11 海斗の存在
部活を終え、今日一日を振り返った私は時計を見て驚く。
「わ! もう8時!! 今日お風呂掃除の当番なのにヤバイ!!」
急いで帰ろうと一歩踏み出したその時、後ろからガシッと肩を掴まれる。
「……ん?」
と振り返ると海斗だった。
「なぁ、方向一緒だし、一緒に帰んない? 結構遅い時間だし、一人じゃ心配だろ?」
一瞬、海斗と二人の方が心配だわ……なんて思ったけど、暗い夜道は流石に一人だと不安だし海斗の言葉に甘える事にした。
海斗は自然なスキンシップが多い。
小学校の時からそうだ。
本人には全く悪気はない様だけど、小さい頃は『仲がいいわねー!』なんてよく茶化された。
ただ、もう今は高校生だし、そんなにベタベタ触られると違った誤解をされそうで些か心配になるのだった。
「………?!」
ほら今もスッとさりげなく手を繋いでくる。
「ちょっと、海斗! 手なんか繋いだら付き合ってるって誤解されるじゃない」
背の高い海斗を見上げながら手を軽く振り解こうとする。
「いいじゃん、もしかして誤解されて困るやつでもいんの?」
私の気持ちを分かって聞いてるのだろうか?
「……別に……、居ないけど……」
居ても叶わない恋を、敢えてひけらかす必要もないか……。
「じゃあ、いいじゃん!」
当たり前の様に繋いだ手を握りしめてくる海斗。
「スキンシップはさ、距離が縮まりやすいんだって!」
どこで得た情報か知らないけど、それにしたって、どうしてそんな簡単に好きな子と手を繋げるのよ?
私は悠真と手を繋いだ時なんか、嬉しくて、ドキドキして、夢の様で……今だってずっと心にしまって置きたい、大切な宝物みたいな出来事なのに!
「ねぇ、私の事好きって嘘でしょ?」
疑い深い目で海斗を見つめる。
「……なんでそう思うの……?」
急に海斗の表情に影が差した。
「だって、好きな子にそんな簡単に触れないでしょ? ふつう!!」
『全く、騙されないわよ!』言葉には出さないが、全身からそんな空気を放ってみる。
突然高速で視界が動き、気がつけば海斗の大きな胸が目の前に現れる。
「ひゃっ!!」
キツく抱きしめられた海斗の腕の中で私は呆然と彼の顔を見上げた。
「……海斗……?」
「好きな子には触りたいでしょ? 普通……」
そう耳元で囁く声は微かに震えていた。
「ち、ちょっと! 海斗!!こんな所で!」
強引に抱きしめられて戸惑いながらも、ただふざけているだけではないことは、彼の声音と鼓動の音で伝わってくる気がした。
「陽菜!!」
突然、聞き覚えのある声に背筋が石のように硬直する。
慌てて海斗の腕の中から脱出して背後へ振り返った。
「悠真……!!」
思い当たった声の主と視界の中の人物がまんまと一致し、私は海斗と慌てて距離を置く。
「帰り遅いなって、心配して見にきたんだけど……、必要なかったみたいだな」
無機質に話始めた彼の顔を恐る恐る見る……。
瞳の奥が静かで、そして冷たかった。
「お邪魔しちゃって、ごめん」
くるりと向きを替え走り出す。
その背を追いかける様に、
「ちょっと待って!! 悠真!!」
海斗を振り返ることなく私は悠真を追いかけた。
海斗は私の後ろ姿を見て気づいたかもしれない。
私の好きな人は、悠真だって事を……。
「ねぇ! 悠真! 待ってってば!!」
家を目前にして突然素直に立ち止まる。
「……今日、風呂掃除、陽菜だろ」
振り返る事もなくそう呟いた。
「……あ、あぁ、うん。ごめんね。今すぐやるからちょっと待ってて!」
なんだか悠真の感情がわからなくて……、怖くて顔をみれなかった。
私は誰もいない真っ暗な家の中に入り荷物を放り出して風呂場に向かう。
「そうか……、今日はお母さん夜勤だった」
乱れた感情を誰にも気付かれたくなかった私はホッと胸を撫で下ろす。
サッと制服を脱ぎ、Tシャツと下だけジャージに着替えて風呂場に入るが、うちのお風呂はなかなか広い。
ゆったり3人位は入れる大きさだが、掃除も3倍大変だ。
悠真の家の方から脱衣所の扉を開ける音がする。
お風呂は一つだけど、そこに繋がる脱衣所の入り口は悠真の家と、私の家とどちらからも入れるように二つあるのだ。
「………?」
気のせいか、音のする方へ目を向けると、曇りガラス越しに人の影が蠢いていた。
「悠真?」
私はドア越しに声をかける。
するとガチャンと音がして悠真がジャージ姿で入ってきた。
「………手伝うよ」
そう言って手にスポンジを持っている。
「……うん、ありがと……」
さっきの気まずい空気を引き摺りながら、よっぽどお風呂を待っていたのかな……と申し訳なくなる。
「ごめんね、悠真遅くなっちゃって……」
掃除に夢中になる振りをしながら床を擦る。
「いや……、別に……」
悠真、まだ怒ってるのかな……。
声が怖いよ……。
「ホントごめんなさい! 今度から当番の日は朝掃除してから行くから……」
ようやく悠真の顔を見る。
「……あいつ……、五十嵐海斗だろ? 陽菜とおんなじ学校だったんだ」
突然の海斗の話にスポンジを持った手が止まる。
「う、うん……。悠真、覚えてたんだ」
悠真はテニスクラブに入っていなかったから、あの頃ほんの数回しか会っていない海斗の顔をよく覚えているなと感心する。
「あぁ」
低く暗い声。
「わ、私さ、同じクラスだったのにテニス部の部室に入るまで、全然気が付かなくって!」
ハハハとバレバレの作り笑いが浴室に響き渡る。
「海斗さぁ、昔からなんかスキンシップ激しいじゃない? ほら、さっきも挨拶がてらハグしてきてさぁ! 全くビックリビックリ!!」
何をわざとらしく言い訳がましい事言ってんだろ、私…。
悠真には何にも関係ない事なのに。
「……あいつ、陽菜の事……好きなんだろ?」
バスタブを磨いているスポンジから目を逸らさず、悠真はボソッと呟いた。
「えっ?!」
図星を指されて動揺した私は、足元を滑らせ蛇口に体がぶつかった。
頭上から一気に大量のシャワーの水が降ってくる。
「ひゃぁああ!! 冷たい!!」
あまりの冷たさにパニックになる私。
「おい! 大丈夫か!!」
悠真は暴れている私の横を静かに通り、スッと蛇口をしめる。
脱衣所からバスタオルを持って、悠真が駆け寄った。
ふわっとびしょびしょになった私の頭にかけ、優しく拭き取ってくれる。
「危なっかしいんだよ……。本当に……」
悠真の瞳の奥がようやく柔らかくなる。
タオルの隙間から見える、悠真の穏やかになった表情に、
「悠真ぁ……」
何故かポロポロ涙が出てくる。
せっかく久しぶりに話せたのに、冷たかった悠真の心の奥が見えなくて……。
不安で不安で仕方がなかった。
「掃除してなくてごめんなさい……。次はちゃんとやっとくから……」
安心した気持ちが溢れ出して、みっともないほど涙が止まらない。
「……バカ……。そんなん、全然怒ってないよ」
寒さで震える私を優しく抱き寄せる。
次第に悠真の体温が伝わって、温かくなってくる。
「ほら、もうここは俺がやるから着替えてこいよ」
そう私に視線を落とした悠真の顔が急に真っ赤になる。
「……?」
不思議そうに見上げると、
「早く着替えて来いって!!!」
急に逃げるように脱衣所に入っていく悠真を見つめながら、隣の鏡に映る自分に目をやると、ビックリするくらいに下着が透けていた。
「やだっっ!! 見た?!」
今更ながら胸元を隠したが時すでに遅し……。
「当たり前だろ!! だから早く着替えて来いって!!!」
ドア越しに動揺する悠真の声が聞こえてくる。
そんな悠真の声がいつもの雰囲気を運んで来てくれたようで、気がつけば笑顔が戻ってきていた。