1 幼馴染
「俺、楠高校受けることに決めたわ!!」
目をキラキラと輝かせながら私の部屋で決意表明をするのは一ノ瀬悠真、受験シーズン真っ只中の中学三年生。
それを突然聞かされ身動き取れないでいる私は、佐伯陽菜、悠真とは同級生で幼馴染。
悠真とは生まれた時から、彼の父である柊と、私の母、桜の間に不思議な縁があって、同じ屋根の下で暮らしている。
これだけ伝えただけではとても理解してもらえる関係ではないから、ややこしい事はおいおい話して行くとして、今日押さえて貰いたいのは、悠真の父も、私の母もどっちもシングルだって事。
せっかく私の両親と祖母が住むつもりで建てた二世帯住宅が完成した直後に、父親が女の人を作って家を出ていき、数ヶ月後に、孫の顔を見ることもなく祖母が他界。
お母さんは私をお腹の中に抱え、一世帯しかいない二世帯住宅にひっそりと暮らし始めた。
その後、私が生まれて数日後に、持ち主を失くしたもう一世帯の部屋へ、彼の父である柊がまだ乳飲み子の悠真を連れて、父一人子一人で引っ越してきたという謎の運命。
同じ屋根の下と言っても玄関も台所もリビングもダイニングも、一通りは別々になっている。
共有しているものといえば大きなバスルームと家族のそれぞれの部屋を繋ぐように設置してある広いベランダだ。
加えて一階のダイニングと、二階の私と悠真の部屋に、お互い行き来ができる扉が付いている。
この扉がある事で、悠真は毎日当たり前の様に食事に来ていたし、学校から帰るといつもお互いの部屋を繋いで広いスペースを作り一緒に遊んでいた。
おばあちゃんが建ててくれたお家のおかげで、寂しさを感じる事もなく、もはや家族、兄妹の様に過ごしてきた私達。
周りから見たら、理解に苦しむだろうこの生活が、私にとって最高に幸せだった。
この調子で悠真とは高校も大学も一緒の道を進んでいくのかなぁ……なんてほんわか思っていたのに!!
あの日一緒に楠高校の文化祭なんかに行かなきゃよかったのよ……。
夏のカンカンだった日差しがほんの少し柔らかくなった、九月の半ば頃、悠真に誘われて何となくついて行った楠高校の文化祭。
志望校にするには少々偏差値が厳しいかな……なんて思っていた学校だったから、私はそんなに興味もなくただ楽しむためだけに悠真の後ろを歩いてた。
色取り取りの立て看板に目を奪われながら、中学生の自分より格段に自由で生き生きとした世界に、一年後の自分を重ね合わせては、次々と溢れ出てくる妄想にどっぷりと浸かる。
「ん? 軽音部?」
突然立ち止まった悠真の背中に追突しながらも、彼の表情が急に変わった事にはちゃんと気がついた。
「悠真、最近いろんなバンド聴いてるもんね」
壁一枚隔てた彼の部屋から、たまに大音量で流れてくる音楽に少し迷惑しながらも、嬉しそうに聴いている悠真の顔を思い浮かべると情けなくも簡単に許せてしまう。
「あぁ、俺も聴くだけじゃなくて、やってみたいんだ、ほんとはな」
シィと人差し指を口元で立てながら満面の笑みで秘密を共有してくれる。
そんな悠真の横顔をみて、ドキドキと感じ出したのはいつからだろう……?
家では完全に兄妹の様な空気になっているなか恋をするっていうのは、悪い事では無いはずなのに、言いようもない罪悪感にかられてしまう。
小さい頃はなんとも思っていなかったが、悠真は意外とモテる。
私が覚えているだけでも、五人くらいの女の子からは告白されていた。
どんな風に返事をしたのかは分からないけど、学校でどれだけ騒がれてもいつも何事もなかった様にひょうひょうとした表情で帰ってくるのを見て、安心している自分がいる。
今だって、若手俳優の様に整ったその表情から、私は目をそらすことが出来ない。
毎日一緒に居たってこんなにキュンとするのに、加えて優しくて、背が高くて、少し焼けた小麦色の肌が眩しくて……、好きにならないでいることなんて無理!拷問!
「なぁ、陽菜! 観に行こうぜ!!」
悠真に強く手を引っ張られ人混みの中を抜けて行く。
繋いだ手を意識しているのは私だけのがなんだか悲しい……けど、嬉しい。
体育館に入ると、高校の行事とは思えないほどの人が溢れかえる。
「ねぇ、凄い人気なんだね!」
まだ始まってもいないのに異様な盛り上がりを見せる会場に変な不安が付き纏う。
大歓声とともに幕が開くと、ドラムが刻んだリズムを皮切りに、会場の熱を吸収しながら、力強く楽器が鳴り出した。
その音を突き破り、女性の芯の通った歪みのない声が会場中に響き渡る中、声の持ち主を探そうと目を凝らしながらボーカルを捉える。
真っ直ぐな黒髪に真っ赤な口紅が色っぽい、大人の女性を連想させる風貌で淡々と歌い続けていた。
細い体付きからは想像できない安定した声に、こんな激しい音の中でなんて聴きごごちがいいんだろう……とついつい耳を傾けてしまう。
「凄い……!! 彼女……!!」
湧き出す様な悠真の声に気づき見上げると、私には見せたことのない高揚して頰を赤らめた表情で、魂を鷲掴みにされたように茫然と立ち尽くしていた。
悠真が一気に遠くに行ってしまった様な気がして私は、
「悠真? 悠真?!」
大音量の中、名前を叫ぶ。
「ねぇ、悠真ったら!!」
何度叫んでも彼には届かない。
「悠真………」
まさか……。
絶対に起こってほしくないまさかが……、彼の感情に芽生え始めている事に気付かないふりもできず、不安に溺れそうになりながら、彼を見つめ続けた……。