〈5〉姫君と求婚者
そこは、一面に光が満ちあふれる世界だった。
さながら細かに砕いた水晶をまきちらしたかのような……静かに辺りを照らすのは月光。
音のない世界にいるのは一組の男女。
飴色の髪の男は彼女のよく知っている人間だ。しかし女のほうは……実際に会ったことなどないもの、だ。
ひとではない。
淡く透けるような水色の髪を持つ人外のものは、人間以上に人間らしく、美しい。
直視することすらはばかられるほどに神々しい美貌の聖なる魔性、顕聖魔女王メイシス──。
それと悟って、自分が夢を見ているのだと気づいた。
過去、何度も聞かされた話を彼女の無意識は覚えていて、夢として見せたのだ。
場面が現実であったころ、自分はまだ宇宙の塵ですらなかった。だが、それに言い知れぬいらだちを感じるのが彼女の事実だった。
「……姫さま?」
ミルバラの声が聞こえた。かすかに身じろぎしながら目を開ける。鏡台の前で座って待っているあいだに、どうやらうたた寝をしていたようだ。
いやな夢を見た、と思った。
あれは賢者ルカリィアがメイシスの叡智を授けられたときのことだ。彼女自身の経験ではないのに、なぜこんなにもはっきりと夢見ることができるのか!
「お疲れでしょうがこれが最後のお召し替えです。どうぞこちらへ」
顔を上げると部屋いっぱいに並べられている衣装や装身具が目に入った。これから彼女が身に着けるべきもの──婚礼衣装である。
昼間は種蒔きやら狩りやら、縁起をかつぐしきたりに引っぱりまわされ、その都度、衣装を替えさせられて正直彼女はまいっていた。どの衣装も最上の布を使い、丁寧に仕立てられたものだったが、日に何度も着替えているとうんざりする。
それでも彼女は立ち上がる。これで、最後だ。
かすかに腕を開いた体勢でミルバラ以下、三人の女たちが着付けるのを黙って受け入れる。わずかに開いた窓から、広場の音楽がしのびこんでくる。
領主の子息の婚礼でセルパの街は祭りにわいていた。
昼も夜も、楽の音は絶えない。
館の前の広場に築かれた祭壇は篝火に照らし出され、やがて現れる主人公たちを待ち受けているであろう。
そっと彼女は息をつく。
うつむいたその目に映るのは、たったいま着せかけられたばかりの花嫁衣装。彼女の瞳に合わせた深緑の絹に、金糸と銀糸で刺繍をめぐらせてある。
襟、袖、裾……館中の女たちの手による、最高傑作だ。
「わたくしは……きっと世界一しあわせな花嫁ね」
それは衣装の作り手に対するねぎらいの言葉だった。
カドゥリアーナの本心を知らぬ女たちはかしこまる。
「おめでとうございます、姫さま」
「奥方さま♪」
気の早い女がいたものである。その呼び名は、彼女の心胆を寒からしめた。
わかっていたはずなのに!
衣装を握りしめる手が、細かく震える。花露の首飾りを留めたミルバラがそれに気づく。
「……おそろしいことなど、なにもありませんよ」
「そうそう。ああ見えてもノマフィさまって、親切なんですよ」
若い娘が気休めを言う。
「あら、親切って?」
「きっとやさしくしてくださるわ」
「あんたが言うとやさしくって何か違う意味に聞こえるわねぇ」
「……」
場合が場合でなければ、カドゥリアーナは一喝していただろう。だが、いまは……十二夜の晩のアコーウィンの唇の感触を思い出してしまい、鳥肌を堪えるのに必死だ。
「あ、ちょっと待って。髪飾りはこちらを使えって宰相さまが」
えりあしでどうにか短い髪をまとめ、長く裾をひくヴェールをかける。造花と金細工でそれを留めようとした女をミルバラが止めた。
「宰相?」
カドゥリアーナはいぶかりながら、ミルバラが持つ箱に目を向けた。ごくありきたりな木の箱だが、いったい何が……どんな髪飾りが入っているのだろう。
「見せてください」
「ええ、どうぞ」
実はミルバラもそれを見るのは初めてなのだ。持ってきたのが宰相とはいえ、おっさん趣味のつまらない細工物だったらどう補正してやろうかと、厳しい審査を想定する。彼女が箱を持ち、カドゥリアーナが蓋を開けた。
「「あ……」」
同時に声を立てた。
何事かと、ほかの女たちも箱をのぞきこむ。蓋を置き、カドゥリアーナはそっと中身を取り出した。箱から出された瞬間、灯火を反射してそれはまばゆい光を放つ。
その総枠は黄金。中央には赤子のこぶしほどの緑の宝石がはめこまれている。
花を象った枠には様々な種類の貴石がちりばめられ……華やかで、かつ、気品ある宝冠だった。
これほどの冠をいただく身分の姫君は、リギディア王国にはひとりしかいない。
「あなたさまは……!」
ミルバラが顔色をなくす。ふたりの女が、宝冠の美しさにただ目を奪われている中、気づいた彼女を聡いとカドゥリアーナは思った。
「お願いします」
カドゥリアーナが宝冠をミルバラに手渡した。のちに女たちが語ったところによると、このときミルバラは震えていたという。
「はい……王女さま」
恭しい手つきで、ミルバラはリギディアの王女に冠をかぶせた。
月の出とともに、祭りは婚礼へと移り変わる。
にぎやかな楽がやみ、祭司たちが歌う寿歌が広場をしずめてゆく。
祭壇を囲む席には、すでに来賓がそろっていた。まずは国王の名代であるブブンカ宰相、それから、近隣やシンシャシャと親しい領主たち、その妻女。花婿であるノマフィの友人たちも含まれている。そして、大賢者ルカリィア・リギディアと隣国の王子アコーウィン・ラドグリフの姿もあった。
「……貴殿、よくまあ平然としていられるな」
今後の展開への緊張に耐え兼ねて、というよりは退屈をまぎらわせるために、アコーウィンがルカリィアに耳打ちする。
「平然としているように、見えますか?」
「え? ひょっとして……震えているのか、ルカリィア」
ひょっとしなくても、賢者どのは震えていた。
血の気のうせた青白い顔をして、きゅっと唇をかみしめる。
「寒い──わけじゃ、ないよなあ」
「なにをばかな。らしくない、とは思うのですが、いよいよ今夜だと考えると何やらこわいような」
「ぶっ……!」
素直な告白に、あやうく吹き出しそうになるアコーウィンであった。
「それじゃあ、まるで初夜を迎えんとする花嫁ではないか。ルカリィア、いまさらやめようという気は、俺はないぞ。怖気づいたというのならば、俺がもらう。臆病者は指をくわえて見ているがいいさ」
「ちがうんですアコーウィン」
「ああ?」
「私がこわいと言ったのは彼女のことです」
恐れるものなどこの世には何ひとつないはずの賢者が、そう言った。
「……本気なんだな」
満足そうにアコーウィンはつぶやく。ルカリィアはうなずいた。
「ならば、いい」
「なにが?」
ルカリィアが尋ねる。しかし、彼はその答えを生涯、得ることはなかった。
「花婿どのだ」
答える代わりに、アコーウィンは現れたノマフィに注意を向ける。黒い衣装をまとった男はいつもよりいっそう、背が高く見えた。
次いで、花嫁が姿を見せる。
感嘆と誉めそやすささやきが広場を満たす中をある種の緊迫が走った。
「あの宝冠は……!」
それは主として貴賓席に起こった衝撃である。
領主の息子の婚礼に集まった領民や見物客は、ただ花嫁の美しさに酔いしれ、言祝ぐ。そして、花嫁がいったい何者かを知った彼らは──。
「さ、宰相どの」
セルパ領主シンシャシャが度を失って見上げたが、ブブンカはうなずいただけであった。
領内の神殿の老巫女が、何事もないようにひざまずく新郎新婦に花びらを振りかける。再び、祭司たちが寿歌を口ずさみはじめる。
「セルパ領主が一子、ノマフィ・アルカーン」
香を焚き、手のひらにすくった花びらを燻しながら巫女は問うた。
「汝ここに、この娘──カドゥリアーナ・オ・ルドゥーンを娶り、これを慈しみ、睦みてともに家系をもりたてんことを誓うや否や?」
「オ・ルドゥーン?」
「ルドゥーン王の、娘だと?」
ざわざわとささやきが交錯する。
それらの多くはとまどいだ。
長いあいだ、人前にその姿を見せなかった王女が今夜の花嫁だなどと、どうして彼らに予測できよう。
「……諾」
ひざまずき、うつむいたままでノマフィは応えた。
こっそりとその様子をカドゥリアーナはうかがう。花嫁が王女であることを知らされても、ノマフィは動揺していないようだった。
老巫女は、しばらく無言で花婿を見下ろしていた。
尋常ならざる予言の力を持つ巫女は、都の神殿の執拗な招集を拒み続けている変わり者として有名だ。
深淵な夜の闇色の瞳でとっくりとノマフィを見つめ、やがて老巫女は言った。
「よかろう!」
はっと顔を上げたノマフィに向かって、香をたっぷり含んだ花びらをまきちらす。
「では、カドゥリアーナ・オ・ルドゥーン。偉大なる王の娘にしてならびなく美しく、聡明なる乙女よ」
高齢に似合わず、巫女の声は朗々と響く。
その優れた先見の能力でこの老女は自分の心の中までも知っているのではないかと、カドゥリアーナは思ってしまった。言葉の合間の沈黙が、いっそ不気味だ。
いつまでたっても巫女はその先を続けようとはしない。
「……」
仕方なく、カドゥリアーナは面を上げた。紗のヴェールごしに巫女と目が合う。
にたり。
それを見たのは彼女だけ。あきらかに、年老いた巫女は花嫁ににたりと笑ってみせた。
「王女よ。そなたはこの男、次代のセルパ領主ノマフィ・アルカーンの妻となることを承諾するか。汝の血肉を以てこの男の子を残し、ともに一族の祖となることを望むか?」
「はい」
「奇特なことだ」
「は?」
おざなりに、花びらを香にかざしただけで老巫女は花嫁にもそれを投げ与える。
「ま、せっかくの決心。それはそれでいいだろうよ」
不穏当な発言を容赦なく浴びせ、これでもかといわんばかりに花びらを雨あられと振りまく。まきちらす。しまいには籠から直に放り出す。
新郎新婦は、あまりのことに……されるがままになっていた。列席する貴賓席も静まり返っている。ただ、それを取り巻く形の領民たちが、ざわついていた。
「だから、あんな偏屈なおばあちゃんじゃなくって、ちゃんとした巫女さまをお呼びしてと言ったんですわ!」
ざわめきにまぎれて、奥方がシンシャシャをなじる。
「静かにおしっ!」
祭壇から巫女が怒鳴った。騒ぎのもとを作ったのは自分のくせに、素知らぬ顔で婚礼をとりしきる。
「男女は、両名ともにこの婚姻を望んでいる。したがって今度は皆に訊く。汝らはこの者たちの結びつきを認めるか? 男が女を娶り、女が男に嫁すを許すか?」
「許す!」
「──認めよう」
「異議なし!」
「賛同だ──!」
領主やその息子たちが口々に叫ぶ。
「やったぜ若さま!」
「ばんざい」
「姫さま、ばんざい!」
「カドゥリアーナさま〜!」
民衆たちも手を打ち、歓声をあげて結婚を祝おうとする。皆がいっぺんに大声を出すので、広場は蜂の巣をつついたどころの騒ぎではない。
巫女は黙って、それを眺めていた。
「な、なんか、すごいばーさんだな」
「イザーカどのは、魔女にもなれる素質の持ち主ですから」
「しかしこの騒ぎでは、殿下が身動きとれませんぞ」
混乱にまぎれて、三巨頭は談合する。確かに、ブブンカ宰相の指摘どおりだ。このままでは婚礼はつつがなく終了、王太子と王子と宰相と賢者の陰謀は未然のものとなってしまう。
「なんとかしろ、賢者どの」
「やむをえません」
不本意ながら、ルカリィアは幻惑の術を使うことにした。人々に害を与えず、かつその動きを、興奮を、抑制するものを幻として見せるのが効果的に思われた。
しかし、老巫女が彼の先手を打った。
「ふん」
さして面白くもなさそうに一同の反応を見ると、彼女は祭司のひとりに合図を送った。
しゅるしゅるしゅる──かすかな音とともに火のにおいが立ち上る。
夜空に、大輪の火花が咲き誇った。
響き渡る爆音に、耳を覆う者、頭を抱える者……様々だ。
残像を見届けた後、重々しく巫女は口を切った。
「ではここに、このふたりの婚姻をみと」
「異議あり!」
「なに?」
年齢のわりには耳が達者な巫女だった。
ただひとりの言葉を聞きとがめ、その声がした辺りをぎろりとにらむ。
「この婚礼に異を唱えるは何者か?」
「私だ」
従者の列から進み出たのは少年。
「ブブンカ宰相の……」
見覚えていたらしく、ノマフィがつぶやく。
少年が宰相の従者と知っているのは彼だけではない。
「なんだおまえ、従者のくせに」
鋭い声が飛ぶ。が、少年は足を止めることなく祭壇の前まで進んだ。
「度胸のいい小僧だ。なにゆえ、王女の婚礼に反対する」
老巫女は、むしろ事態を楽しんでいるようだった。とがめもせずに尋ねる。
「王女の婚姻は王の名のもと、その目前にて執り行われるが必定」
「しかし、王は代理を遣わしておられるぞ」
「次に王女の婚姻を決定するは王の権限。その男は王に選ばれてはいない」
「なんだと!」
激したのはワケト・ワレンをはじめとするノマフィの友人たちである。たまらず駆け寄り少年──もちろん、ルートウェックだ──を取り囲む。
「……確かに」
苦笑してノマフィが祭壇を降りる。
「では、このオレにいったいどうしろと? 都に上り、国王陛下にお許しをいただいてこいとでも?」
年かさでしかも、自分よりもはるかに屈強な者たちに包囲されていながら、ルートウェックは不敵に微笑む。
「その必要はない」
「なんだとォ?」
彼の正体を知らぬ青年たはちは爆発寸前だ。
「私が認めてやる。卿がカドゥリアーナを娶るにふさわしい男ならば、な」
「身のほどをわきまえろ、小僧っ」
最初にキレたのはガーティの領主の息子コラルレ。憤りのままに、ルートウェックの胸ぐらをひっつかんでがなりつけようとする。
それを、ノマフィが止めた。
「ばか、よせ! 相手をよく見ろ。王太子殿下だ」
「王太子殿下ぁ?」
皆、恐ろしいものを見たように一歩、後退りする。
「お忍びで地方での婚礼にご臨席とは、姉君思いでいらっしゃる」
慇懃無礼なまでに、ノマフィが一礼して言った。ルートウェックも負けてはいない。
「なにしろたったひとりの姉上だ。どこの馬の骨とも知れぬ男には、おいそれとやれぬからな」
「で、オレが姫にふさわしいかそうでないかは、どうやって判定するおつもりか?」
「証明してもらおう」
ルートウェックはゆっくりと振り返ってブブンカ宰相のほうを見た。ノマフィやその友人たちも、そちらに目をやる。
「いまここに、ラドグリフのアコーウィン王子もご列席だが、かの王国では王女は王の面前にて自分に勝利した者に嫁するという。それに倣おうではないか。ノマフィ・アルカーン、姉上と競え。卿が勝てば、認めよう」
「お待ちください、王太子!」
ウッタル領主ワケトがあわてて口をはさむ。
「王の姫君にしてかよわき女性であられる姉君に向ける剣など、我らは持ち合わせておりませんぞ。それとも、騎士道と剣士の誇りを捨てねば、姫はやれぬというお心か」
「いや」
静かにルートウェックが首を振る。
「必ずしも、剣で勝たねばならぬというわけではない。知恵でもよいぞ。幸い、我が姉は賢者ルカリィアどのに育てられた。そのよしみでアコーウィン殿下にも後見していただいている。かよわい姫に刃は向けられぬと言うならば、アコーウィンどのが剣をお貸しくださると思うが」
剣を貸すとはこの場合、代理で勝負するという意味だ。
「知恵ならば当然、ルカリィアどのが」
あどけない顔をしていながら詐欺師はだしの駆け引きをする……カドゥリアーナは弟の思わぬ一面にほとんどあきれている。
言われたのが彼女だったら、きっとルートウェックの首根っこをつかんでどやしつけていただろう。片や大陸最強の剣豪にして英雄、片や叡智の王ともいうべき大賢者である。どちらを相手にしても、ノマフィに勝ち目はない。
「……ならば剣で」
ノマフィに迷いはなかった。
「では我が剣を、姫君にお貸ししよう」
アコーウィンとルカリィアがうなずき合ったのを、カドゥリアーナは見た。そこで気づいた。
彼らの企みは、これだったのだ!
こうまでして彼らは、彼女の結婚を阻止しようというのだ。王太子たる弟まで巻き添えにして!
「ノマフィさま」
とっさに彼女は男の名を呼んだ。
勝ってもらわなくては、困る。
彼の妻になってしまわなければ、いずれ彼女は自分に負けてしまうだろう。そのとき起こる醜聞は父王の名をはずかしめ、王妃を傷つける……それを彼女は防ぎたかった。
なんとしても!
「姫!」
まっすぐに男はカドゥリアーナを見つめた。熱い目をしていた。
足早に歩み寄り、膝をつく。そして彼女を見上げながらその手にくちづけた。
それは求愛の作法である。
「なぜ?」
「わからぬのなら、それでもいい」
そう言ってノマフィはにやりと笑った。
「覚悟はいいか?」
ゆっくりと歩いてきたアコーウィンが、剣を抜きながら訊く。カドゥリアーナは彼を睨めつけた。
「アコーウィンさま! 軽蔑いたしますわ」
「なんでだ?」
「歴然たる実力の差を知っていながら戦うなど、弱い者いじめではありませんか。それは卑怯というものです!」
「実力の差、があるかどうか、俺は知らんな」
アコーウィンは飄々としたものである。
「だいいち、俺は弱い者いじめは好かん。他人まかせ、というやつもな」
そうして、カドゥリアーナの足元にその愛剣を突き立てると、さっさと元の場所へ戻ってしまった。
「アコーウィンさま?」
彼の性格を把握するルカリィア以外の者はすべて、あっけにとられたようにそれを見ていた。
姫君の足元に突き刺さった抜き身の大剣と、か細くはかなげなカドゥリアーナと、そしてその前に立つ求婚者とを……。
「剣は貸した。王女どののご武運を祈る」
「……なるほど」
ノマフィが抜刀した。おびただしいまでの殺気をカドゥリアーナは感じる。
「まいる!」
叫ぶと同時にノマフィは斬りかかってきた。
間一髪で身をかわし、カドゥリアーナは老巫女の足元に倒れこむ。それを助け起こしながら巫女は彼女の耳にささやいた。
「剣をおとり」
「巫女さま?」
「勝たなきゃ、おまえはあの男のものだよ」
「もとより、そのつもりなればっ」
突いてきた剣をよけながらのため、言葉に力が入る。
アコーウィンが戦わないのならば事態は明るい。カドゥリアーナは勝つつもりなど、ない。
しかし──。
わざと負けてみせるために、形だけ剣をとろうと近づいて、彼女は動きを止めた。
「本気、だ……」
ノマフィが発する気は、どう考えても花嫁を獲得したい一念からくるものではないことに、遅まきながら気づいたのだ。
「そうとも」
巻き添えをくわぬように避難場所を確保しながら巫女は言った。
「だから剣をとれと言ったではないか」
「だって!」
顔はそちらに向けたままでカドゥリアーナは仰反る。
きわどいところを剣がなぎはらっていった。そのころには、着ている花嫁衣装も無残な状態になっている。
「……あとのことは、あとで考えればいい。いまは、いまを思い、最善を尽くせ」
遠い昔に教えられたことを思い出す。
「なんじゃい、それは」
つきあいのよい巫女は、彼女が身をかわす先々に、やってきては言葉をかける。
「おまじない!」
応えてカドゥリアーナは前に出た。
ノマフィの懐に飛びこみ、手探りでアコーウィンの剣を見つけだす。そして、それを引き抜こうとした。だが刃はかたく食い込み、ちょっとやそっとの力では抜けそうもなかった。
「ちいっ」
体を離してノマフィが斬りつけようとする気配を感じる。
「赤王、お願い、力を貸してっ」
埋め込まれた真紅の護符石に頼むと剣に手をかけたまま男の胸板を蹴って後転を打った。
思わぬ姫の反撃に、一同がどよめく。
「おまえ、やっぱり!」
ノマフィが言った。そのときには、反動で抜けた剣を、大きく重い英雄の得物を、確かな腕で王女は構えている。
カドゥリアーナはわらった。
「……来い」
凄艶なまでの微笑を浮かべて挑発する。
その次の瞬間で、勝負がついた。
[どうでもいい設定]
赤王は遥か昔はルカリィアのお母さんの首飾りに使われていた宝石でした。
お母さんはわりと力のある魔女で、かなり姉さん女房でしたが、国王さまはデレ甘に溺愛していました。
ルカリィアは可愛らしい子供だったので、お母さんはよく女装させて夜会に連れていき、あちこちの名家の男児が求愛してくるのをによによ眺めて楽しんでおりましたとさ。魔女なので、悪魔のような女と呼ばれることをするのが大好きなひとでした(笑)