2度目の振り直し 2人だけの空間
イグニスが宿舎から持ってきたのは、2着のベストのような上着であった。
イグニスはその上着をまず自分に、その次にランに着せる。
なんの変哲のない上着かとランは思ったが、着てみると至るところに金具のようなものが付いており、その金具はイグニスの着ている方にも付いていた。
ランがその金具を触っていると、イグニスが「ランくん!バンザーイ!」といきなり声をかけてきた。
意味も分からずランがバンザイのポーズをとると、イグニスはランの脇に手を入れ、自分の胸に抱っこする形でランの身体を抱えた。
イグニスのいきなりの行動にランが驚いていると、イグニスは先程2人が着た上着の金具を1つ1つ繋いでいく。その結果、2人はイグニスが手を離しても密着し続けられる状態になっていた。
「なくてもランくんのことは落とさないつもりだけど、念の為…ね。少し苦しいかもだけど我慢してね」
この上着はスカイダイビング等で使う、インストラクターと体験者が離れないようにする為のものと似たようなものとランは理解した。
苦しいかもと言われたが、苦しさはほとんどない。ちょうどイグニスの胸の辺りにランの身体があるのでクッションの役割を果たしているのだろう。その感触に喜んでいいのか迷うところであるが…。
ランが若干悶々としていると、イグニスが目隠しのためか、ランの視界を布のようなもので塞いだ。
「ランくんをびっくりさせたいから、私が外すまで、その布を外さないでね。外した時に、とびっきりいいものが見れるから!」
そう言い終わると、イグニスは術式を唱え始めた。
密着しているので、その術式はランの耳にも届いていたが、今までランが覚えた魔法単語、制御単語のいずれのものでもない、初めて聞くものばかりであった。
時間にして1分程だろうか。イグニスにしてはかなり長い術式を唱え終わると、今まで味わったことのない浮遊感がランを襲った。
その感覚に驚くその前に、今度は身体が上昇していく感覚に続け様に襲われ、何が何だか分からないまま、時間が流れていった。
「ランくん!目隠し外すね!ようこそ、空の世界へ!」
イグニスが目隠しを外すと、ランの視界にはどこまでも続く雲1つない空が広がっていた。
視界を妨げるものなど何もない、イグニスとランだけがいる空間であった。
ふと、ランが下を向くと、そこには海しかない、これまた青一色の世界。
目を凝らすと、どれだけ離れているか分からないまま程遠くに陸があるのがうっすらと見える。
方角的にあの大陸は…。
「あれが私達エルフたちが暮らす大陸だよ。ここから見ると流石に小さいね〜」
イグニスのその言葉に、ランはイグニスの顔の方を向こうとしたが、身体が固定されているのでうまく首が回らなかった。しかし、その視界の中に、いつものイグニスにはない物体を捉えることが出来た。
イグニスの背中から羽が生えているのだ。
「気づいちゃった?そうそう、これが私のオリジナルの魔法。魔力量がないと飛び続けられないから、闇雲に人に教えたりは出来ないんだけど、ランくんの魔力量なら大丈夫かなって」
ランが夜中に見た影はやはりイグニスだったようだ。
「具体的には肩甲骨の辺りを中心に強化の魔法をかけて、そこから仮想の骨と筋肉を伸ばすイメージだから、羽が生えるとは少し違うかもだけど…。まぁ、そこらへんは下に降りてから説明するとして。それよりも、奇麗でしょ、この空間。私のお気に入りなんだ」
ランはその言葉に大きく頷いた。
生前飛行機に乗る機会はあったが、これほどの感動はなかった。
「あと1週間で、私は帰らないといけないわ。次いつこっち来れるか分からない。でもこの羽があれば、ランくんの住む大陸を眺めることは出来る。ランくんもこの羽を使うことが出来るようになれば私の住む大陸を眺めることが出来る。それってなんかいいと思わない?この世界で2人だけがお互いのことを想って同じ空間にいれるって」
イグニスが今どんな気持ちで話しているかは分からないが、ランと同じ気持ちなのではとランは思った。
別れがくるのが寂しいのだ。
「だから私のこの魔法をランくんにも教えてあげる!それでいつか一緒にまた会おう!私達しかいないこの空間で。ランくんは私の初めての教えで最高の弟子だったよ!」
イグニスは寂しい気持ちを紛らわすかのように元気一杯にランに想いを伝えた。
ランも、イグニスには感謝の気持ちで一杯であった。
イグニスは最高の師匠であった。
その師匠の想いを叶えるため、残り1週間、この空を飛ぶ魔法を必ず習得してみせると、地上に降りる中で心に決めたのであった。