45 小さな記憶
「陽菜ちゃんは今日は欠席か……」
俺は主のいない彼女の机を眺めながら、昨日池に落としてしまった事が原因かと思うと、居ても立ってもいられなかった。
「おはよう!!」
担任の雪村先生がチャイムと同時に教室に入ってくると、すぐさま俺の方を見て手招きをする。
「おい、佐伯は今日風邪で休みだって言うから、部室のカギお前に預けておくな。失くすなよ!!」
俺の手のひらの中に必要以上の重みをかけて鍵が手渡された。
「ったく、信用ねぇな……」
ボソリと呟いた言葉が届いたのか、雪村先生はすぐさま言い返す。
「佐伯がいないとお前は空っぽだろ? 心配なら他の部員に鍵渡しとけ!」
最もなことを言われて言葉が出ない。
はぁ……
気が付くとため息が口から噴き出ている。
昨日、あの後吉川先輩と昼ご飯を食べた。
俺の中で運命の人だと思っていた陽菜ちゃんが実は吉川先輩だった。
その運命の人が、今俺の目の前でハンバーガーに食らいついているが……いまいちピンとこない。
「美味しそうに食べますね、ハンバーガー」
呆れた本音が滲み出ているようなトーンだったろうな……
「美味しいものを美味しい! って思って食べることほど幸せなことないでしょ?」
だからってそんなにガツガツ食べなくても……
「……うっ!!」
ほら、言わんこっちゃない……
言った傍から喉を詰まらせてる。
必死にむせ返りながら深呼すると、懲りずにまたすぐに口に運ぶ。
なんだかその様を見ていたら、クククと笑いが込み上げてきた。
「何よ!! 五十嵐くんも早く食べなよ! 冷めたら美味しくなくなっちゃうよ?」
あぁ、なんだかこの人は俺にそっくりだなって改めて思った。
大好きなものに食らいつく執念は、ホントに通じるものがある。
「なぁ、そのハンバーガーが突然今目の前から消えちゃったら……吉川先輩はどうする?」
ふと聞いてみたくなったんだ。
彼女の言葉に、俺が見つけ出せない答えが隠れているんじゃないかって。
「うーん、新しいの注文する!!」
まあ、そうか。
そうだよな。
わかるわかる。
でも、あえて聞いてみた。
「美味しいお気に入りのハンバーガーなのに、探さないんですか? 直ぐそばに落ちてるかもよ?」
彼女の目をじっと見る。
「きっと、私に食べられたくなかったから逃げ出したのよ。探してる間に冷めて美味しくなくなっちゃうし。だから失くしたハンバーガーはさっさとあきらめて、もっと美味しく食べられそうな新しいハンバーガーをたのむわ」
うふふと最後の一口をぐっと詰め込んだ。
「食べ物も、恋愛も、温かいうちが一番美味しいのよ? 食べる方の気持ちが先に冷めるのか、食べ物が先に冷えるのか……どっちかが冷えちゃったら、そこに美味しさはもうないわ」
なんだかもっともらしい事を言っているようだが、いっぱいになった口をモゴモゴさせながらドヤ顔で言われてもちっとも伝わらないぞ。
口の中身をゴクンと飲み込み、彼女は最後に付け足した。
「でも私にとっての大好きな人は、代わりなんていないの。だって運命で繋がってるから!!」
その言葉にハッとした。
俺の運命の相手は、陽菜ちゃんではなかった。
ずっと、ずっと好きだったはずなのに、彼女じゃなかった……
チラリと吉川先輩を見る。
「きっと、すぐに分かるわ。私は五十嵐くんがテニス部の部室に最初に来た日から、ずっと自分の傍にいてくれる人だって直感で感じたんだから!」
自身満々に彼女は笑顔で言う。
そのぶれない自信は、どこから湧き上がってくるんだろう。
不思議と本当にそうなのかな……なんて気持ちになってくる。
「私はお試しなんかじゃ嫌よ。必ず、正式な彼女として、五十嵐くんに認めてもらうんだから!」
ウインクして見せる彼女に、いつの間にか元気をもらっている自分がいた。
陽菜ちゃんにとって、運命の人は最初から悠真だった……認めたくはないが一目アイツを見た時から薄々気づいていた。
彼女を見る目は誰よりも温かくて、優しかった。
でも俺は、悠真なんて簡単に超えられるって思ってたんだ。
あいつの何倍も俺は彼女に触れて、笑いあって仲良しなんだって所を見せつけてやりたかった。
たまにしか現れない悠真の顔を見る度に、陽菜ちゃんをもうすでに自分の手に入れたような顔をしていて……気に入らなかったんだよ。
「あーあ……、もう終わりだな」
大きな青空を見上げながら、凝り固まった全身に新しい空気を取り入れるように伸びをした。
「大丈夫よ。すぐに笑顔になれるから」
吉川先輩は俺の頭をガシガシと撫でる。
「もうさ、豪快にふってやんなさいよ!!」
悪い顔をして吉川先輩は言う。
そんな吉川先輩の瞳の奥の優しさを、今はちゃんと見つけることができてしまう。
「まぁ……、考えとくわ」
力なく笑う俺のほっぺに、吉川先輩は人目をはばからずキスをする。
「私はいつだって、味方だよ、海斗君」
にっこり笑った彼女が呼んだ俺の名前に、びくりとした。
そうだ……
一度だけ……テニスクラブで彼女と話したことがあった。
俺が試合で負けて、一丁前に涙した時。
「はい、……海斗君」
そういって、タオルを手渡されたことがあった。
なんだか嬉しかった。
ちゃんと彼女との記憶が俺の中に生きていたことに。
ニコニコと隣で笑っている嬉しそうな吉川先輩を、俺は今までとはほんの少し違った目で眺めていたんだ。




