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緑の森の姫君  作者: 高峰 玲
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〈2〉大賢者という生きもの



 庵には五日前からの客人がいた。

 アコーウィン・ラドグリフ──黒灰色の鋭い目を持つ大柄な青年は、准北海(じゅんほっかい)に面するラドグリフ王国の第三王子である。

 尚武の王家の慣習に従い武者修行の旅に出た少年時代にルカリィアと知り合って以来、二十年近いつきあいだ。

 三男坊の気安さから、現在も放浪の戦士を続けている彼は、故国の南方に国境を接するリギディア王国の関東地方をまわるときはいつも、緑深き森の、ルカリィアの庵を訪れるのだ。

 たいていは一晩二晩、夜語りをして次の目的地へと発ってゆく。今回のように、長逗留はめずらしいことだ。もっとも、それは彼の次の旅がルカリィアの旅に同行する形になることに起因する。

 準備はとうにできていた。ルカリィアの出発にまにあうようにアコーウィンもやってきた。あとは、いまひとりの同行者を待つのみである。

「本当に来ると思うか?」

 机兼実験台兼テーブルに肘をついたまま放浪の戦士が尋ねると、昨夜のシチュウを牛乳でのばしながら賢者は答えた。

「さあ? たぶん」

 ルカリィアもけっして気の長い人間ではないのだが、彼と比べるならばアコーウィンは短気、ということなる。

 返事を待つあいだの焦燥をかけらも見せず、おちついて朝食を用意する背中をどやしつけたいような衝動に駆られながら、右手にあごをのせる。

 毛先近くを束ねた賢者の長い飴色の髪が、びくん、と揺れるのが見えた。

「キリアです」

 瞳と同じ淡い水色の宝石を額に光らせ、ルカリィアは振り返って告げた。半ば前髪が隠してしまっているそれが、魔女王メイシスが与えた智恵と不老不死の象徴であるといわれている。

 外見上は自分よりも五つばかり年下に見える賢者どのが、外に出て確かめろと指示したのだと判断してアコーウィンは表に出た。彼の姿を認めた大翔(おおしょう)が一声、鋭く叫んで何かを落としてよこす。

「キリアよりも使い魔のほうが早かろうが?」

 もっともな指摘だ。だが、軽い軸に巻いた手紙を受け取りながらルカリィアはかぶりを振った。めったに表情を変えない整った白い顔には、困惑の色さえ浮かんでいる。

「使い魔は、だめなんです」

 ルカリィアはいわゆる呪術師や魔術師ではないが魔道的知識はある程度は持っている。路地裏の怪しげな術師より、よっぽど腕は確かかもしれない。実際、害にならない範囲内でならば、彼は使い魔と呼ばれる人外(じんがい)の存在や影を操った。 

 伝言という用途で彼が用いるのは影による使い魔だが……半年程前にそれを送ったために、彼は人のうらみをかってしまった。

「彼女が嫌がりますから」

「アナ、か」

 待ちに待った返事のはずなのに、ルカリィアは封を解きもせずにじっとそれを見ていた。

「どうかしたのか?」

「これは、私が送った手紙です」

「アナの居所は?」

「セルパの領主の館。それは変わらぬはずなのですが」

 便りの受け取り手をキリアが見忘れるわけなどないし、そもそも用を成さぬうちに彼が戻るなどありえないことだ。大翔はまちがいなく文使いの任を果たしている。

 ひょっとすると、手近に紙を用意できず余白に書き込んだのかもしれない──ルカリィアは手紙を開いた。

「……ジャジャ馬め」

 つぶやいたのはアコーウィンだった。

 軸に巻かれていたのはルカリィアが書いた手紙で、縦二つに裂いて、ご丁寧にもまた軸に戻してあったのだ。

 あきらかなる拒絶。

 彼のために筆を()ることですら、彼女は(いと)うたのだ。

「なぜ……」

 賢者、いや、大賢者とさえ称される男の口から言葉が漏れる。彼女が拒否することなど彼は想像だにしていなかった。

 手紙に用件は明確に記した。

 大陸の北限、インスラム皇国の冰湖(ひょうこ)への旅に、同行を求めたのだ。

 不自由な旅の生活を嫌う娘ではない。なかった、といったほうが正しいかもしれないが……。

 アナが物心つくころには彼は彼女を連れて旅に出ていた。あるときは砂に埋もれた遺跡を訪ねて、あるときは遠い昔に伝説の盗賊王が持ち去ったという魔宝珠を求めて……めずらしいもの、貴重なもの、薬草、古書、まじない……彼の探求物はおおむねそのようなものだったが、彼女はその(たぐい)を恐れはしなかった。

 ルカリィアが育てたため、娘らしい生活を知らなかったこともあるのだろうが……少女は、世の中の不可思議なものを追い求める彼と、時にはアコーウィンを加える旅暮らしに堪能していたとルカリィアは思っている。

「この二年でお姫さま暮らしが身につきすぎましたか」

 自分の身勝手さを彼女が怒っているのではないかという考えに行き着かないあたり、浮世離れした彼には当然のことなのだ。

 現在進行形で青年期にあるアコーウィンのほうがまだ、乙女心の機微というやつを敏感に読んでいた。

「あのアナが、お姫さま暮らしに満足すると思うのか? 返事の代わりに手紙を破ってよこす娘が?」

「む」

「相当、根にもっているのではないか。嫌がるあれを無理に置き去りにしておきながら、今度はいきなり」

「そうは言ってもアコーウィン、私は娘など育てたことがなかったし」

「俺だって娘を持ったことなどないさ」

 あのとき、ルカリィアがどれだけうろたえ、動揺していたか知らない彼ではない。

 知り合って以来あれほど狼狽した賢者どのを見たのは初めてだった。

 彼の人生の何倍、あるいは何十倍もの歳月を生きてきた男の受けた衝撃は、もちろんアコーウィンをも席巻した。しかし彼は、ルカリィアほどには打撃を被らずにすんだ。




※ アコーウィンの回想 ※


 朝からずっと顔色の冴えなかった娘が腹痛を訴えだしたのは、切り立った崖の一本道を越えてからだった。

 険しい道中をこらえていたらしく「なんとなく腹が痛い」と言ったときにはすでに冷たい汗をびっしりかいていた。

「食事以外に木の実やきのこを食べませんでしたか?」

 少女に植物の知識を授けた責任を負う立場の賢者が問いただすと、彼女は否定の動作で首を振った。実際のところ、乾いた土に染み込む水のように彼が教える物事をすべて少女は吸収しているのだから、そういう間違いはありえない。

「うーむ、では昨夜おヘソでも出して寝たのかな」

 熱をみようと額に触れた手を、即座にアナは払いのけた。

「さわ……るなっ! 気持ち、が悪い……吐きそ……う……」

「おいっ」

 それに最初に気づいたのはアコーウィンだった。

「血、のにおいがするぞ。アナ、おまえどこか怪我してるんじゃ……」

 しまいのほうは言葉にならない。

 膝丈の短衣からにょっきりのぞいた、少女らしい丸みに欠ける棒っきれのように細いアナの両足を伝う赤い流れが見えたからだ。いかに武骨一辺倒なアコーウィンとはいえ、それが何か知らぬほど坊やではない。


 少女は十五歳になっていた。


 ごくあたりまえの育ち方をしていたならば──大賢者という名の世捨て人に育てられていなければ──とっくに嫁いで子供のひとりも産んでいておかしくない年齢だ。

 それ、を見た瞬間、ルカリィアのほうがいまにも倒れそうなくらいに青ざめた。賢者どのはそのとき初めて自分の養い子が女の子だと思い知らされたのだ。

 それからの彼の対応は早かった、といえよう。その次の日には少女は賢者の知り合いの城主に預けられた。

 ルカリィアが彼女に会ったのはそれからは数えるほどしかない。探求の旅へ、少女を同行させなくなったからだ。

 その理由を漠然と知っているようにアコーウィンは思う。

 なぜ、いま、冰湖への旅に彼女の同行を求めるのかということも……。


※ アコーウィンの回想・おわり ※




「迎えに行くか」

 アコーウィンの言葉にルカリィアはうなずく。

 もしもまた、今度は面と向かって拒絶の声を聞いたとしても、冷たい沈黙よりはよっぽどいい。

 意地っ張りの姫君の機嫌など、ふたりがかりであたればけっして難攻不落ではない。

 いまを(のが)せば、ルカリィアの望む機会は一年先にのびてしまう。一年という歳月は……あんなことやそんなことや、こーんなことだってできてしまう期間だ。

 端的な例を挙げていえば、女性が身ごもって出産を終えることができてしまうに充分な時間なのだ。

 ただでさえ遅い彼女の婚期をこれ以上はのばせないと、ルカリィアも認識している。

「できるだけ早く発ちましょう。油断は禁物かもしれません」

 手早く椀にシチュウをつぎ、堅パンと余った牛乳を並べて朝食の準備は終わった。あとはこれらをしっかりと食べ、洗い物をすれば出発できる。

 ルカリィアが鍋や食器を洗うあいだにアコーウィンは二頭の馬を引いてきて荷物をつけた。どちらもラドグリフ王国の東部産の名馬で、どっしりとした足は力強く、リギディア王国を南北に貫くパーン街道を一日で駆け抜けるという。

「ラッカムから街道へ出てクルクス川沿いに下れば近道です」

「四日の道程を惜しむか」

 アコーウィンが苦笑する。

「いくらルドゥーン王の治世がいいとはいえ、裏道に賊はつきものだぞ。賢者どののメイシスの叡智は格好の的だ」

「そのために貴殿にご同道ねがうのですよ。大陸(いち)の剣の使い手を知己に持って、私は幸運ですね」

 ルカリィアの額の宝玉を、それを持つ者に不老不死をもたらす魔法の石だと誤解している人間は少なくない。

 確かに、メイシスの叡智と呼ばれている宝玉を授けられたからこそ彼は数百年を生き続けてきたのだが……彼の額からそれをえぐり取ったとして、()()を奪った人間が不老不死を得るわけではない。宝玉を失ったとして、ルカリィアが死ぬこともない(額を傷つけたことによる失血死はありえるが)。

 肝心なのは魔女王がそれを授けたという事実なのだ。

「貴公に褒められるとなにやら裏を勘ぐりたくなるが」

「そうですか?」

 長いつきあいだ。アコーウィンの悪口など、ルカリィアは意に介さない。慣れた手つきで衣服の手足の裾をしぼって旅装束を整える。

 アコーウィンのほうは動きやすい略式の軍装をしている。ルカリィアの仕度を待つあいだに、乳牛やらニワトリを解き放ってやった。

「さて」

 ルカリィアが立ち上がって手綱をとる。鐙に足をかけ、地を蹴ろうというときに、その音は聞こえだした。金属どうしがぶつかり、こすれあってたてる鈍い音だ。それにガランガランという、あまり愛らしくない鈴の音が混じる。

「あンれぇ賢者さま、おでかけでございますでげすかぁ〜?」

 木々のあいだの小径を抜けて現れたのは馴染みの行商人だった。ロバの引く屋台に食料品や台所用品、衣類、雑貨、ニワトリの籠などを積んで売り歩く。軒にびっしりと掛けられた鍋やフライパン、ロバの首にかけた鈴が彼の到来の先触れとなる。

「ああ、モルテガ」

 にこやかに賢者は対応した。彼の父親の父親の父親の、そのまた父親の代からルカリィアの衣食は彼らの行商のおかげで辛うじて文化水準を保っている。それ以前は……日用品を買おうと思ったらまず、小旅行が先んじたものだった。

「せっかく来てくれたのになんですが、今日はあまり買うものはありませんね。乾燥肉とパンがあれば少しいただきましょうか」

「へぇようがす。今日は商売よりもお使いなんでげすよ、賢者さま。セルパの領主さまから手紙を預かっちまって」

「セルパ?」

 なにやら嫌ぁな予感を、ルカリィアは覚えた。

「これでがす」

 一級品の布の巻き束の中からモルテガが取り出したのは、美しく彫刻された軸に巻かれた、たいそう立派な紙を使った手紙だった。

 ともすれば動揺しそうになる心をおさえるために、わざとゆっくり、封を解く。

「ひょっとして、おふたりともセルパへ行きなさるんでないでげすけ? おめでてぇこってす、へぇ。あのちっこかった緑の目の姫さまが嫁っことはぁ、あっしも年をとるわけですがな」

「なんだって? 誰が嫁に行くって?」

 有事には一万の軍勢を一声で指揮するアコーウィンの語気に、驚きながらもモルテガは答える。

「誰って、賢者さまの養いっ子の、え〜っと長い名前は何でげしたかい。ともかく、アナさまでがす。ほら、むか〜し旦那が馬やら剣やら教えてらした」

「あのアナが?」

 こくん、とモルテガがうなずく。

「いったい誰に……」

「ああ、そ〜りゃあセルパの若旦那でげす。街道からこっち、その話でもちきりでございましたぜ? なんでもアナさまは賢者さまの親戚だけあってほんと〜は王家のお姫さまで、お祝いには都から大臣さんまで来なさるとか」

「アコーウィン」

 不気味なまでに静かに、ルカリィアが読み終えた手紙を友人に差しだす。

「婚礼への招待状です……」

「行くぞ」

 上等の書状を見もしないで乱暴にルカリィアの懐にねじこみ、アコーウィンは馬にまたがった。

「俺はそのへんの領主の、ハナ垂れ息子の嫁にくれてやるためにあいつを教えたんじゃないぞ、賢者どの」

「わかっています」

 アコーウィンとルカリィアは友人である。しかし、ルカリィアの旅に毎回、アコーウィンが同行できるわけではない。だがアナならば……ルカリィアの養い子の彼女ならば自分の代わりに彼と旅を続けられるだろう。そう思ってアコーウィンはアナを女戦士に鍛え上げようとした。なにしろ賢者の額の()()は有名すぎる至宝なのだ。自分自身と男をひとり、守り通すだけの武芸を少女には授ける必要があった。

 身勝手な男ふたりのもくろみは、少女が女性になった時点ではかなく消え去った……はずだったのだが……。

「ともあれ、ここはセルパへ急ぎましょう。アナがこの婚姻を本当に望んでいるのならば、私は招待のままに祝福しようと思います。ですが、またいつぞやのように王と王妃に気兼ねしてのものならば……認めるわけにはいきません」

「認めるわけにはいかぬ、か。まどろっこしい」

 訳知り顔でアコーウィンはにやりと笑う。

「どういう意味です?」

「いや……ほとんど花嫁の父の心境だと思って」

 一瞬、賢者の柔和なおもてにあらわれた表情に気づきながらアコーウィンは知らん顔をきめこむ。

「実の父親ならば、お嫁になんてやりません。一流、いえ超一流の女戦士になってもらって、一生守っていただきますよ」

「横暴親父だ」

「まったくですね」

 うなずいて、今度こそルカリィアは地を蹴ってひらりと馬にまたがった。

「モルテガ、手紙をありがとう。よい商売を。しばらく、雨の心配はないようですよ!」

 振り返って叫んだときにはもう名馬を走らせている。

「賢者さまも道中お気をつけなすって! アコーウィンさまが一緒なら大丈夫でげしょうけれども〜」

 あとを追うアコーウィンが手を挙げて応える。

「あンりゃあ」

 結局、商売にならなかったことにモルテガが気づいたのは、ふたりの騎馬が木々の重なりの陰に消え蹄鉄の響きまでが届かなくなってからのことである。







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