1話・人身売買
風が気持ちよい午後、私は昼寝をしていた。チャイムに起こされる。不機嫌なままドアを開ける。ランドセルの少年がいた。私が口を開く前に、ドアの隙間から中に入るとソファに腰かけて言った。
「家出したカグヤを探してほしい」
私は寝ぼけた頭で聞いた。
「ペット探しはやってないの」
少年は憮然とした顔で私を見た。ペットと不倫は扱わない。私の数少ない仕事に対する信条だ。少年はランドセルから、封筒を取り出すと、テーブルの上に無造作に投げた。
「50万円ある。お年玉を貯めた。足りなければまたおろしてくる」
中身を確認した。手の切れるような一万円札が50枚。私の信条を変えるには十分だった。冷蔵庫から氷を出し、二つのグラスに入れる。カラン、と涼しげな音がした。カルピスの原液とミネラルウォーターを入れ、かき混ぜる。テーブルにグラスを二つ置いて、少年の話を聞いた。
カグヤはメスのトイプードルだ。写真に映る少年は笑顔で彼女を抱いている。目の前の憎たらしい少年と同一人物とは思えない。
「カグヤはこいつに連れて行かれた。嫌がるカグヤをむりやり、だ!」
だんっ! と少年は飲み干したカルピスのグラスをテーブルに打ちつけた。人の良さそうなお爺さんの写真を見て私は言った。
「ひとつ聞いてもいいかな?」
「なんだよ」
「君の名字、ヒラタなんてことはないよね? 」
「なんでだよ。ヒラタで悪いかよ」
「写真のカグヤの首輪にヒラタペットショップって書いてあるからさ。まさか、新しい家族が見つかったカグヤちゃんを捕まえてこいなんて、無理難題をヒラタくんが、言うわけないよね。って、いちお、ね。確認したかったんだよね」
ヒラタ少年は、苦虫を潰したような顔で言った。
「おい探偵。人身売買って知ってるか?」
「知ってますけど」
「これは、犬身売買だ。頼むから、カグヤを取り戻してくれ! 犬は人間と違ってしゃべれない。あいつは俺といるのが一番しあわせなんだ」
私は呆れて、飲んでいたカルピスをこぼしてしまった。
「ムリに決まってるでしょ」
ヒラタ少年は泣きはじめた。だからペットがらみは嫌なのだ。
人生で初めて土下座というものをした。人様の玄関口で、埃っぽい床に額をこすりつけた。少年から預かった封筒と引き換えに、私はカグヤを手に入れた。
「おい少年、お前は今後、探偵事務所出禁だからな!」
私がそう言ってカグヤを渡すと、少年は、小さな声で「ありがとう」と言った。