4 口紅
放課後、悠真と私は近所のショッピングモールに寄っていた。
ここは雑貨から食品、衣料品までなんでも揃う、私の住んでいるプチ田舎の様な場所には大変重宝されるお店だ。
「陽菜、プレゼント何にする?」
たくさんのお店がずらりと並んでいて、見ているだけでワクワクしてしまう。
「うーん、そういえばこの前お母さん、新しい口紅のCM見てて『素敵〜』って言ってたし、どうかな?」
化粧っ気のない母が珍しくそんな事を言うものだから記憶に鮮明に残っている。
「口紅かぁ。男だから化粧品はよく分かんないけど、俺たちの小遣いでいける額なん?」
確かに値段が張るものも結構ある。
「悠真はいくら位出せるの? 私は頑張って1500円位かなぁ」
自分の財布を覗き込んで、あまりのショボさにため息が漏れた。
「俺は2000円位。取り敢えず、化粧品売り場に行ってみようぜ!」
悠真が優しく私の背中を押す。
温かい悠馬の掌を背中に感じ、金欠の侘しさが瞬時に吹っ飛ぶ現金な私。
「あ、あった!! これだよ!」
CMに出ていた女優さんのポスターが大きく貼ってあるので直ぐに分かった。
すぐそばのカウンターの中に、髪の毛を後ろで纏め、黒いお洒落な制服をピシッと着こなした綺麗なお姉さんがいた。
場違いな私達だと重々承知の上で、思い切って話しかけてみる。
「あの……、テレビのCMでこの口紅見たんですけど、この女優さんのつけてる色って、ありますか?」
私は隣のポスターを指差した。
色付きリップにしか縁のない私が、急に大人な世界に飛び込んでしまった様な気分で緊張のあまり声が裏返った。
そんな私を見て悠真がプッと吹き出す。
「ちょっと……! 何よ!」
小声で真っ赤な顔をする私を見た悠真の眼差しがとっても優しい。
「もしかしてこちらの彼女さんへのプレゼント?」
お姉さんの女性らしい甘い香りが私たちを包み込む。
「いやっ!! そんなんでは決してないですっ!!」
悠真に語りかけたのに、全力で否定する私。
「何もそんな強く否定しなくったって……。こいつとは幼馴染みなんです。お世話になった彼女のお母さんが誕生日なんで、プレゼントにどうかと思いまして」
さらさらと滑らかに出てくる悠真の落ち着いた言葉に私は驚きポカンと眺める。
いつの間に、彼はこんなに大人になったんだろう?
「あら、そうなの? 彼女のお母様に? 偉いわね!」
そう言って綺麗なお姉さんは、カウンターの後ろの引き出しから、上品なベージュの小さい箱に入った口紅を大切そうに取り出し私たちの目の前に差し出した。
「こんな色なんだけど……彼女、試しにつけてみる?」
テスターの口紅を繰り出して見せ、ニッコリと微笑む。
「えっ? いいんですか??」
私は嬉しくて身を乗り出した。
「えぇ、いいわよ。じゃあ、じっとしててね」
綺麗なお姉さんは、ほんの少しスパチュラに口紅を削り取り、慣れた手つきでリップブラシに馴染ませた。
ひんやり唇の上を滑るブラシの感覚が擽ったくて堪える為にグッと目を閉じてしまう。
「そんなに力を入れないでも大丈夫よ。はい、出来上がり!」
目の前に差し出された手鏡を覗き込むと、艶々と輝いている自分の口元だけが急に大人になった気がした。
「あら似合うじゃない? これグロス感覚でつけられるお色だから自然だし、彼とのデートの時とかにもピッタリよ!」
ふふふと悠真を見て微笑むお姉さん。
思わず後ろを振り向き、恐る恐る悠真の顔を見る。
「……どう……かな……?」
『彼』と言う言葉を否定することも忘れる程、悠真の反応が気になってしまう私。
「………すっごい可愛くなった!」
ほんのり頰が赤く見えたのは気のせいかな……?
でも、悠真のたった一言の素直な感想が、最近ハンマーでぺしゃんこにされていたような私の感情をも、むくむくと生き返り飛び跳ねる様に復活を遂げさせる。
「…ありがと……」
なんだか涙が出てきちゃう。
綺麗なお姉さんはそんな私に気がついたのか、悠真に見えない様にそっと丁寧畳まれたティッシュを差し出してくれた。
驚いて彼女を見ると、うんうんと優しく頷いている。
大人の女性のさりげない優しさに、感動しながらこっそりと涙を拭き、自分もこんな女性だったら、悠真と吊り合えるのかな……なんて思った。
「悠真、プレゼント、これでいいよね?」
一応悠真に了解を得る。
「これ、おいくらですか?」
悠真は値段も気にせず購入しようとした私をちょっと待ってと制止する様に身を乗り出して聞いた。
「3240円よ」
私たちは向き合って予算内である事を目で会話し、
「じゃ、お願いします」
そう返事をした。
「じゃあ、プレゼント用にラッピングするから、ちょっとまっててもらっていい?」
可愛らしい包装紙を手に会計を終えた私たちに声をかける。
「はい。陽菜、夕飯の買い物も頼まれてんだろ? 先済ませてこようぜ?」
時計を見ながら思い出した様に悠真が言った。
「そうだね。じゃあ、帰りにまたここによります」
そう言って笑顔で見送るお姉さんを背に食品売り場へと向かう。
「今日、私が作ろうかな……?」
食材用の予算ももらってるし、誕生日くらいは夕飯作りを休ませてあげたかった。
「じゃ、俺も手伝うよ。桜さん仕事の帰り7時くらいだろ?」
私の隣を歩く悠真の距離がほんの少し近くなった様に感じるのは私だけかな……?
「久しぶりに、一緒に作っちゃう??」
嬉しくてニコニコが止まらない。
「……やっぱ、陽菜は笑ってる顔が一番可愛いよ」
まじまじと私の顔を見て突然そんな事を言う悠真に、顔がボッと赤くなる。
「なっ、何? どうしたの急に??」
なんでも素直に話してくれる悠真だってわかってるのに、動揺しすぎて聞かないでもいい事を聞き返してしまう。
「文化祭行った日から、笑ったふりしてるけど落ち込んでただろ? 俺なんか陽菜にしちゃったのかなってさ、ちょっと引っかかってた」
恥ずかしそうに頭を掻く。
「……そうかな……。なんでもないよ」
頭の中に朱莉先輩が突然現れる。
「ほら! また! どうしたんだよ?」
悠真が私の前に回り込んで顔を覗き込む。
「せっかく可愛くなったのに、そんな悲しい顔すんなよ」
悠真の瞳が心配してくれていた。
「なんかさ、受験を目の前にしてセンチメンタル……? っていうの? 悠真ともちっちゃい頃はいつも手を繋いで遊びに行ったりしてたのに、二人とも大人になったらどんどんそういう事も無くなるんだなって思ったら、ちょっと寂しくなっちゃっただけ!」
ペロッと舌を出して本心を奥にしまい込む。
「なんだ、そんな事かよ…!」
そう言うと、私の手に温かい物が触れる。
「悠真……?」
包み込む様に重なった手が、ギュッと私の手を握った。
「手ぐらい、いつだって繋いでやるよ」
もう片方の大きな手をぽんと私の頭に置き、何があっても味方でいてくれる彼の笑顔に、いつものようにまた、心を鷲掴みにされてしまう。
「……うん! ありがと……!」
きっと目の中にいっぱい溜まった涙に気づかれてしまったかもしれない。
でも……でもね? 悠真が誰を好きだろうと、私はやっぱり悠真の事が好き。
涙で歪んだ野菜売り場の風景は、切なくもカラフルに自分の気持ちを映し出している様だった。