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振り直し前

気付いたときには視界に雲ひとつない青空があった。

周囲では知らない誰かの声が行き交っているが、なにも僕の心には響かない。

顔を横に向けるとアスファルトの上に誰のものか分からない赤い血が広がっていた。

起き上がろうとしても腕に力が入らず、それどころか腕があるという感覚がない。

目を開けているのも何故かつらい。

茫然と立ちすくむ人たちの上で、空だけが変わらずに青いまま。

意識がどんどん遠のいていく。

遠のいていく意識の中で最後によぎったのは恐怖でも後悔でもなかった。


「もっと走りたかったな…」


それは人生の大半を捧げた「走る」ことへの渇望であった。


陸上競技10000m

陸上競技場のトラックを25周する傍から見たら馬鹿みたいな種目であり、現在僕がスタートラインで審判の号砲を今か今かと待っている種目である

日本では長距離走というとマラソンであり、または学生駅伝なんだろうけど、そこで活躍する選手が誰もが経験するのがこの種目だ。

最初は自分が今何周目を走っているかも分からなかった。

トップが最終ラップに入る鐘が鳴ってやっと自分の立ち位置が分かったぐらいだ。

そもそも、1レース走るだけで10000m…10kmを走るのだ。

それだけでも普通の人からしたらお腹一杯だろうが、そのレースに挑むのに10000mの何倍もの距離を練習で走らされる。


「あんたは相当なドMだよ」


と言われたこともある。

別に身体をいじめるのに快感を得ている訳ではないのでドMではない…と思う。

ただ、何十周も走った上で、誰よりも早く、誰も到達していないゴールテープを切ることに対して、何かしらの快感がないかと言えば嘘になる。

今まで走ってきた距離、時間に対したら相当ささやかな報酬ではあるが。

今日もその快感を得るために走り出そうとしている。

全国高校総体陸上競技10000m

自分のタイムも周りにいる選手のタイムもある程度把握している。

余程、何かない限り自分が1番最初にゴールテープを切るだろう。

係の人間がピストルに指をかける。

さぁ、いつも通り走り出すとしよう。

誰よりも速く。

誰よりも先に。

誰よりも自分の走ってきた時間を信じて。


「予想通りと言えば予想通りなんだけど…」


陸上部の顧問が運転する車の中。

助手席でウトウトしていた僕に顧問が話しかけてきた。


「ここまで危なげなく勝ってもらうと、顧問としてやることがなくなってくるんだけど」

「そこはおめでとうって素直に言ってもらえれば嬉しいんですけど…」


この顧問との付き合いも3年目、今年で最後になるが、大会当日の緊張感というものが日を追うごとになくなっているように感じる。

練習時の鬼のような熱意、豊富な知識に基づくトレーニングプラン等、一指導者として信頼はしているのだけれど。


「高校2年から同世代の大会では負けなし。同世代で敵無し。なんだかおめでとうの価値がどんどん下がってるような気がするのよねぇ」

「その価値暴落の一端を、先生が担ってるのもお忘れなく」


もちろんそれだけの練習もしているが、それなりの才能も備わっていたのだろう。高校に入ってから本格的に始めた長距離走で今や敵無し状態だ。

来年には、その成績を買ってくれた関東の私立大学へ推薦入学も決まっている。


「それに関しては素直におめでとうと言いたいわ。色々と金銭面も免除されてる推薦だもの」

「ありがとうございます。うちの経済力じゃ、家を離れて私立大学行くのは無理だったでしょうから。」


特別貧乏という訳ではないが、3人兄弟の長男である身としては、私立大学の入学金などで下の2人に迷惑をかけるわけにもいかない。学費等の免除はかなりありがたい話であった。


「何はともあれ、これからも練習を怠らないこと。今まで私の組んだトレーニングメニューをこなしてきたから、余程のことじゃへこたれないだろうけどね」

「分かってますよ。それよりも運転に集中して下さい。最近、煽り運転にも注意しなきゃいけないんですから…」


昨日も、いかにもやんちゃしてそうなドライバーが、煽り運転をして事故を起こした事件がニュースで流れていた。

こちらが注意していてもどうにもならないことだが…


「3台前のワンボックスカー」

「えっ?」

「さっきから隣の車線と行ったり来たりしてるわねぇ。もしかしたら前の車に煽られてるのかも」


そう言われ、目をこらす。たしかにワンボックスカーと、その車体に隠れてよく見えないが、スポーツカーがその進行方向を塞ぐような運転をしているように見えた。


「うわぁ…本当にいるんですね。あんなドライバー」

「危ないから少し距離を空けるわね。もしもの時、事故に巻き込まれたらめんどう…」


先生がそういい、車のスピードを落とす。

その時、前から大きなブレーキと「ドカン」という接触音がして…

「もっと走りたかったな…」

そこで僕の意識は途切れた。

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