26 不本意なキス
「先輩、遅くなっちゃってすみません!」
俺の女神である陽菜ちゃんが、息を切らせながらようやくコートに戻ってきた。
吉川先輩に振り回されてボロボロになった俺は、仔犬の様に陽菜ちゃんの側に駆け寄る。
「佐伯さん、遅いわよ!!」
ふぅとため息をついた吉川先輩は、陽菜ちゃんに近寄った。
早足で歩き出し、すれ違いざま陽菜ちゃんに小声で放った言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「ぼーっとしてると五十嵐くん、誰かにキスされちゃうかもよ?」
クスリと笑ってわざとらしく振り返り俺を見る。
「……あの……どういう意味なんですか…? ごめんなさい……よく分からなくて」
混乱した表情で吉川先輩と俺の顔を交互に見ている陽菜ちゃんに、いくら嘘は大嫌いだとはいえ、とてもじゃないが、たとえそれが不可抗力だったとしても、吉川先輩と本当にキスしてしまったなんて、口が裂けても言えなかった。
「今に分かるわよ」
ふふふと不敵な笑みを浮かべる。
俺は慌ててコートを出ようとする先輩の腕を掴み、
「…ちょっと、いい加減にして下さいよ?! あんなの誰がなんと言おうと俺はキスとは認めないからな!!」
俺は陽菜ちゃんの耳には届かないよう最大限の注意を払い、吉川先輩の耳元に小声で怒鳴る。
「やだ! 五十嵐くん変なこと言わないで! 恥ずかしいじゃない!!」
わざと誤解を生む様に大声で叫んだと思えば、頰を両手で覆い、まるで俺が陽菜ちゃんに聞かれたらまずい事を内緒話ししている様な言い方をしやがった。
「ちょっ……!!」
先輩は必死で反論しようと身を乗り出す俺の口を塞ぎ、もう片方の手でシィと自分の唇に人差し指を当てる。
俺の胸元を掴み勢いよく引き寄せると、最後に俺の耳元で囁いた。
「今日はこれくらいで許してあげる。でもね、五十嵐くんは、絶対私のこと好きになっちゃうから……覚悟しておいてね」
陽菜ちゃんに強気な視線を送りながら、吉川先輩はカバンをもってコートを出て行く。
「………海斗……?」
ポカンとその様子を見守る陽菜ちゃんはどうやら何も気がついていない様だった。
ほんの少し安心した俺は彼女の手を引いて、
「……なぁ、もう帰ろう……」
そう促した。
二人で校門を出てから無言の時間が続いていた。
昨日の悠真との事もうまく聞けないし、今日の吉川先輩との事を突っ込まれるのも怖くて、陽菜ちゃんに声をかけることができなかった。
薄暗くなった空にチラチラと星が輝き出す。
どうしてこうなった……??
俺、何か悪いことでもしたか??
キラキラと素直に輝いている星たちとは裏腹に、俺の心は陽菜ちゃんに対する不本意な嘘と、ドロリとした悠真への嫉妬に足を取られ行き先を見失っていた。
「海斗……? どうしたの?? 何か悩みでもあるの??」
疑いもせず、心配そうに覗き込む陽菜ちゃんの顔を見ると、自分を殴りたくなる。
なんでキスを阻止できなかったんだ……!!
なんで俺の彼女なのに悠真がおんなじ家に住んでるんだ……!!
夜風がすぅっと俺と陽菜ちゃんの間を吹き抜けていく。
このまま、陽菜ちゃんの心も風に飛んで行ってしまいそうで急に不安が襲いかかる。
俺は思わず誰もいない街灯の下で立ち止まり、がむしゃらに陽菜ちゃんを抱き寄せた。
「……海斗……?!」
驚いた彼女は俺を見上げる。
こんなはずじゃなかったんだ。
もっとロマンティックに……、頰を赤らめる陽菜ちゃんを愛でながらそっと髪を撫でて………。
夢ごごちにになってる彼女の唇にそっと自分の唇を重ねるはずだった。
俺はただ、自分の沸騰しそうな心を陽菜ちゃんに悟られる前に……彼女の唇を塞いでいたんだ………。




