37 すれ違い
「……クシュンっ!」
悠真に手を借りながらやっとの思いでボートによじ登った私は、いくら初夏とは言え、吹き抜けるそよ風に体が冷えきって震えていた。
「大丈夫か、陽菜……。とりあえずボートを降りよう」
そういって岸に向かってゆっくりとボートの向きを変える。
あまりの突然巻き起こった事態に、全ての時間が止まってしまったようだったが、ようやく少しずつ思考が元に戻ってくる。
悠真はボートに上がって開口一番、
「……すまない……」
そういって頭を深く海斗に向かって下げた。
『どうして悠真が謝るの?』
そのあとの悠真の言葉を聞くまでは、そう口に出して言ってしまうところだった。
「お前の彼女なのにな……。無神経だった」
こんな風に人に頭を下げる悠真を初めて見る。
いつも何をやっても完璧にこなして、その上、相手を思い遣って行動する悠真は、今まで一度だって誰かにこうして頭を下げなきゃいけないような事なんて、した事がなかったのに……
悠真のせいだけじゃない。
私は悠真のしてくることに一切抵抗しようとしなかった。
海斗の彼女なのに。
「悠真、やめて! 謝らなきゃいけないのは私の方なのに……!」
茫然としている海斗を私はしっかりと捉える。
「海斗……、本当にごめ……―――」
最後まで言い終わる前に、海斗は私にくるりと背を向けた。
「その先は……今は聞きたくない……。俺はもう行くから、悠真、陽菜ちゃんの事よろしくな」
冷ややかにそう言って、心配そうに見守る吉川先輩の待つボートへと戻っていく。
「海斗……」
あぁ、きっと海斗をすごく傷つけた……。
何やってんだろう私。
悠真の顔が近づいてきて、物凄くドキドキしてた。
このままじっとしていたら……
悠真とキスできてたんじゃないかって……
本当に最低。
こんな自分、誰にも好きになってもらう資格なんてない……。
「悠真……、今日は本当にごめんなさい……。岸に着いたら、私先に帰るよ」
私は悠真の恋人どころか、幼馴染としても、親友としても、傍にいる資格なんてない。
悠真の可愛いって言ってくれた口紅なんかつけて……
海斗を傷つけてるのに、何をこんなに浮かれてたんだろう……
ゴシゴシと口紅を削り落とすように手でこする。
もう、やめよう……
海斗の彼女でいることも……
悠真を好きでいることも……
このままじゃ星宮先輩まで裏切ることになる……
早く……早く岸について……
必死にそう願う。
悠真と二人の空間も、今の私には決して許される場所じゃない。
だんだんと近づいてくるボート乗り場の降り口をただただじっと見つめていた……
岸に降りると私は悠真に頭を下げた。
「わがままばっかりで本当にごめんなさい……! 今日は一人で帰らせて。翼と美咲には……ごめんねって伝えといてくれるかな……」
顔があげられない。
ビショビショになった自分はどんなに惨めだろう。
でもどんなに惨めになっても、自分の悪を都合よく消すことなんてできなかった。
「……陽菜……」
悠真はきっと私の気持ちを察してくれたのかもしれない。
それから先は何も言わずに私の背中を見送ってくれた……。
俺は陽菜の背中を目で追いかけながらまだ池に残っているだろう翼に電話をした。
事情を全て話して、俺も陽菜と帰ることを伝えるためだ。
電話の向こうで美咲の『心配だから一緒に帰る』という声も聞こえたが、翼がうまく彼女に話してくれたみたいだった。
陽菜のとぼとぼ歩いている背中を、少し離れたところから追う。
まさかこんな事になるなんて……
自分の浅はかさに嫌気が差した。
海斗と、陽菜は恋人同士で……
そんなことは分かってたはずなのに。
あの時、俺は完全に理性がぶっ飛んでいて、海斗が追突してこなかったら……完全に俺は陽菜にキスしてただろう。
陽菜の気持ちも考えずに……
ごめんな……陽菜……
今こうして、直接傍にいて遣れない不甲斐なさに泣けてくる。
誰よりも近くにいたはずなのに……
誰よりも近づけない……
でもな、そう簡単に投げ出せないんだ。
陽菜は俺にとって体の一部みたいなもんなんだ。
俺は、陽菜にちゃんとフラれるその日まで希望の光を消したくないんだ……。




