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緑の森の姫君  作者: 高峰 玲
3/6

〈3〉姫君と婚約者



 美しい絹の上靴はあくまでも観賞用で、実用的ではないという結論をカドゥリアーナ・オ・ルドゥーンは出していた。リギディア王国の南西部、肥沃な大地の大部分を農地が占めるセルパ領の領主館に滞在して百七十三日目の午後のことである。


 三日後に婚礼を控え、館には続々と参列者が集まってきていた。

 一族の者はたいていが同じ領内に住んでいるため、当日にならないと集合しない。いまごろやってくるのは遠くに城や屋敷を持つ領主や花婿の友人たちだ。

 彼らを迎え、口々にもたらされる祝辞を受けるために朝からカドゥリアーナは着飾らせられ、窮屈な上靴を履いたままで広間に立ちっぱなしだった。

 ノマフィや領主は、まだいい。いずれもよく見知った人間がやってきてお祝いやら時候の挨拶やらを述べるのに受け応えをしているのだから。

 しかし彼女の場合は……会ったこともない人たちから「結婚おめでとう」と言われたところで──しかも互いに想い想われて結ばれるわけではないのだからして──しらけるばかりなのだ。

 ゆえに、そのとき彼女の注意力が散漫になっていたのをとがめることはできない。

「──はありませんか?」

「…………はい?」

 ノマフィと軽口をまじえながら談笑していたどこぞの領主の息子(氏素性を聞いたはずだが、聞き流していた)が自分に話しかけているのだと気づくまでに、ちょっとかかってしまった。

「おいウシウシ、悪い奴だな。いくら美人だからって、友人の婚約者を口説くつもりか?」

 よほど親しい仲らしく、もうひとりの男がその背をどやしつける。ウシウシという名前らしいその童顔の人となりを知っているノマフィも、にやにやしている。

「や、これはそういうつもりじゃなくって! 姫、本当に、前に会ったことないですか?」

 それでやっと男がはじめに何と言って話しかけてきたのか、わかった。まばたきを三度するあいだにすばやく青少年ウシウシを観察する。

 第一印象は、かぁいらしいくらいの童顔が目につく、といったところか。

「いいえ、ありませんわ。今日はじめてお会いしたと存じますが……」

 ふいに横合いからの鋭い視線を感じて彼女は口をつぐんだ。確認するまでもない。ノマフィだ。

 竹馬の友ともいうべき人間と再会し、珍しくも笑顔なんぞを見せたりしていたくせにまた無愛想な不機嫌そうな表情で彼女を見ているのだろう。

「どうかなさって?」

 刹那的に場に走った冷気をごまかすために、カドゥリアーナはノマフィを見上げて言った。

「いや、べつに」

 素知らぬふうで目線をそらすが、何か言いたげな……何かを待つような感じがすると思った。

 いまだけではない。

 この館に連れてこられて、初めて会ったときにも同じようなそぶりを彼はみせた。


「……はじめまして」


 カドゥリアーナがセルパにやってきたとき、父領主に指示されて馬車から降りる彼女に手を貸してくれたノマフィに微笑みかけると、一瞬、彼は驚いたように目をみはり、もの言いたげに口を開いた。だが、結局は何も言わず、社交的儀礼的な挨拶すらも口にせず、まるでにらみつけるように彼女を見つめたものだ。

 彼が彼女にはつっけんどんに接しているような気がするのは、それからかもしれない。

「さささ、そんなぶっきらぼうな男は放っておいて、もっとくつろげる中庭で話しましょう姫君♪」

 なれなれしくも、ウシウシを牽制した男、ウッタル領主ワケト・ワレンが彼女の手をとってエスコートしようとする。

「え、でも」

「行きたければ行ってもいいぞ。ここは親父どのがいれば大丈夫だからな。どうせオレも、もう出るつもりだし」

「狩りか?」

 類は友をもって集まる……男たちの目の色を見てカドゥリアーナは実感した。さすがノマフィの()()()()だけあって、彼らも狩りには目がないらしい。

「では、姫もご一緒に」

 さも当然といったお誘いに、カドゥリアーナの顔色が変わる。

「わたくしは……」


 その胸中に生じた葛藤を、いったい誰が知ろう?


 はっきりいって、乗馬は得意だ。

 血を見て怖いと思う人間でもない。

 しかし、病弱な()()()姫君が喜々として狩りを楽しむなど、看板に偽りありではなかろうか。

 となると、()()()()()()()()()狩り場では見物しているしかない。想いにまかせて馬を駆ることすら、(こら)えねばならない。

 彼女を誘ったのはウッタル領の若領主だ。

 うるうるうる、狩りの誘惑に揺れる心を映してうるむカドゥリアーナのまなざしを真っ向から受け、独身者はうろたえた。

 これは、人の妻となる女性。自分の友の愛を受ける姫なのだ。なのになぜ、かくも悩ましげな視線でひとを惑わすのか──!

「残念ながら」

 (たぐ)(まれ)なる深緑の魅惑の瞳から彼を救ったのは、ぶっきらぼうと称された許婚どの。

「深窓育ちのせいか姫君は野蛮な狩りはお好みではないらしい。以前に誘ったときは、あやうく気を失うほどに震えていてからな。部屋で休んでおればいいさ。嫌いなところへ連れ歩いても、面白くはなかろうよ」

「ノマフィ、さま?」

 つくづくわからない男だと思いながら、かぶり慣れた特大の()()()にカドゥリアーナはノマフィを見つめる。

 彼女の身体を気遣っているのか、ただ単に行動を共にしたくないだけなのか……どちらともとれるし、そのどちらでもないような気もする。

「おまえなぁ〜」

 スカルダ領主の次男坊、ウシウシ・スカルディンがふざけた調子でノマフィの頭をげしげし撫でくる。当然、申しわけ程度に整えられていただけのノマフィの髪は乱れる。

「この()に及んで、まだ許嫁を出し惜しみ、いや、見せ惜しみする気かい?」

「そうとも! こーんな美人を独り占めするんだ、少しくらい我々にも話す機会をくれたって、バチはあたらんと思うぞ」

 ウシウシに同調したウッタルの若領主は、どさくさにまぎれてノマフィでさえ触れたことのないカドゥリアーナの肩を抱いていたりする。

 反射的にその手を()()けようと動きかけたのを無理に抑えたため、彼女の身体がわずかに震える。そして、それが新たに誤解を生むのだ。

 肩に手をかけただけで震えるとはなんと純真な姫だろうと、ワケトは感動していた。

「だいたいいままで狩猟三昧、芸術やら美学的なものには縁のなかったくせに、どうしてかくも愛らしい姫を得られるのだ。不公平ではないか。美女と野獣とはまさにこれを言うのだ、きっと」

 演説をぶっているあいだもワケトの手は離れない。

 カドゥリアーナの我慢は、臨界点を刻々と新記録に書き換えながら上昇してゆく……。

「美女と野獣ぅ〜?」

 不愉快そうに繰り返しながら、しつこいワケトの手を、ノマフィがひっつかんではがした。

「カドゥリ……姫」

 いったんは口にしかけた名前を引っこめて姫と呼ぶ。

 その内なる心理をカドゥリアーナは知らない。知る(よし)もない。

「部屋まで送る。休んでいろ」

 気まぐれ、否、どういう風の吹き回しかと彼女がいぶかっているあいだにノマフィは父親とその客たちに退出の旨を告げる。

 そうして仲間たちとは門前で待ち合わせる約束をして、攫うようにカドゥリアーナを連れて広間を出た。

「……ちょっと触っただけなのに。ああも邪険にするとはひどいじゃないか」

 姫君が強引に連れ去られるのを見送ってから、ワケト・ワレンが文句をたれる。にこにこ笑いながら見ていたウシウシがとりなす。

「まあ、大目に見てやりなよ。ワケトだって、あれほどの姫を許婚に持てば、他の男に触らせたりする?」

「うっ、いや」

「内気な(たち)のようだね、繊細というか」

「そうだな。王族の姫だという話だが、あの年齢(とし)まで行き遅れていたとは病弱なのかもしれん……それくらいあってちょうどいいのかもな。見たか? あの瞳。背は低からず、かといって高すぎもせず。抱けば折れそうなあの腰の細さ! 白い肌のきめの細かなこと」

「ウッタルの……」

 ほとんど、恍惚としながらつぶやいている男は、ちょっと危ない状態だったかもしれない。

 ためらいがちに声をかけられ、はっと我に返る。スカルダ領主の次男坊ウシウシが心配そうに見つめている。

「……なんにせよ、ノマフィはいい姫とめぐり逢えた」

 咳払いなどして、もっともらしく言うとウシウシがうなずく。

「そうだね」

「それに、気づいてたか?」

 いかにも楽しそうに、くすくす笑いをまじえて耳打ちする。

「ノマフィのやつ、あれは姫にベタ惚れだな」

「あ! ワケトもそう思う?」

「思うどころか、ひとめ見てピーンときたぞ。なのにあいつ、それを隠そうとしてガッチガチになってやがる。女に免疫ないのはわかるがなぁ」

「アレじゃあ、逆効果だよ」

 (はた)で見ていてわかるのに、どうして自分で気づかないのか!

 不器用な男だからこそ、彼らはノマフィを見捨てられないのであった。




「……姫!」

 送るどころか、ただ彼女の前を足早に歩いているだけの男が振り返ったのは中庭に面した回廊まで来てからだ。

 速足、というよりは小走りについてきて、ぶつかる寸前になんとかカドゥリアーナも立ち止まる。

 いらついたような、やるせない目をした男がそこにいた。

 そんな表情のノマフィを見るのは初めてだ。

「ウシウシに……ウシウシだけじゃない、ワケトにも会ったことがないというのは、本当なのか?」

「え?」

 完全に虚を衝かれ、瞬時カドゥリアーナの思考回路が空回りする。それから、いきなりノマフィからそのようなことを()()された混乱と疑問が、彼女を強襲する。

 なんでまたそんなことをノマフィは訊くのか。

 疑っているのだろうか。

 もしそうだとして、何を疑っているというのだ。

 それとも、彼女のほうは覚えてなくても彼らとは面識があるのだろうか?

 ならばなぜ、ノマフィはそれを知っているのか。

「どうなんだ」

 ノマフィの語調はかなり強いものになっていた。

「どう、とおっしゃられても……ご存知のようにわたくしは賢者、さまに育てられましたのでお若いかたが集う場へはあまり出たことがございません」

 あまり、というよりは全然、のほうが彼女の場合は真実に該当するのだが、それについては彼は気にかけずに言った。

「賢者……ルカリィアどのだな。彼と、都へ行ったこととかないのか? もしかしてそのときに、会っているのかもしれんぞ」

「ルカリィア、さま、と都へ行ったとき……?」

「行ったことがあるのか?」

 その瞬間、ノマフィがうれしそうな顔をしたことにカドゥリアーナは気づかない。

「ええ。ですがあのころ、わたくしはまだ子供でしたし、表のほうへは出なかったので……」

 ふと、言葉が途切れる。

 都へ行ったことは覚えている。彼女の育て親ともいうべきルカリィアと、隣国の王子アコーウィン・ラドグリフが一緒だった。

 歩いても歩いても、なかなか座って休んでもいいと言ってもらえる場所にたどり着けないばかでっかい建造物群が王宮と呼ばれるところで、あまたある離宮やら庭やら広場に彼女はうんざりしたものだ。

「あれは確か、王太子殿下の立太子式の……」

 国王の長男が五歳となったため、正当な王太子として立てる儀式が行われたのはおよそ十年ほども前のことだ。カドゥリアーナは七歳になっていた。

「覚えているのかっ」

 思わず、ノマフィの声が大きくなる。

 はっとして顔を上げてカドゥリアーナは……見慣れた猛禽の姿を中庭に発見した。

「あれは……」

 彼女の視線を追って、ノマフィもそれを見る。即座に大翔(おおしょう)を狩る道具を探そうとした彼を、カドゥリアーナは止めた。

「待って」

 ためらわずにその腕にすがり、懸命にうったえる。

「あの大翔は、キリアという名前でル──賢者さまの鳥ですわ。どうかお願いですから、彼を狩るのはおやめください」

「賢者どのの大翔だと? あの羽の色には見覚えがある。あのときおまえはそんなこと、一言もいわなかったな」

 とがめる目つきと口調は、こわいくらいにきついものだった。

 しかし彼女はひるまずにそれを真っ向から受け止める。カドゥリアーナの本質はそういう少女である。

「あのときは、遠目でわからなかったのですわ! それよりもノマフィさま、あれがいまここにいるということは、ルカリィアさまが近くまでいらしているにちがいありませんわ」

「そのとおりです、カドゥリアーナ」

 静かな声音は、ノマフィも知るものであった。

 中庭の四阿(あずまや)の屋根に羽を休めていた大翔が主の声に反応してふわりと舞い上がり、今度は回廊の屋根へと移る。

 連子(れんじ)から差し込む陽の光の、見事な陰翳の中にたたずむそのひとは、あたかも百代の世を経た彫像のように見えた。こざっぱりとした旅衣装が彼が現実世界の住人であることを証明していたが、それすらも芸術家の作為のように思える。 

「ルカリィア……」

 今度こそあきらかに、少女は震えていた。

 自らのつぶやきですら封じようとするかのように、くちびるを白い指先で覆い隠す。

 彼女の動揺をよそに賢者はやさしく微笑みかける。

 淡い淡い水色の瞳、長い前髪の奥で光る神秘の宝石……半年前に別れたときと少しも変わらない。

「遠いところを、よくおいでくださった賢者どの。心から、御礼申しあげる」

 領主の息子だけあって臨機応変に、ノマフィが切り出す。にこやかにルカリィアは応える。

「やあノマフィどの。このたびは、おめでとうと言うべきなのでしょうね。カドゥリアーナ、あなたにも」

 とってつけたようなその言葉が、彼がこの結婚を快く思っていないのだということを彼女に感じ取らせた。

「お久しぶりですわ、おじさま」

 息を深く吸いこみ、震えを止めてようやっと言葉をしぼりだす。

 よくよく考えてみれば、彼女が彼を恐れる理由などないのだ。むしろルカリィアのほうが彼女に負い目があったではないか。

 カドゥリアーナはわざと最上の微笑を浮かべる。

「髪を……切ったのですか」

「ええ、おじさま」

 屈託のない笑顔で、遠慮なく“おじさま”を連発する。

 確かにカドゥリアーナにとってルカリィアは先祖のひとりで、親戚のおじさんにはちがいないのだが……この攻撃はわりあいに有効だった。

 どちらも笑みを浮かべながら、そのくせそれっきり言葉を交わそうとしないふたりを怪訝そうに見やりながら、ノマフィが場をとりもつ。

「賢者どの、父にはもう会われましたか? あなたが来られるのをそれは楽しみにしていたんですよ」

「いえ、実はまだなのです。途中からブブンカ宰相と一緒になったので、彼に先を譲って我々はまずおふたりに会おうと」

 ノマフィの父であるセルパ領主シンシャシャも、若かりしころはルカリィアの旅の同行者だった。その縁でカドゥリアーナはここへ来たのだ。

「ブブンカ宰相?」

 ノマフィが驚く。国王の名代で大臣が来ることは承知していたが、それがよもや宰相とは。

「失礼する」

 身分からいえばルカリィアのほうが高いが、世捨て人の賢者と宰相とではどちらに重きを置くかは明白だ。

 一礼してノマフィは広間へと向かって駆けだした。

「我々?」

 カドゥリアーナもまた、ルカリィアの言葉を聞きとがめる。

「他にもどなたか、ご一緒ですの?」

「ああ、アコーウィンと」

「アコーウィン、さま?」

 とたんに彼女のまなざしは険しいものになる。

 ノマフィには絶対に見られてはならない種類のきつい、きついまなざし。

「何を企んでいらっしゃるのです」

 静かな声に、(かえ)って賢者はとまどいを覚える。

 彼の知っている少女は、こんな話し方はしていなかった。

 屈託のない、澄んだ声で高らかに笑い、ときには激しくその感情を(あらわ)にしていたのに。

「人聞きの悪いことを。かわいい養い子の婚礼を祝福に来たのだと、素直に思えないのですか」

「……半年前のこと、よもやお忘れになったわけではないでしょうルカリィアさま?」

「ゔ……」

 半年前を出されては、返す言葉などない。

 彼が消息代わりに送った使い魔が原因でカドゥリアーナは魔女とまちがわれ、身を寄せていた城の跡取り息子との結婚話が立ち消えになったのだ。

 魔女という存在はきわめて希少で、彼女たちは一国の女王なみに尊重されているため婚姻は非常な注意を要する問題なのだ。

「その前のことも、そのまた前のことも、ちゃんと覚えていらしてお祝いに来てくださったと……信じてよろしいのですね」

「カドゥリアーナ」

 賢者の内心は、実をいえば否、だ。

 彼とアコーウィンは、この土壇場で彼女を、説得するためにここへ来たのだ。

「ブブンカ大臣が内緒で連れてきている人を見れば、私とて祝福せざるをえませんよ」

 いかにも仕方なく、という表情でルカリィアは言った。

 もちろん、そこは海千山千の賢者、演技である。

 過去何度か、彼のこの顔に騙されているカドゥリアーナは、当然ながら疑う。

「本当に?」

「シンシャシャどのからいきなり招待状をいただいたときは、私も突然のことで反対するつもりでしたが、彼までがお祝いに馳せ参ずるのであれば」

「どなた? まさか……」

 ルカリィアが匂わせていた宰相の同行者を知らされていないことにカドゥリアーナは気づいた。ブブンカが忍びで連れてこなければならないということは、相当に身分の高い人物である。

「いえ、ルドゥーンどのではありません」

 いまさら、期待などしていなかったはずなのに、カドゥリアーナは苦い思いを味わった。

 そう、そのひとが彼女のために都を離れることなどありえないというのに……。

「でもあなたには懐かしいひとですよ」

「ファライアさま?」

 懐かしいひとと聞いてあげた名前にルカリィアは苦笑する。

 ラーウィンの娘(ファライア・エ・)ファライア(ラーウィン)、燃えるような赤毛の長身の女性はアコーウィン・ラドグリフの姉君で、史上最強の女戦士と称されている。

 現在、ラドグリフ王国元帥の地位にある彼女もかつては大陸中を渡り歩き、幼き日のカドゥリアーナに少なからず影響を及ぼした。「大人になったらファライアさまのような女戦士になる」というのが、彼女の口癖だったのだ。

 首を横に振ってルカリィアはまたしても彼女の希望を打ち砕いてしまった。彼ら以外に会えてうれしいと思うような人間に、心当たりなどない。

「いったいどなたですの、ルカリィアさま?」

 かつて少女は彼のことを敬称つきで呼んだためしがない。よそよそしさと共にくすぐったいような、奇妙な感覚を賢者は感じる。

 これは本当に自分が育てていた少女なのか。

 顔かたち、声音には確かに覚えがあるが……まるで今日はじめて会ったどこぞの姫君のようではないか?

「それは会ってからのお楽しみです。部屋で待っておいでなさい。シンシャシャどのに挨拶をすませてくるから」

「そんな! そういえば、アコーウィンさまはどちらに? ひょっとしてそちらにご一緒してらっしゃるの」

「さあ、どうでしょう? アコーウィンは門のところにいますが。花婿どののご友人につかまってしまいましてね。誰かさんのファライア王女同様、アコーウィン殿下は大陸きっての英雄ですから」

「そうですか」

 そっけなくカドゥリアーナは背を向けた。

「では賢者さま、のちほど」

 それっきり、後も見ずに歩きだす。

 やがてその姿が回廊の角を曲がって見えなくなると、ルカリィアは言った。

「ということですが、アコーウィン?」

「なるほど」

 中庭の木の陰から出てきたのはふたり。

 大柄なのは、声をかけられた隣国の第三王子殿下だ。

「……お綺麗になられました」

 小柄なほうが感嘆の息をもらしながら感慨を述べる。

 アコーウィンと並んでいるため小さく見えるが、その年頃では背は高いほうかもしれない。十五歳くらいの少年だ。

「おう、そういえば胸やら腰のあたり、よく育ったな。昔は棒っきれみたいな身体だったくせに……あれだけの美人ならば、あせっていま結婚しなくたって俺がもらってやってもいいがなぁ」

「アコーウィン!」

 にらまれて英雄どのは素直に口をつぐむ。

「そうおっしゃるなら、なぜいままで何もなさらなかったんですか?」

 厳しく少年が糾弾する。 

「ルートウェックどの、アコーウィンのは冗談です。その責めは私が負うべきものです、すみません」

「賢者どの……」

「で、どうするつもりだ?」

 アコーウィン・ラドグリフの特長はその強靭な精神の回復力にある。

「黙ってかっさらってしまえば、後の面倒はなかったのに、ご招待ありがとうと館に入っちまったんだ。いまさら婚礼をとりやめろとは、言えんぞ?」

「そうですよ賢者どの。私、いや、僕はともかく、ブブンカ大臣まで来てるのに式を中止させるなんてできません。そんな(むご)いことをして姉上を傷つけるなら、たとえあなたでも許しません」

「もちろん、式は中止させたりはしませんよ。むしろしてもらわないと困ります」 

 柔和な水色の瞳をやさしげな微笑みにけぶらせてルカリィアはその末裔の少年を見つめる。

 数えるほどしか彼に会ったことのないルートウェック少年は知らないが、賢者どのがそういう笑い方をするのは決まって腹に一物あるときだ。

「何を企んでいる?」

 カドゥリアーナと同じことをアコーウィンは訊いた。

「殊勝ですアコーウィン・ラドグリフどの。貴殿のご協力には、いたみいります」

 罪のない笑顔を、ルカリィアはその友人にも向けた。

 沈黙の果てに大陸中に広く名を馳せる戦士は応える。

「……長いつきあいだからな」

 もともと、いざというときは花嫁略奪の片棒をかつぐ覚悟はしていたのだ。

 万が一それが祖国との外交問題に発展したとしても、最悪の場合は彼が彼女を愛していたということにすれば、政略を伴った婚姻という形で()()はつく。

 友のためならば醜聞の一つや二つ、屁の河童な男、アコーウィンである。

「賢者どの! 僕にもなにか、なにかできることはありませんか?」

 必死な顔で訴えるルートウェックは、自分がすでに蜘蛛の糸にかかっていることを知らない。

「姉思いのいい弟君だな、ルートウェックどの」

 アコーウィンのまなざしに潜むのは同情だ。

「王太子どの」

 白々しくも賢者どのはのたまう。

「あなたの協力がなければ、手の打ちようがないんです。あなたの一言にカドゥリアーナの一生がかかっていると思ってください」


 この三人の陰謀には、のちにリギディア王国宰相ブブンカも一枚咬むことになる……。








 




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