表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

序章


 私はもともと教室にはなじめないタイプであった。

それは大人になっても変わらなかった。すなわち、自分は変わり者であった。



 変わり者というのは、普通を望むものだ。「本当に変な人は自分のことをわざわざ変と言わない」とは凡人の想像である。変人は、幼い頃から、自分が変であることをやむを得ず自覚させられていて、よほど運の良い環境に生まれたのではない限り、常に批判を浴びて育つからだ。一生懸命生きれば生きるだけ否定され、それはまさに自分の持つ感性や性格によるものだと気づく。自分は愚かで、変で、矯正すべき人格だと思い悩むのである。

「変な人」は、しばしば予防線を張って自身をわかってもらおうとする。「私、よく変な人って言われるんだけど……」そうして相手の顔色を伺うのである。


 変わり者の種類について、文章による説明をすることは手間がかかる。何を基準にどんなことを「変」と定めるかを言葉で述べなければならないからである。私はこれから自分自身を「変わり者」として話を進めるが、私があなたの身近にいるどの「変わり者」に共通しているかを想像しながら読んでいただきたいと思う。もしかしたらいないかもしれないし、あなた自身が私のような人物かもしれない。



 確かに、幼い私は変わり者であることに加えて、気性の荒い自己中心的な性格であった。ゆえに、私が小学校という集団行動から排除され(あるいは自ら抜け)、幼いクラスメイトたちが身を守るために私を遠ざけたことは、特に不思議なことではない。年齢があがり、思春期になれば、趣味嗜好が違うことだけで批判されるというのはよくあることだ。孤独を感じたことがあるのは、私に限ったことではなかっただろう。

 しかし、自己中心的だとか怒りっぽいだとか、そういう人間性の部分をコントロールできるようになり、思春期を過ぎて「大人」としての諸々が落ち着いてきたころ、本当の意味で変わり者はあぶりだされるのだ。


  私の何が「変」だったかというのは大学で明らかになったが、それについて詳しく語ることはしない。私は大学で自分と同じような「変わり者」の大人に出会い、助けてもらうことで、自分自身を正確に認識することができた、とだけ言っておこう。それまでの人生では悪者は常に自分であったが、実はそうではなくて、私はごく良心的なきちんとした常識のある人間であり、たまたま持ち合わせた「変わり者」の部分が周囲に“意味のわからない”感覚を与えているだけだった。意味のわからない感覚というものは不快感や恐怖に繋がるため、人々は、意味のわからない変わり者の私を、無意識に排除していたのだ。それによって生じる苦しみを、私は自分の人間性の問題だと勘違いしていたのだった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=858285526&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ