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心の在り処Ⅲ

 ――そして今、セイルは床に伏せている。セーラのおねしょを片付けようとした際、彼女の逆鱗に触れ、その魔力をぶつけられたのだ。


「……この化け物め」


 シラズに親切にしてくれと言われたものの、この暴れまわる魔力に対してどう接すればいいのか、セイルには見当もつかなかった。


 セーラは未だに涙を流しぐずっている。平素から人の感情に鈍感なセイルには、なおさらこの対処の仕方が分からない。


「おう、楽しそうだな」


 振り向くとライカの姿があった。床で倒れているセイルを見下ろしにやけている。


「くそが。お前が男だったら殴りかかっているところだぞ」


 セイルはゆっくりと立ち上がりライカに嫌味を言う。ライカはその言葉を無視し、セーラの元へ向かう。


「セーラさん、大丈夫ですよ。安心して下さい」


 セーラの目線へ腰を落とし、手を握り、優しく声をかける。その声色は先ほどまでセイルを馬鹿にしていたものとはまったく異なるものだった。


 ――顔に似合わない猫なで声だな。


 セイルは心の中で悪態を吐くが、ライカの声かけによってセーラが落ち着いたのは事実だった。


「どんな力を持っていようと、同じ人間だ。通じ合えないことはない」


 ライカがセーラの手を取りながら独り言のように呟く。


「私はセーラ婆さんを風呂に連れてく。シーツは他の職員に変えさせればいいから、あんたは食事を取っていてくれ。終わったらまたセーラを頼むぞ」


 そう言ってライカはセーラを連れて部屋を後にした。残されたセイルは、一人大きなため息を吐いた。


 食事を済ませた後、同じく食事を終えたセーラを連れて、セイルは昨日と同じように広場に出た。外にいると、セーラの容態も幾分かましになるように思えた。


「それじゃあ、ガービット。昨日の続きをするわよ」


 静かに座っていたセーラが、ふいにそう言うと草原に咲いている花を指さした。ほどなく花は燃え上がり、真っ赤な花弁が風に揺られ踊った。

セーラが再度手をかざすと、火が沈み、元の白い花へとその姿を変えた。


「さぁ、やってみてちょうだい」


 セーラがセイルの方へ振り向き、促した。やってみてちょうだいと言われた所で、セイルにそんな芸当出来るはずはない。


しかし、セーラの機嫌を損ねることだけはしたくないセイルは、花に向かい火の魔法を放った。


花は見事に燃え上がり、先ほどと同じように赤い花を揺らすのだが、魔法を消した所で、そこには燃えカスとなり、黒く朽ちた残骸があるだけだった。


「ガービット。いつも言っているでしょう? 付加魔法の真髄は【理解】と【認識】よ。もっと心を開いて。感じるの。この世のありとあらゆるものは、すべて同じなのよ。もっと世界を愛しなさい」


 そう言ったきり、セーラはまたも押し黙ってしまった。


 ――彼女は夢を見ているんじゃ。楽しかったいつぞやの夢をな。


 セイルの心にシラズの言葉が蘇った。彼女は、夢の中にいる。愛する夫や、息子と共に過ごした幸せな日々の中だ。


 しかし、セイルにはその幸せは理解出来ない。家族と呼べる存在を、その日々を、いまだかつてセイルが経験することは無かったからだ。


 セイルはふと、セーラの手に無数の傷があることに気が付いた。恐らくは、無意識に発動するその力のせいで負ってしまったものだろう。


セイルは意図せずその手に触れていた。しわがれ、血管が浮き上がったその手は、ひんやりと冷たかった。


「仲良く、やってくれているようじゃの」


 セイルが振り返ると、シラズがにこやかに佇んでいた。


「あぁ、なんとかな」


 セイルが肩をすくめながら答える。


「少し休みなさい。彼女にはワシがついておく。……施設の東の外れに広い野原がある。あそこの風は気持ちがいいぞ。行ってみるがいい」


 そう言うと、シラズはセーラの車椅子を押し、噴水の方へとゆっくり向かった。



 シラズに教えられた通り、東の野原へと向かったセイルは、そこの一画が墓地になっていることに気付いた。

名前の刻まれた墓石が等間隔に地面に埋め込まれている。その中心に一人の先客を見つけた。

腰を下ろして何かをしている。遠目からでも、それがセイルの天敵だと分かった。


 ――あのジジイ。計りやがったな。


 セイルはため息を吐きながら、それでも対象へと近づいていく。


「それは、誰かの墓か?」


 唐突に声を掛けられたライカは、一瞬驚いた素振りを見せたが、すぐに墓を磨く作業に戻った。


「私の爺さんの墓だ。……名前は、ラッセル=ルーストン」


「ラッセル=ルーストンだって? 世界三大魔術師の一人と言われた【灼熱のラッセル】じゃないか! 嘘だろ。お前、ラッセルの孫だったのか」


「別に隠していたつもりはないがな」


「しかし、なんでまたラッセルの墓がこんなところに?」


「……この施設が設立された、その原因となったのがうちの爺さんだからだ」


「なんだって?」


 ――私がまだ小さかった頃だ。私は母親と爺さんの三人で暮らしていた。父親はどこかの戦地で命を落としたらしい。記憶にあるのは、陽気でおちゃらけた爺さんの姿だ。幼い私にむちゃくちゃな魔術指南をしたりしてな。


 子供に扱えるはずのない高度な魔術だ。私が失敗するたびに高笑いをしていたよ。でも、ある頃から、爺さんの言動がおかしくなりだした。


 記憶が曖昧になったかと思うと、野ウサギに対して怯えながら灼熱魔法を放ったりするようになった。


その都度、周りの人間がなだめたりしながら何とか抑えてはいたんだが、あの日、ついに「それ」は起こった。


「【獄炎の七日間】、聞いたことはあるか?」


 ライカの言葉にセイルが頷く。


「確か、とある地方の濃密な魔素がなんらかの原因で暴発し、辺りを七日に渡って焼け野原にした大災害のはずだ」


 セイルの答えにライカはゆっくり首を振った。


「一般的にはそう伝えられたがな。獄炎の七日間を引き起こしたのは、うちの爺さんだ」


 ライカの告白にセイルがたじろぐ。


「まさか」


「完全にボケちまったうちの爺さんが、突然家を飛び出し、のべつまくなしそこかしこに魔法を打ちまくった。腐っても世界三大魔術師の一人と呼ばれた男だ。誰にもそれを止めることは出来ず、住民達は近くの山へ避難し、燃え盛る村をただ見守るしかなかった」


 ライカは当時のことを思い出したのか、唇を強く噛み締めた。


「消し炭となった村から、爺さんの遺体は見つかったよ。私と母親は、周りから強く責められ、非難された。『どうしてボケた爺さんをほったらかしにしたんだ』ってな。母親は何も言わずに平謝りする日々だ。心労がたたったのか、母は病に倒れ、私は一人取り残された。ほどなく、事態を重く見た各国が協力して設立したのがこの施設ってわけだ」


 ライカは話し終えるとゆっくりと腰を上げた。


「私にとってこの施設は、世界に対する懺悔と、そして復讐の集大成だ」


 まっすぐな視線を向けられたセイルは、しかし、何も答えることが出来なかった。


「あんたは、家族はいるのか」


 問いかけられたセイルは首を横に振る。


「おれは孤児院の出身だ。捨て子だったらしい。生まれてこの方、家族なんてものは存在したことはない」


「……そうか。あんたも苦労してきたんだな」


 ライカはそう言うとセイルの肩を一度叩き、施設の方へと歩き出した。


 一人残されたセイルは、そよぐ風を感じながら、しばらく墓を見つめていた。

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