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46 恋の始まり

 いつも授業中、頭を働かせるほうではないが、今日は一段と空っぽになって一日が過ぎていく。

 部室に入ろうと鍵を探すが見つからない。


「やっべぇ……落としたかな??」

 慌ててズボンやワイシャツのポケットに手を突っ込み入っているものすべてを穿り出す。

 朝、雪村先生に言われた一言にまんまと嵌まり込む自分に嫌気が差す。



「海斗君は、これを探してるのかなぁ??」

 突然、俺の背後からぷらりと揺れ動く『テニス部』と黄色いタグの付いた鍵が視界に入り込んだ。

 振り向けば吉川先輩がニヤニヤしながら背後に立っている。


「吉川先輩……、なんでそれ??」

 俺のポケットからふざけて、くすねたんじゃないかと疑いの眼差しを向ける。


「あー、もうそんな顔するんなら雪村先生にチクっちゃお!」

 頬を膨らませながら、白いセーラー服の胸ポケットに鍵を放り込んだ吉川先輩に苛立った俺は、力づくで取り返そうと追いかけた。


「やだ! 怖いよ!!」

 そういいながらも、『ふふん』と笑う彼女の腕をやっとの思いで捉えた。

 その衝撃で部室の壁に追い詰められた吉川先輩にぶつかりそうになる。

 瞬間もう片方の手で俺と壁の間に挟まれた彼女への追突をなんとか阻止しようと、痺れるほどの強さで壁を掴んだ。


「はぁ……、危なかった。さあ、鍵を返せって!」

 そういって至近距離で俯く彼女の方へ目線を下げると同時に、吉川先輩も俺を見上げた。


「……あっ」

 そう声を上げたタイミングがほぼ一緒だった。

 目が合って、彼女の潤んだ瞳が飛び込んでくる。


 突然首に絡みついた両手の力に不意打ちを食らい、そのまま流れるように彼女の唇が重なった。

 急いで離れようともがいたが、彼女の強い腕の力に、最後には根負けしてしまう。


 抵抗をあきらめた時、ふと感じた柔らかい唇に急に、ドキンと心臓が跳ねた。


 時間が止まったように、どれくらいの間、彼女を感じていただろう?

 あんなに苛立っていた気持ちがスッと収まり、ドキドキに変わっていく。


 静かに離れていく吉川先輩の顔から視線を離せず、ついじっと見つめてしまう。


「海斗君のイライラは、今私が全部吸い取ってあげたからもう大丈夫」

 そう微笑む彼女に、何故か高鳴る鼓動が加速していった。


「鍵は、トイレでクラスの男子が拾って私に届けてくれたのよ。雪村先生も今の海斗君に預けるなんて、まだまだ部員のことが全然分かってないわね」

 クスクスと笑いながら鍵を開ける彼女の背中を無意識に見つめていた。


「さ、はいろ!」

 頬が艶々と赤く染まっている吉川先輩は、目を合わせることなく暗い部室の中に先に入っていった。



 彼女が視界から消えて、急に足の骨が抜けたように力が入らない。

 時間が経てばたつほどに、彼女の唇の感触と潤んだ瞳が交互に俺の感覚を侵食していく。

 ようやく柔らかくなってきた夏の日差しも、遠い空の向こうから聞こえてくるひぐらしの泣き声も感じ取れない程に、俺は心の中まで彼女に支配されていたのかもしれない。


 暫くその場に立ち尽くしていたが、他の生徒の話声が近づくにつれ、現実へと引き戻されていく。

 急いで部室に入っていったら、もう吉川先輩は着替えてコートに出ていた。


 暗い部室から見えた彼女は太陽の光を集めた白いウェアを身に纏い、あまりの眩しさに目を細めた。

 一人壁打ちをしている姿が、やけに美しく見えたんだ。



 コートに出てきた俺に気づいた吉川先輩は大きく手を振っている。


「ねぇ、帰り、佐伯さんちに寄ってこ! 私も一緒について行ってあげるから!!」

 遠くから大声で叫ぶ彼女に、慌てて辺りを見回した。

 彼女が駆け寄ってくる。


「ちゃんと、彼女の気持ちと、自分の気持ち、はっきりさせてきなよ」

 静かにそう俺の目を見た。


「粉々になったら、ちゃんと私が骨拾ってあげるからさ」

 逞しい彼女の言葉が素直に嬉しかった。

 そう思えたのは、きっと俺の気持ちが物凄い強さで、吉川先輩に引っ張られていたからかもしれない。


 いつの間にか、彼女の笑顔につられて、一緒に微笑んでいた……。


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