47 恋の終わり
「佐伯さんがいないと、なんか捗らなかったね」
部活を終え、陽菜ちゃんちに向かう俺の後ろで吉川先輩がボソッと言う。
「陽菜ちゃんは考えてなさそうで、ちゃんとテニス部の事考えてるんだよ」
ただ上手いだけじゃない。
練習しやすいようにいつも先取りして動いてくれている。
しかもみんなが気づかない位のさりげなさで、練習メニューの段取りも組んでくれていたりした。
彼女が珍しく休みだった今日、何をするにも必要以上に時間がかかり、もうすぐ8時になる。
「こんな時間に行ったら失礼かな……」
しかも体調がよくないときに、これからの話をしに行くなんて……
空気読めないにも程があるか……
「会えないようにする言い訳でも考えてんじゃないの?」
すかさず突っ込みを入れてくる吉川先輩が、鋭く俺を睨む。
「別にそういうわけじゃ……」
俺も往生際が悪いことくらい自覚はしてるんだ。
でも、彼女のことを考えれば考えるほど、今の複雑な気持ちをどう整理して、話し合えばいいのか分からなかった。
「しっかりしなさいよ!!」
背中を手のひらでバン!!と叩かれ、衝撃で一瞬呼吸が止まる。
振り返り吉川先輩にそんな簡単に言うな!と一言言ってやろうかと思ったが、俺を見る彼女の暖かい眼差しを見つけたら、なんだか抵抗する気が失せた。
辺りはもう暗くなっている。
急に心細くなってきた。
これで、全部終わってしまうかもしれない。
もう、陽菜ちゃんと笑って話せなくなってしまうかもしれない。
大きなものを失う恐怖が俺の身体に纏わりついた。
「はぁ……」
今目の前に見える彼女の家を見上げながら、深いため息をついた。
すると、ふわっと、左手に柔らかいものを感じる。
肩がトンとぶつかって、見上げてくる吉川先輩の顔が目に入った。
「大丈夫!!」
彼女の瞳はいつも俺を真っすぐ映してくれる。
大きく深呼吸して俺はインターフォンを押した。
『はい』
インターフォン越しに出たのは聞きたくなかった悠真の声だった。
「陽菜ちゃん……いますか?」
まだ陽菜ちゃんの彼氏は俺であるはずなのに……
余裕で彼女の家の窓口に出現してくる悠真に苛ついた。
玄関のドアがガチャリと開いた。
大嫌いなアイツの顔が覗いた。
「悪い、今呼んでくるから、ちょっと待ってて」
そういって一度玄関の扉を閉めた。
俺は冷静を保つために、何度も深呼吸を重ねる。
吉川先輩はそんな俺の手にもう一度触れた。
俺は無意識に彼女の手をギュッと握りしめる。
彼女の手は、暴走しそうな俺の心を力強く引き留めた。
「海斗君」
吉川先輩に呼ばれて顔を向けた。
「大丈夫よ……」
彼女の滑らかな声が俺の耳に入り込む。
心の震えが収まる気がした。
視線を掴まれたまま彼女は俺の唇に軽くキスをする。
「海斗君の心の中は、半分以上もう私が居るはずよ?」
ドキリとした。
キスされた瞬間は、俺の頭の中には本当に吉川先輩しかいなかった。
彼女にされるがままの自分に驚いている。
ガチャっと玄関のドアが開く。
悠真に支えられて陽菜ちゃんが現れた。
顔色があまりよくない。
きっと俺のせいで風邪を引いたんだな……
「陽菜ちゃん……」
ごめん、本当にごめん。
こんな目に合わせるつもりなんてなかったんだ。
本当にずっと好きだった。
大好きだったんんだ……
「陽菜ちゃん、ごめん! ……実は、吉川先輩と付き合うことになって……」
吉川先輩の驚いた顔をよそに俺の口は止まらない。
「元々お試しで付き合い始めたし……ほんとに勝手で申し訳ないんだけど……俺と別れて欲しい!」
おもいっきり頭を下げた。
「海斗……」
陽菜ちゃんの驚いている表情は見なくても分かる。
伊達に六年間も片思いしてないんだからな!!
「海斗、ごめんなさい……! 私悠真と――」
その先は聞きたくなかった。
もう分かってる。
「さ、帰ろう!!」
俺は陽菜ちゃんの言葉を遮り、吉川先輩の手を引き背を向け歩き出す。
「おい!! 海斗!!」
次第に離れていく背後から悠真の声がする。
「陽菜の事……大切にするから……!!」
俺は悠真の声が素直に心に入り込んできたのが分かった。
片手を上げて振り返らずに手を振った。
二人の姿が見えなくなって、俺はようやく本当の自分が顔を出す。
情けなくも止め処もなく流れ落ちる涙を拭うこともせず、声を殺して泣いた。
吉川先輩は何も言わずにずっと俺を背後から抱きしめてくれた。
その温かさに……本当に救われたんだ……




