「あ……」

 驚きに言うべき言葉を見つけられず、カドゥリアーナはただ視線をさまよわせた。

 こわかった。

 これは夢だと打ち消したものの、心の奥底は現実だと、喜んでいる。だが、それを確かめようとしたならばすべてがまぼろしと化し消え去ってしまう……そんな気がした。

「カドゥリアーナ」

 そっとその声が彼女を呼んだ。

 かすかな身じろぎひとつでまるで世界が壊れてしまうのではないかという慎重さで、視線を彼に向ける。

 ゆっくりと男は立ち上がった。

「……なぜ」

 水色の澄んだ瞳が、彼女を見つめていた。

 あたかも第三の眼のようにその額に輝く宝玉もまた……。

 彼女はそれを見るのがつらかった。自分の預かり知らない時空での、彼を思いたくはなかった。

 それなのに、いまはじめて彼女はそれにいとおしさを、感じる。

「応えは──否!」

 震えそうになる声を、気丈に(こら)え、告げた。

「理由を言え」

 老巫女イザーカが低くうなるように促す。

「血が……同じ王家の血統です。一族の内での婚姻は血を濁らせてしまう! そして」

「そして外聞も悪い、か? ふふん、なるほどのぉ。ではルカリィア王子よ。大賢者とまで称される御身はどうしてこの娘を娶る。近い血は気にならぬかや?」

 カドゥリアーナが自分の心をいつわりつづけてきた理由はそこにあった。王の娘ではなく、まったくの他人の子として預けられていたならば……。

 ルカリィアは微笑していた。少女は自分を嫌って、否と言ったのではないのだ。

「近くはありません」

「ほぉ?」

「カドゥリアーナの母君は外国から嫁いでいるし、彼女の父王にしても私の甥の子供の孫のひ孫のそのまたひ孫の孫の子供の孫です。途中、何度も他国の王女を娶っているし、国内でも同じ家から続けて王妃を出してはいません。けっして危惧するほど近くはないです」

「なるほど、一理あるな」

 イザーカも肯首する。

「カドゥリアーナ王女の心配ももっともなこと。正しいが、王子の言い分もまた正しい。どちらも正しいならば、より賢いほうがこの場合は勝ち、じゃな」

 カドゥリアーナとルカリィア、はたしてどちらがより賢い考え方をしていたのか……訊くまでもないことだった。

「おまえの剣が通用するはずもなかろうが。勝った者が姫を得よ」

 そうして巫女は散らばった花びらを集めて再び、ふたりに振りかける。

「待って!」

 それをカドゥリアーナは止めた。

「この身は……いつしか老い、やがては土に還ります。でもルカリィアはいつまでも老いず死ぬこともない……そんな(つか)の間の幸福を味わって死んでゆけというの?」

 彼女を見つめるルカリィアのまなざしが、さらにあたたかく、いとおしげなものになる。

「それは私も考えました。だからこそ、あなたを連れて冰湖へ行くのです」

「もう一度、メイシスに会うために?」

「そうです」

 男はうなずく。

「そして私はメイシスに願うつもりです。あなたに、私と同じ不老を与えるかさもなくば私に、人の身にふさわしい寿命をと」

「……それはいささか、あつかましい願いごとではないかえ?」

 呆れ顔で老巫女は言った。

「わかっています」

 にこやかに、だが、きっぱりとルカリィア・リギディアは言い切った。

「ですが、本気です」

 ともすれば女性的な美しさになぞらえられがちなルカリィアの柔和なおもてに、強い意志の()()がほの見えた。

「月明かりに映し出された水の宮殿へ上がったのはいつのことだったのか、すでにあれから何十年、何百年たったのかすら覚えてはいません。人としての命に縛られた生き方も、誰かをいとしいと感じることも、正直なところ私には縁遠いものになってしまったのだと……あきらめていました」

 それこそ、およそこの男には縁遠いことではないかと、カドゥリアーナは思った。彼女の知っているルカリィアは、困難を克服する術を()っている者、だ。克服できなければ、懐柔する。あきらめなくともよい方策を見つけだす名人だ。

「しかし、それはまちがいでした」

「まちがい、とな?」

「心のどこかで、私はあきらめてはいなかったのです。そして私はアナを……カドゥリアーナのことを」

「赤子のころから養い育てた娘としてではなく、ひとりのおなごとして、いとおしく想うておるというのじゃな」

 ご烱眼、おそれいるとルカリィアは頭を下げた。

 それから、反応を確かめるように想い人の顔をそっとうかがう。まぶしいのは、細やかな肢体を照らし出す篝火のせいばかりではない。

「賢者どの」

 おもむろに老巫女は言った。

「おまえさま……ものの見事に、顕聖魔女王の魔法にはめられましたな」

「まほう……?」

「さよう。魔法よ」

 ルカリィアの正面になるようにカドゥリアーナを引き寄せて立たせながら、イザーカは言を継ぐ。

「時という名のな」

「時間が、魔法?」

 カドゥリアーナのつぶやきに、またしても老巫女はにやりと笑った。そして応える。

「そうとも。おまえさまがた、犬や猫や、動物の子を育てたことがあるだろうに。あれらは我ら人とはちがう時の流れの中で生き死にをしておる種じゃ。賢者どのにとって、我らもまた同じ生きもの。養い子を育てるも犬の子を育てるも、同じこと。そう思ったはず」

 少々きまり悪げに、ルカリィアは肯定した。

 確かにそのとおりだった。彼が思ったのは、この世に生を受けた尊い命をひとつ、守り育てたいということだったのだ。

「ただし、いと賢き御仁が思い至らなんだそのことが、メイシスのかけた魔法にはまる原因となろうとはのう」

「ルカリィアが思い至らなかったことって、なに?」

「王妃の遺言でルドゥーン王から預かった赤子が、姫だったことじゃな」

「あたしが?」

「少年がいつしか一人前の男になるのはご自身の経験からも、かつて共に旅をした多くの英雄たちからも承知していたのであろうが……少女は、女性(にょしょう)になるのだよ。かたい蕾が美しく花開くように。絢爛と咲き誇るように。それに心を動かされぬようでは、人間、まだまだよのう。魔女王はいつかそんな日がくると見越していた。そうして賢者どのは、それにまんまとはまった、と」

「ならば……」

 カドゥリアーナの声が震えた。

 魔女王メイシスは、いつの日かルカリィアが再び自分の前に現れると()っているということに、なるのではないか。ひょっとすると……それを待っているのでは、ないだろうか……?

 答えを求めるように、自然とまなざしがルカリィアに向けられる。

 賢者どのはいつものようにゆったりとやわらかな微笑を浮かべて、尋ねた。

「私と共に、冰湖へ行っていただけますか?」

「行くわ」

「これからもずっと、私と一緒に旅を?」

「する。してあげるわ、ルカリィア。あんたってば、賢者さまって呼ばれてるわりに迂闊で、あたしより非力で世間ってもんがちっともわかっていないおまぬけ野郎だけど、あたしがずっと守ってあげる」

「カドゥリアーナ……」

 なんとも凛々しい求愛の言葉だった。

「どうやら、双方この婚姻に合意に達したようだ。このことについて異議のある者はおるか?」

 イザーカが王太子を見上げながら問うた。満足そうに口許に笑みをたたえ、少年はかぶりを振る。

「異議はない。我が姉姫と大賢者どのの未来に、幸いがあるように!」

 次代のリギディア王はあざやかな所作で抜剣し、剣の柄を額に押し当てた後に夜空にかかげて宣言した。

「幸いあれ!」

 大陸一の英雄もまた、抜き身をかかげて言祝(ことほ)いだ。

 無残な有様の婚礼衣装の裾をさばいてカドゥリアーナが膝を折る。その傍らでルカリィアも、謝意をこめて礼を執った。

 王太子と英雄はふたりの頭上で刃を交差させた。そこへ自分の抜き身を合わせて、ノマフィ・アルカーンは言った。

「……異議なし」

 そしてすばやく鞘に収めて降壇すると両親の隣に腰を下ろした。

「幸いあれ」

 スカルダのウシウシも友に倣って威儀をただした。こちらはその際に、カドゥリアーナに一言そっと伝えることを忘れない。

「やっぱり、以前に会ったこと、あったでしょう?」

「……ええ」

 まっすぐにその目を見つめてカドゥリアーナは応えた。

「でも、さっきまで忘れていたのは本当よ。悪いけど」

 ウシウシはうなずいたようだった。それっきり言葉は返さずに、自分の席へと戻る。

 その他の求婚者たちも、意識のある者はそれぞれ、恋の勝利者と花嫁を祝福してさがった。

 輝かしい王族たちのかかげる白刃の門の下、声高らかに巫女は言った。

「今宵、このときより、これなる男女を夫婦なる者たちと認める。天地(あめつち)のさかえ、陽の光、月の光ともにこのものたちを祝福されよ。大いなる(そら)、恵みなす水も清浄なる風もまた。王国の血を継ぐ者たちに、幸いあれ!」

「──さいわいあれ!」


     「「「幸いあれ──!!!」」」


 広場に集ったすべての人々が言祝ぐ中、ルカリィアは手を差し伸べてカドゥリアーナを立たせた。

 ねらい定めた瞬間どおりに、再び夜空に火の花が大輪を開いた。とどろく大爆音をものともせず、歓声が上がる。

 それらは、ふたりへの祝辞であり、王国の繁栄を願う声であり、そしてまた潔く花嫁を譲ったノマフィへの賛辞の声であった。

 青春の日々を一時期、大賢者と呼ばれる今夜の花嫁簒奪者と旅をしたことのあるセルパ領主シャンシャシャ──つまり、花婿になりそこねた男の父親である──が巫女に替わって座を仕切る。

「つつがなく婚儀の式は終了いたした。この後は無礼講とする! みな心ゆくまで飲み、おふたりの喜びを祝ってくだされい」

 花婿が息子から旧友に変更されたところで揺るがない、領主の太っ腹であった。

 言葉には出さなくてもノマフィが許婚の姫を想っていたことを彼は知っていたが。

 すっぱり告白できない息子に、心中ひそかに握りこぶしを固めていた父であったが。

 それでも、ルカリィア・リギディアが想い人を得て人生の孤独をわずかなりとも埋めることができるのならば、彼は、うれしかった。

 この日のために用意した酒樽をすべて広場へ運ばせ、次々と栓を開ける。お祝いものだ。老いも若きも、貴族も農民も関係ない。酒杯は乾くことなく、女たちが腕をふるったごちそうも遠慮なくたいらげられてゆく。

 ずたぼろな花嫁姿は許せない、というミルバラによってカドゥリアーナはまたしても衣装替えのために舘に連れ去られていた。

 いつ果てるともしれぬ宴の中、途切れることなく祝福してくれる人の波をさばきながら、ルカリィアはノマフィを探していた。

 具体的に何かを……弁解の言葉を言いたいのではなかった。しかしひとりの人間として、男という存在として、けじめをつけたかったのだ。

 さりげなく人の輪からはずれる。

 料理の皿や酒を手に、とりどりに円になって座る人々のあいだにノマフィの姿はなかった。カドゥリアーナに敗れた若者たちの座の中にも。

 ルカリィアを認めたワケト・ワレンが目顔で館の方を示したので、賢者はそちらへ向かった。とりあえず、中庭の四阿をめざす。

 はたして、ノマフィはそこにいた。しかし、賢者どのの思惑の外に先客があった。アコーウィンだ。

「あいつがルカリィアを選ばなかったら、俺は……失望していたかもしれない」

 夜気の中に響いた言葉にルカリィアは足を止める。

「それは……なんとなくわかります」

 ノマフィの声音は静かだった。

「わかるか」

「はい、たぶん」

 その先を聞く必要はなかった。

 それはきっと、彼が知ってはいけないことなのだ。

 ルカリィアはきびすを返した。おそらく、アコーウィンは近づいてきた人間に気づいているのだろうが、ここで立ち去るのは彼らへの、せめてもの礼節だ。

「……ルカリィア」

 回廊まで戻るとカドゥリアーナがいた。身に着けているのは膝丈の、活動的な衣服だ。頭に高く結び上げた背を覆う、滝のような髪の流れがあれば、どこから見ても女戦士といういでたちは、旅装束でもある。

「行きますか」

 賢者は微笑んだ。

「うん」

 夜明けを待たず、これから()つことは相談するまでもなかった。

 簡単な暇乞いの手紙を領主に宛ててしたためると、ふたりはルカリィアが乗ってきた馬を引いて館をあとにした。





 不思議と、誰にも見咎められることはなかった。人気(ひとけ)のない町並みを抜け、畑を越え、街道に出る。

 天空に冴える満月が、恋人たちの行く手を照らしていた。ふたりは、並んで歩いていた。少しだけ後を馬が行く。

 にぎやかな宴の声や楽の音が、風にのってかすかに聞こえてくる……聞こえたような気が、した。

「……後悔、していますか?」

 一度だけカドゥリアーナが振り返った。だが、ルカリィアの言葉には首を振る。

「してない。ただ、悪いことしたと思って」

 誰に、とは言わなかった。

「私もですよ」

 しかしルカリィアは信じている。

 いつの日かきっと、彼らのくれた思いやりを、相応のやり方で返すことができるにちがいないと。そう思うことが、信じることが、希望になる。

 いつになるかはわからない。

 もう二度と、会えないかもしれない。

 それでも──信じていたかった。


「止まって」


 不意にアナが制した。

 いきなり目の前で立ち止まられ、ルカリィアの背にぶつからないように馬が足踏みする。

「……誰っ?」

 夜とはいえ、月明かりの照らす見通しのよい一本道である。距離塚がわりの大木に向かって鋭く問うた。捨てきれず、衣装箱の底にしまいこんでいた愛剣にはすでに右手がかかっている。

 応えたのはぶるんぶるんと鼻面を鳴らした馬。

 次いで、聞き覚えのある声が朗々と響く。

「馬と、ついでに用心棒の御用はないかな、おふたりさん?」

「お師匠さま……」

 二頭の馬を引いて街道へと姿を現した男に、少女は驚きを禁じ得なかった。つきあいが長いだけ、賢者がいちはやく立ち直る。

「先回りとは、おそれいりました」

「おそれいるくらいなら、置いてきぼりにすることはあるまいに。水くさい」

「だって……」

 反論しようとしてカドゥリアーナはあきらめた。

 こうなると、何を言っても無駄なのだ。アコーウィン・ラドグリフという男は。

「だってもあさってもなかろう。もともと俺は一緒に行く予定だったのだ。止められるすじあいはないぞ、アナ」

 一頭の手綱を差し出しながら言いそえる。

「それにな、ちょうど弟子をひとりとったところなんだ。修行に旅はつきものだからな」

「弟子?」

「めずらしいですね。アコーウィンが師事を認めるなど」

「うーん、そうだなぁ」

 そらとぼけながら男は鼻の頭をかいてみせた。

「確かに俺は弟子はとらん主義だったんだが、強くなりたいってぇ気持ちはわかるからな。だよな、弟子その二?」

「そのとおりです」

 弟子その二、と呼ばれた男も自分の馬を引いて街道に出てきた。

「ノマフィ」

 弟子その一とは当然、カドゥリアーナである。

「あんた……あんたってば、領主の跡取りのくせに、いいの?」

「親父どのだって若いころは賢者どのと旅に出てたんだ。息子のオレが真似して、どこが悪い?」

 悪くはあるまい。

 なにより、本人が望む武者修行だ。身につくものも大きいはずだ。しかし、それは本心でもあるが建前なのだ。

 ノマフィの真意は、カドゥリアーナたちを見届けることにある。

 知っているのはアコーウィンのみで、彼もまたふたりを見届けるのが目的なのだから、奇特な師弟といえよう。

「なるほど」

 ルカリィアが受け入れた。おだやかに笑む。

「それでは、お二方にはカドゥリアーナの護衛をお願いしましょう。私のことは、彼女が守ってくれますから」

 その静かな微笑の内にすべてを包み込んで賢者は言った。

 そして、ふたりとふたりは、馬首を北へと向けた。





 焚き火の中で、小枝のはぜる音がした。

「それで?」

 年若い少女は先を促す。

 深い……深い森の中、露宿の火を囲むのは二つの人影。

 大剣を抱えて座る男がかすかに笑った。

「緑の瞳の姫は、水の宮殿へ行った。賢者と呼ばれる男と共にな……」

 ふと、そのまなざしが遠いものになる。

「あなたはその姫を……あいしていたの?」

 年齢に似合わぬ言葉遣いと真摯さで尋ねる少女に、剣士は視線を移した。律儀にも、応える。

「さあ、それはどうかな」

 飄々とした口調で続ける。

「ただ俺は……彼らが好きだな。だった、ではない。だからこうして会いにゆく。ルカリィアの庵へな」

「姫は……ほんとうにしあわせなのかしら。いつかはしんじゃうんでしょう? にんげんなのだから。それとも魔女王はかのじょに、ふろうふしをくれたの?」

「ははは、知りたいか」

 アコーウィンは声をたてて笑った。少女は淡い水色の瞳を輝かせて、待った。

「……こたえは明日、自分の目で見て確かめろ。話を欲張りすぎると、面白くなかろう?」

「アコーウィンはいつもそういう。なんでもじぶんで」

「それがいちばん確かなことだ。いちばん、不確かなことでもあるがな。さて、もう寝ろ。子供は早寝早起きでいるものだ」

 少女は素直にアコーウィンの言葉に従った。毛布にくるまり、静かに目を閉じる。

 アコーウィンもまた、木の幹に背を預け、まぶたを閉ざした。自分の目が見てきた過去を、まなうらに思い起こしてみる。

 緑の森の奥深く、その庵はあるだろう。

 昔も、いまも……ずっと未来も。

 主たちは永く旅を続けるであろうが、そこに帰ることはわかっている。旅の途中に。そして、旅の終わりに。

 彼は庵を訪ねるだろう。その生命のあるかぎり、何度でも。そうして彼は……生涯の友に逢うのだ。


 深い、深い、緑の森で──。








『緑の森の姫君』

  みどりのもりのひめぎみ

     ── 了 ──






Dedicated to ZABADAK.















ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


『REVOLUTION』で発表した後、友人によるコミカライズのためのネーム作業を経て賢者どのの性格というか、言葉遣いが変わりました。「~だ」だった語尾が「〜です」になりました。おかげで、得体のしれない親戚のおじさんだった男が、守ってあげたい可愛い何か、になりました。そうでないとアナがあれほどまでに守りたがるわけがなかったな、と納得してしまったのを記憶しております(*^^*)






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