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深海魚の瞳

作者: 秋助
掲載日:2017/08/18

・縦書き ニ段組 A5サイズ

・27文字×21行

・文字サイズ9ポイント

・余白 上下11mm 16mm


に、設定していただくと本来の形でお読みになれます

     1


 私の両目には幼いころから、覚えている限りでは六歳のころから小さな秘密があった。それこそ涙ほどの大きさだ。その秘密のせいで、私は人前で泣くことができなかった。花の髪留めをくれたあの子にも、先生にも、両親にも。

 秘密を知られてしまうのがこわかったのではない。周囲の目が変わってしまうことも関係ない。ただ、私だけの秘密にしたかったのだ。あの綺麗なキラキラを、私だけのものに。

 ところが近所の公園で、私の秘密は男の子に見られてしまう。私は泣きわめき、秘密がポロポロと溢れていく。男の子が両目の秘密に気付き、一瞬、表情に驚きが帯びる。そのとき、男の子の手が私の両目を包み込み、秘密に変化をもたらす。私は唖然とし、男の子も不思議そうに首をかしげる。なんだ。なんなんだこれは。なんだこの男の子は。

 私のキラキラを返せ! 男の子を強く睨む。けれど、男の子はしばらく考えたあと、恥ずかしげもなく私に告げた。

 きっと僕の手は温かいからだ。男の子は小さくほほえむ。

「その花の髪留め、可愛いね」

 これが、私の小さな初恋だった。


     ※            ※


 それからは毎日、男の子と近所の公園で一緒に遊んだ。

 お互いに秘密を共有するドキドキ感は、親に隠れてこっそりキャンディを食べるときと似ていた。もっとも男の子の秘密は、私の秘密と重なるときにだけ正体を明かす。それ以外は他の人より温かいだけの手であった。

 近所の公園は子ども達の影もない小さな公園だ。象の形をした大型の滑り台が設置されていて、中は空洞になっているので子ども二人には充分過ぎるほどの広さだった。

 その中で私は小学校の友達の話や、今朝見た悪い夢の話をする。そうしている間に私は段々と悲しくなり、男の子の手をそっと握る。じわぁ。と、手のひらの熱量は体の芯にまで入り込み、気持ちまでポカポカにしてくれた。

 そして、両手を私の目にあてがう。

「ごめん。ちょっとだけ溢れた」

「いいよ。ちょっとだけだもん」

 私と男の子で、そのちょっとだけを眺める。

綺麗で、キラキラしているなと、何度見ても思う。その反面、私は男の子がいつか消えてしまうのではという不安で心の中がいっぱいであった。

 その日が来てしまったら私は、これから泣くことなんてできなくなるのだろう。だから、私は男の子に頼む。

「あのさ、お願い、聞いてくれる?」

 タイムリミットに気付いたのは、冬ごろの話である。


     2


 横殴りの秋風が目を細めさせる。

 左目の視界を眼帯で塞がれている私にとって、交通量の多い高校への道を歩くのは困難であり、恐怖だった。左側から自転車が追い抜こうとしても、私にはそれが見えないため、そのせいで何度か危ない目にもあっている。大抵は相手から「ちゃんと周りを見なさいよ」という顔を向けられる。そして左目の眼帯に気が付くなり、そそくさと顔を逸らして、何事もなかったように去っていく。そんなの日常茶飯事だ。

 私の両目の秘密を知っている、そして、私の生涯を大きく変えた人物は二人いる。一人目は近所の公園で会ったあの男の子で、二人目は私の実の母親である。

 正面に目を向けると、小、中学校と同じクラスで一番仲の良かった友人の姿をとらえた。高校に入ってからは私以外の人と仲良くなり、彼女とは疎遠になってしまった。

 彼女は私の秘密を知らない。でも、私の生涯を大きく変えた人物であった。彼女はその出来事を覚えてくれているのだろうか。叶うのであれば、ずっと覚えていてほしい。

 彼女が私の視線に気付いたのか、前触れもなく振り向く。瞬間、見たくないものを突然見せられてしまったように顔をしかめる。その様子に気付いた他の二人も私の方を見た。

「あれ、あんたの友達じゃない?」

「……べつに。小、中と一緒の学校だっただけ」

 嘘だ。彼女は私のことを、大切な友人だと言ってくれた。この花の髪留めもプレゼントしてくれた。本当は彼女の方が何倍も頭が良くて、だけど、頭の悪い私と同じ高校へ進学するために、ランクをいくつか落としてくれた。それなのに。

「つーかさぁ」

 母親に左目を売られたらしいよ?

と、少しずつ遠ざかっていく声の中、小さく聞こえた。そんな言葉、聞こえなければ良かったよ。

 確かに家は裕福ではない。でもだからって眼球売買なんてものは馬鹿げた話だ。あの人は私の目には興味がなかったのだから。両目の秘密に魅せられて狂ってしまった。人の欲は底なし沼。あの人はそれに飲み込まれただけの話である。


     ※            ※


 いくら彼女が遠さがっても、私達は同じクラスだった。

 何の因果か、今まで別のクラスになったことはない。だからこそ私達は仲良くなったけれど、子どもと大人の間である高校生という存在の前に、運命はなんの意味も成さない。

 私の座る一番左の最後列は元々、彼女の席だった。左側が見えない私はそれを理由に、席を替わってほしいと彼女にお願いしてみた。本当はどの席でも黒板は見える。だけど、なんでもいいから彼女と話せる口実を見つけたかった。

 実質、彼女の一つ前の席に座れば話すチャンスは増えるのに、私はそれをしなかった。いや、できなかったのだ。話す口実を見つけても、それを実行できない臆病者だから。

 外を見ると広告バルーンが浮かんでいた。なにが書いてあるのか読もうと必死に目を細める。文字はいくら目を細めてもぼやけるばかりだった。両目、また悪くなったな。

 酷使した目を繰り返し閉じたり開いたりしていると、細長い線の亀裂が流れ星の矢のように映り込む。雨だ。と理解してその様子を眺める。雲が空に被さり太陽を隠してしまう。

 彼女を見ると、同じく雨が気になったのか視線が合う。彼女はすぐに黒板の方へ向いてしまったけれど。

 この雨は泣けない私の代わり。なんて、感傷的なことは考えなかった。私の涙は、雨のように流れないのだから。


     ※            ※


「僕と付き合ってほしいんだ」

 高校からの帰り道、同じクラスの男の子に告白された。高校に入学してから、これでもう何人目になるのだろうか。

「いいよ。だけど、条件があるの」

「条件?」

 返事の早さと、条件という言葉の前に彼が戸惑う。

「両手で私の目を包んで欲しいの」

 露骨に嫌な顔をされる。できれば、私だってこんなことしたくない。でもこれは儀式だ。私が人前で泣いてもいいのかを確かめる方法。今はまだ不器用なやり方しか知らない。

「私が好きなら早く」

 その言葉を不思議に思いながらも、彼が私の両目を包む。

 温かい。じんわりと、熱が網膜に吸い込まれていく。

 だけど、あの男の子とは違う温もりだ。似ているようで、どこかに絶対的な差異がある。その差異が、どのようなものなのかはわからないけれど。次第に気味悪く感じてくる。

「もういいや。ごめん、あなたとは付き合えない」

「は? なんで?」

「なんでも。とにかく、ごめん」

 自分の家とは反対方向に足を向ける。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる。私のやり方は、間違っているのだろうか。

「いくらなんでも、それは酷くない?」

 追いかけて来た彼が私の左腕を掴む。私の顔を睨みつけ左目の眼帯へと手を伸ばす。逃げられないわけではなかった。力強く手を振り払えばその手はほどける。けれど、あの日の記憶がフラッシュバックする。やめろ、やめろ、やめろ。私だって、こんな秘密、瞳に宿したくなんてなかった。

 そのとき、

「なにやってんの。ばっかみたい」

 彼女だ。いつからそこにいたのか、なにやら不機嫌な顔をしている。それより彼女の家は全くの反対方向だ。どうしてこんなところにいるのだろう。私を追ってきたのだろうか。

「早く手、離したら?」

「あ、あぁ、悪い」

 彼が気まずそうに私の左腕を放し、そそくさと逃げ帰っていく。握られていた左腕を見ると指の跡がしっかりと残っていた。跡を眺める。少し母親のことを思い出してしまった。

「ありが――」

「あんたさ、男に媚びてる癖に誰とも付き合わないの?」

 彼女はなにかを決意したように、私の前へ立ち塞がった。


     3


 あいつは人前で泣かない強さを持っていると思っていた。私はその強さに惹かれたから、一緒にいたいと願ったのだ。

 なのに、あいつの持っているものは人前で泣かない強さではなく、人前で泣けない弱さだった。私は、何度もあいつが一人で泣いている姿を見たことがある。体育館倉庫の中で、象の滑り台の下で。あいつは誰よりも泣き虫だった。

 けれど小学校や中学校の卒業式のとき、あいつは一度も泣かなかった。あんたと私との思い出の間には、泣くようなことはなかったのか。幸せだった学校生活が終わることに哀しみなんてなかったのか。楽しいと思っていたのは私だけで、あんたは私と一緒にいるのが本当は嫌だったのか。

 あいつ自身にだって悪い面はある。小学校、中学校では大人しめで、悪く言えば自己主張が少なかったのに、中学三年生のころから外見も中身も変えたのだ。積極的に私以外のクラスメイトに話しかけ、新しい輪を広げていく。

 そこまではまだ許せる。けれど、その交流の対象が男子だけだと気が付いてからは、怒りや呆れを通り越して興味がなくなった。無理にでも昔の自分を引き剥がそうと必死になる醜悪な態度は、まるで深海魚の見た目そのものに感じた。

 せっかく、ランクを落として一緒の高校を受けたけれど、そんなことはもうどうだっていい。私はあいつ以外の友人を見つけ、あいつに関する一切の接点を断ち切った。

 あいつはずっと、深海魚そのものだと思っていた。陽の光も当たらない暗くて深い海の残骸で、醜い姿をしながら回遊している深海魚。出る杭が打たれるように、浮上する深海魚は太陽に灼かれて、腐っていけばいいのだと何度も願った。そして、すでに腐っているのは私だと穿った。

 私は家と反対方向に歩き出す。あいつのことは大嫌いだ。でも、もしかしたらあいつが、まだこの道の延長線上のどこかにいるのではないか。この道をまっすぐ歩いたら、私の平行線と交わることができるのではないか。そんな馬鹿みたいなことを期待して、一歩ずつ足を進めた。

「僕と付き合ってほしいんだ」

 曲がり角に差しかかるとき、聞き覚えのある声がした。

 壁の影から静かに様子を伺うと、あいつがいた。あまりにもすぐ見つかったので、まだ心の準備ができていない。

 声の主はクラスの男子だった。

「いいよ。だけど、条件があるの」

「条件?」

 でた。あいつの奇妙な儀式だ。本当に、気味が悪い。

「両手で私の目を包んで欲しいの」

「…………は?」

「私が好きなら早く」

 男子があいつの両目をおずおずと両手で包み込む。

「もういいや、ごめん。あなたとは付き合えない」

「は? なんで?」

「なんでも。とにかく、ごめん」

 あいつが家とは反対方向に足を向ける。逃げても、どうせまた明日には教室で顔を合わせないといけないのに。私とあんたみたいにさ。あんたのやり方は、間違っているんだよ。

「いくらなんでも、それは酷くない?」

 追いかけてきた男子があいつの左腕を掴む。あいつの眼帯へと手を伸ばす。いくら男女の間に力差はあれど、けして振り払えない力ではないはずだ。あいつ、早く逃げなさいよ。

 あいつは男子ではない違うなにかに怯えその場で固まる。怖くないはずがない。やめろ。やめろ。やめろ!

 私だって怖かった。できるならば関わり合いたくない。

 けれど、今ここで逃げてしまったら、

 私は二度とあいつの側にいてはいけない気がした。

 なら、やるしかない。

「なにやってんの。ばっかみたい」

 私だって怖かった。この男子がではなく、こいつの目の前に現れるのが。思いきり怒鳴ってやろうかと思ったけれど、まるでこいつのために怒っているように思われるのが嫌だったから、少し冷めた変な言い方となってしまう。

「早く手、離したら?」

「あ、あぁ、悪い」

 男子が気まずそうにあいつの左腕を放し、そそくさと逃げ帰っていく。あいつは指の跡がしっかりと残っている左腕を眺める。なにかを思い出しているような顔つきをしていた。

「ありが」

「あんたさ、男に媚びてる癖に誰とも付き合わないの?」

 言いかけた言葉のその続きを聞いてしまったら、私は嬉しくなって、舞い上がって、きっとなにもなかったかのように仲直りしてしまう。だから、最後まで聞かない。

 代わりに今度こそ私が、謝ることができるよう、願う。

 秋風が強く吹く。秋桜の花が舞った。ひらひらと舞い散る速度で、私とあいつの関係を埋めることができたなら。

 そう決意して、

 私は、あいつの前へと立ち塞がった。


     4


 父親が過労で死んだのは中学三年生の春ごろだった。

 駆け落ちも同然で結婚した両親は、金銭の一切を工面してもらえることなく、最底辺の暮らしでなんとかしのいだ。

 父は朝から晩まで仕事をしていた。私は私で、家事をしない母親の代わりに家の全てを担うこととなる。育児に積極的でなかった母親とは違い、父は私のことを心から愛してくれた。私は父親に育てられたようなものである。

 哀しくて、愛しくて。今まで塞き止めていた哀しみが一気に涙腺へと押し寄せる。唇を噛んでいないと今にも泣いてしまいそうだった。泣くな、泣くな、泣くな! 涙の代わりに唇から血を流す。ぷつぷつと切れた唇から雫がにじむ。

 しかしこんな人だって仮にも母親なんだ。私を否定することはあれど、拒絶することなんてないはず。だからこれで最後にしよう。母親に私を、私の秘密ごと受け止めてほしかった。ふわり。と、涙を流す。綺麗なキラキラを、私の秘密を隠すことなく溢し続けた。

 秘密に気付いた母親は身震いを始め、目をひん剥きながらその秘密を手に取る。嗚咽も交えながらそれを掬う。恍惚の表情というものを、このとき初めて見た。

「あんた、これっていつからなの?」

「覚えてる限りだと、六歳のころから」

 次の瞬間には憎しみのこもった険しい顔付きとなる。私はわけがわからず母親の醜い顔を睨むことしか出来なかった。

「じゃあ、お父さんが死んだのはあんたのせいだ」

 ………………は?

「早く秘密を言えば、私は裕福な生活ができたのに!」

 ちょっと、待ってよ。私のせいなの? あなたがもっと父を支えていれば、パートにでも出ていれば、父が死ぬことなんてなかったのに。父は、あなたに殺されたんだ。

「その目、お母さんによこしなさい」

 この人はもう母親じゃないのだなと理解する。そもそも、とっくに親子だとは思っていない。血の繋がりだけで縛られて、心はさまよっていた。私の居場所はここじゃないのだ。

 目の前にいる人が私の左目に手を伸ばす。長く生えた赤い爪は眼球にかすり、鈍い痛みが走り、視界の隅に一瞬だけ黒い塊が出現する。すぐにそれは、まるでミラーボールのような光の粒子を拡散させる。

 この目がなくなったら、私は人前で泣くことができるのだろうか。その前に、涙を流す瞳、なくなっちゃうよ。

 だったら、

 この目はあげるから。代わりに、

「私のお願い、聞いてくれる?」

 両目だけではなく、この瞳が抱える秘密ごと奪ってよ。

 母親面するんだったら、娘のお願いくらい叶えてよ。

 そして、

 私の目は――、


     5


 彼女が私の目の前に立ち塞がってから数分が経つ。

 これは、チャンスなのかもしれない。また昔みたいに会話をして、笑い合って。そう思うと、なにも頭に思い浮かばなくなって、今までどんな風に喋っていたのか忘れてしまい自然とぎこちなくなってしまう。私の悪い癖だ。

 でも、いつまでもこうしてたってなにも始まらない。始まらないと、終わることさえできない。深い呼吸を繰り返す。

 ならば。

 吸って、吐いて、吸って、吐いて。………………よし。

「えぇと、……なに?」

 一瞬、彼女が私の言葉に身構える。その様子に私も身構える。お見合いの雰囲気にも似ていて、少しおかしかった。

「あんたの左目、母親に奪われたんだって?」

 彼女は人差し指で自分の左目を指し、侮蔑の言葉を投げかける。私は私で左目を抑え、その目の行先に思いを馳せる。

「あんたの家って貧乏だから、左目売られたんでしょ?」

「……用がないなら、もう帰るね」

 本当は、どこかで少し期待していた。また昔みたいな関係に戻れるのではないか。何気ない会話ができるのではないかと。なぜか、私から彼女に歩み寄ることがためらわれる。

 十何年と育んできた長い年月に、途方もなく深い亀裂ができた。その亀裂を埋めるには、また十何年という長い年月をかけないといけないのかもしれない。そのころ私にはもう、陽の光なんて見えなくなっているのかもしれなかった。

「私はあんたのそういうとこが気にくわないんだよ!」

 彼女に体を強く押される。

「すました顔して、男に媚び売って、あんた何様なの!」

 壁際に体を強くぶつける。そのとき、足元に咲いていた花を踏み潰してしまった。背中から全身に痛みが走り、呼吸困難になる。首を圧迫され、意識が遠のきそうになる。

 どうして、こんな歪な関係になってしまったのだろう。いつから私達の平行線は枝分かれしたのだろう。彼女は太陽みたいに眩しくて、私の住む深海には届かないみたいだ。

「ちょっとはなんか言ったらどうなの?」

 やめろ。泣くな。彼女の言葉が、棘を纏って私の心へ突き刺さる。泣くにしても、彼女と笑い合って泣きたかった。彼女と嬉しくなって泣きたかった。

「言い返せないの? この泣き虫」

 そうだ、私は泣き虫だ。しかも、人前では泣けない質の悪い泣き虫だ。だから泣かない。泣いてはいけない。

「ほら、なんとか言ってみなさいよ」

 じゃあ、じゃあ、じゃあ――、

「見せてあげよっか? 左目」

「…………え?」

「目玉がないから、地味にグロいけど」

 彼女へと近付き、顔の距離を限界まで狭める。お互いの呼吸が感じられるほどに。恐怖にひきつる彼女の顔は、花のように美しかった。私はゆっくりと左目の眼帯を外しかける。

「トラウマになっちゃうと思うけど、ごめんね」

「め、やめ、っ、や。あ……」

 なんて。

「嘘に決まってるじゃん。普通は義眼を入れるでしょ」

 左目の眼帯を最後まで取り外す。もちろん、そこに目玉は存在する。ただ、左目を傷付けられたせいなのか、視力を失いつつあるせいなのか、少しだけ瞳の色が薄くなっていた。

「じゃ、じゃあ、その左目、義眼なの?」

「外してみる?」

「ひゃ、っ!」

 へなへな。と、彼女の腰が砕け、その場に倒れ込む。

「普通の目だよ。視力なんてないようなもんだけどね」

 そして右目も。タイムリミットは、限りなくゼロに近い。

「…………その」

 彼女はバツが悪そうに、しかしその瞳の奥には、期待に縋るような小さな光が宿っていた。なにかを言いかけ、モゴモゴと言葉を咀嚼する。その姿がハムスターなどの小動物みたいで可愛いな。と、こんなときなのに感じてしまった。むしろこんなときだからこそ、どこか逃げ道を求めて、感情の着地点を不明瞭にしたいのだろう。

「ごめん」

 かすかに震える声は深海魚から放たれた言葉のように、ゆっくりと泡になって浮上する。その言葉が私に届いた瞬間、光が灯る。今までその言葉をどれだけ待っていただろうか。

 べつに謝罪の言葉でなくてもいい。彼女と話せるきっかけになるのなら、なんでも良かった。そして、ここに、その機会が巡り巡ってきた。途端に喉が、体が、心が震える。

 なにを言っていいのか迷い、仮に見つかったとしても言葉は声にならない。どうでもいいことなら泡のように増えるのに。しかし泡だから、すぐにどこかへ消えてしまうけど。

「うん。私も、さっきはありがと」

 やっと、昔のような関係に戻れた気がする。

 彼女の右手を左手で掴む。腕に力を入れると左目がズキンと痛んだ。でも、不思議と嫌な痛みではなかった。彼女との関係が元通りになるのなら、どんな痛みだって受け入れる。

 しばらく彼女と手を握っていると、その熱量に気付いて、彼女が慌てて手を離す。閉じて開いてを繰り返した。

「お、おう」

 彼女がはにかむ。私も、ほほえむ。

 想像以上に、あっさりと。こんなにも簡単なことだった。

「あのさ、話さなきゃいけないことがあるんだ」


     ※            ※


 それから、彼女に両目の秘密を打ち明けることにした。

 彼女を私の目の前に立たせ、私は静かに瞳を閉じる。そして、もう会えないであろう男の子のことを思う。もう届かないであろう父親のことを思う。両目の辿り着くその先を。感傷的な気持ちが私の心を侵食して、涙腺回路を刺激して、やがて、瞳から結晶が溢れる。

「…………あ」

 私の両目から、涙が宝石となって溢れ出る。ポロポロ、コロコロと。綺麗なキラキラが次々に地面へと落ちては割れ、割れては光る。これこそが、私の抱える両目の秘密だ。

「……これ、本物?」

「そうだよ、全部、本物」

 他にも男の子のこと。宝石が溢れ出るたびに視力が落ちていくこと。だから泣くのを必死にこらえていたこと。私が綺麗になれば、告白してくれる人達も大勢いる。そしたらその人達の両手で両目を包んでもらい、あの男の子の代用になるかと考えていたこと。だから綺麗になろうとしていたこと。

 そしたら、彼女も感情をぶつけてくれた。

 小学校の卒業式のときも、中学校の卒業式のときも、私が泣かなかったのは、私と彼女との間になんの思い出もないからと感じていたこと。私の変化の理由が、男子達に媚を売っているように思えたこと。

 二つも三つもランクを落として一緒に高校を受けたのに、私が他の人と交流を作っていくのが妬ましかったこと。私を深海魚だと思っていたこと。出る杭が打たれるように、浮上する深海魚は太陽に灼かれて腐っていけばいいんだと何度も願っていたこと。

 元々、大切な彼女に秘密を打ち明けなかった私が悪い。秘密をバラされるのではないかと怯えて、様々な思い出を共有してきた彼女を疑ってしまった。裏切ったのは私の方だ。

 彼女の前で涙の結晶を作るとき、ほんの少しこわかった。私の瞳からこぼれ落ちる綺麗なキラキラを見て彼女は一瞬、本当に一瞬だけ驚いたあと、不思議だなぁ。と、呟いた。

 彼女になら見せてもいいと思った。私と男の子の約束を。

「あのさ、寄ってほしい場所があるんだ」


     6


 秋の気配が、深々と増していく。

 まぶしかった夏は遠ざかり、永久凍土の冬が迫る。男の子と約束した公園は相変わらず人の気配がない。ここも光が届かない深海なのだろう。ここで私と男の子は回遊していた。

「ここになにかあるの?」

「うん。私の秘密と、男の子との約束を埋めたんだ」

「タイムカプセルか。懐かしいな。小学校でもあったね」

 小学校のときに埋めたタイムカプセル。あれは成人式の日にみんなで開けようという話になっていた。あと二年、私はそのときに、涙を流すことができるのだろうか。

「で、どこら辺に埋めたの?」

「確か、一番背の高い木に埋めた気がする」

 彼女が「ありがちだね」と口にしながらも辺りを眺める。

「お、あったあった」

 一段と大きな木が、鮮やかに色付いた葉をつける。秋桜が生命の息を潜めていた。ここに、私の秘密が眠っている。

 彼女に手袋とスコップを渡し、その場にしゃがみ込む。

 ザクザクと砂を掻き分け、私と男の子の思い出へと掘り進む。深く、深く、深く。底の見えない深海へと。進む。

 だけど、いくら地面を掘り返しても秘密は見つからなかった。場所を変えては地面を掘り、掘っては場所を変える。

 薄々は気付いていた。そもそも、六歳かそこらの子どもが掘れる地面の深さなんて、たかが知れているのだ。私達の秘密なんてものはとっくの昔に、私の知らない誰かの手によって掘り返されているのだろう。あるいは、あの男の子が、もしかしたら。なんて、あるわけないに決まっていた。

 なにもなかったんだよ、本当は。最初から全部、私の見ている夢の一部に過ぎないのだ。あの日からずっと。私は夢が魅せる感傷の中に囚らわれている。

「ねぇ、それっていつぐらいの話なの?」

「え? どうして?」

「何年も前だったら、木だって成長してるんじゃない?」

 ………………あ。

 そうか。私達が歳を取るたびに大きくなるように、木だってその背を伸ばす。だとしたら、私達の秘密を埋めた木はどれだ。小さな公園だからといって、木はいくつもある。ましてや十何年も前の話だ。わかるわけない。けれど、根気はある。手伝ってくれる友人もいる。

 ならば、取り戻しにいこう。私の涙を。男の子との思い出を。現実を。この手に。

「ごめん。夜になっちゃうかもしれないけど、いい?」

 私は笑う。

「おう。任せとけ」

 彼女も笑った。


     ※            ※


 結局、思い出と秘密探しは夜までかかってしまった。

 土が爪の間に入り込み、手のひらが黄土色に染まる。なかなか見つからないタイムカプセルに私達は諦めかけていた。気持ちが枯渇していくのを感じられる。

 さよなら、私の綺麗なキラキラ達。さよなら、私の大切になれなかった男の子。記憶に別れを告げて、その場を立ち去ろうとした。そのときである。

「あった!」

 と、彼女が一段と大きな声を上げる。

 私の求めていたものが、すぐそこに。

「ねぇ、タイムカプセルってこれ?」

 彼女の手には、白い紙が貼られた銀色の箱が乗っかっていた。おそらく、へたくそな文字で『たいむかぷせる』と書かれているはずだ。外観は至る箇所が赤く錆び付いている。

 本当に、あった。まだ、……まだ、残っていた!

「あ、あ、あ!」

 彼女の手からタイムカプセルを受け取り、乱暴にフタを開ける。勢いよくフタが開き、中にあるものが覗く。涙の結晶と入れた覚えのない手紙が入っていた。それに結晶の数が少ない気がした。何年も前のことだから自信はないけれど。

 私は手紙を取り出し、半分に折り畳められた紙を広げる。

 そこには男の子の名前が書かれていた。そうだ。こんなかわいらしい名前だったな。そう言うと男の子は必ず不機嫌になって怒っていたけれど。その仕草も可愛らしかった。

 それはそうと、紙にはこう書かれていた。


『××へ。

 ごめん。タイムカプセルに秘密を閉じ込めていたのに、勝手に開けてしまいました。でも、この手紙を読んでるってことは君も開けたってことだよね? 残念なような、嬉しいような。タイムカプセルを開ける予定なんてなかったけど、君との思い出が確かにあったと感じられるように、涙の結晶を半分もらっていきます。

 それと公園に行かなくなってごめん。約束をした次の日、僕は親の都合で遠い街に引っ越したんだ。本当は、前々から言おうとはしていたんだけど、君を前にするとなかなか言えなかった。君を泣かしてしまうんじゃないかって。すごくすごく怖かったんだ。

 だから僕はなにも言えずに逃げた。僕がいなくなったら、君がこの先、泣けなくなるのはわかっているのに。

 きっと、これから先、君と会うことは生涯ないと思う。

 だから、ごめん。これでさよならだ』

 そこには、勝手な言葉が連なっていた。

 感動ではない手紙に、泣きたくても泣くことができない。

「あ、あのさ……」

「……ほんと、馬鹿みたいだよね」

 ここに来ればもしかしたら男の子に会えると思った。偶然の再会に感傷的となって、涙の結晶を溢して、男の子がまた私の両目に手をかざしてくれるのではないかと。恋は盲目とはこのことだった。泣けない上に、笑えない冗談だ。

「この結晶の半分さ、あげるよ」

「私に? いいの?」

「というか、あなたに持っててほしい」

 男の子との約束がいつも泣かないことなら、彼女との約束はいつか泣くことにしよう。例えその結果、私の目から光が失われるとしても。目には見えない光が、どこかにあると信じられるように。

「これ、大切にするね」

「うん。大切にしてね」

 私は決めた。

 男の子との約束を破って、いつか絶対に泣いてやると。


      7

 小学校の卒業式、タイムカプセルを埋めた。私は、あいつが例の男の子と埋めたタイムカプセルを掘り返すまで、すっかりそのことを忘れていた。あのときは確か、クラスノートや運動会の横断幕、合唱コンクールのCDを埋めた。他にもスキを見て漫画やテストの答案用紙を入れてる奴もいた。

 私も、あいつとこっそり埋めたものがあった。でもあいつはきっと忘れている。あいつが自分で思い出すまで、私は絶対に教えてあげない。それに、それがなんなのかを教えるのは、私だって恥ずかしい。だから、できれば一生忘れていてほしい。どうか記憶よ浮かばないで、沈んどけ。それこそ、深海魚のように奥底へ。

 あいつと初めて会ったのは、小学校の入学式だった。

 当時から私はどこか拗ねており、長い黒髪を両側で結んでいるのも、両親と一緒にいるのを見られるのもすごく恥ずかしかった。例えそれが初めて会う同級生達だとしても。だから私は両親のスキを見て、どこかへと駈け出した。

 まだ六歳だった私は遊具のどれもが大きく見えて、まるで巨人の国にでも紛れ込んでしまったような錯覚を覚える。ウンテイなんてまだまだ序の口で、ジャングルジムなんか遥か上空の建造物に思えた。

 ふと、どこからか女の子の泣き声が聞こえてくる。

 注意深く耳をすまし、声のする方へと視線を向ける。どこからだ。泣き声のする場所は、誰だ、泣き声の主は。耳を澄ましては視線を泳がせて、視線を泳がせては耳を澄ませる。そうやって、何度も何度も繰り返す。

 ふと、ジャングルジムの頂上を見上げる。

 …………あ。

 そのときだ。あいつとの初めての邂逅は。太陽が反射して姿はよく見えなかったけれど、確かにいるのはわかった。

「なにやってんの? そんなとこで」

 突然話しかけた私の声に、あいつがビクッと肩を震わす。まぶしくて、涙を流している姿は見えない。

「お父さんとはぐれちゃって、高いところから探してるの」

 なんじゃそりゃ。と思いながらも、私の心がジャングルジムのように複雑に絡んで、どうするべきかを迷わせていた。

「今から行くからそこで待ってろ」

 あいつは「うん」と素直に頷き、静かに私が到着するのを待っていた。私はなにやってんだろうと思いながらも、あいつのいる場所を目指す。ほんと、なにやってんだろう。

 私が到着すると、あいつはすでに泣き止んでいた。今だったなら、私に涙の結晶を見られたくなかったのだとわかる。

「あぁ、もう、そんな目で見るな」

 面倒になり私は良いことを思いついた。左側の花の髪留めを外し、長い黒髪が腰の辺りまで流れる。その様子を見ていたあいつが一瞬、花の髪留めに食いついてきた。

「ほら、髪留めあげるから」

 しばらくその髪留めを眺めたあと、あいつは笑う。私はその光景にとても嬉しくなる。そして、私達は大切になった。

 そんな遥か昔のことを思い出していると、

「あれ? 久しぶりじゃん」

 振り返ると私の友人達がいた。あいつから逃げるように適当に付き合った友人だから、名前は思い出せない。

「えぇと、あの……」

「最近あんたさ、あの子と一緒にいるよね?」

 友人Aが言う。

「……あの子って?」

「ほら、左目を母親に奪われた子だよ。あんたの幼なじみ」

 友人Bが言う。

 あぁ、あいつのことか。そういえば私のせいであいつの左目が母親に奪われて、目を失っていると誤解させたままだ。

「ごめん。そのことなんだけど」

「もうやめたら? あの子と付き合うの」

 友人、……どっちだ? というか、…………は?

「なんで?」

「だって、なんかあの子不気味じゃん。感情ないし」

 そんなことない。あいつは。あいつは、

「それに、やっぱり、目がないって気持ち悪い」

 あんた達にあいつのなにがわかる。確かに母親に左目を奪われたという噂を広めたのは私だ。だけど、あんた達があいつを悪く言う筋合いなんてない。あいつがどれだけ苦しんでいたのか、お前らにわかってたまるか。私の、あいつを、あんた達が、あんた達が、

「あんた達が私の大切なあいつを馬鹿にすんな!」


     ※            ※


 その夜、私は布団の中でうずくまった。

 べつに後悔しているわけじゃない。むしろ、言いたいことを言えて清々しい。でも、私はショックだった。私の何気ない言葉が誰かに伝わり、悪意を伴ってあいつにぶつかってしまうのではないかと。そのせいで、あいつを気味悪がる奴らが増えるのではないかと。

 あいつを一生守らなければいけないと感じた。揺るぎない正義感を携えて、生涯拭えない罪悪感を抱えて生きていく。

 約束の日まであと二年だ。その日まで、あいつの視力は失わないでいられるのだろうか。泣かないでいられるのだろうか。私は、絶対に無理だ。強がっているだけなのだから。

 小さなキャラクター物のポーチに入れたあいつの結晶を、あいつとの思い出を、寝転がりながら眺める。常夜灯に照らして、小さい涙をキラキラと綺麗に光らせる。まるで、おとなしめなミラーボールみたいだ。ひかえめなくらいがちょうど良いと、最近はひしひしと感じる。

 そうだ。今度あいつに、なにかプレゼントしてやろう。


     8


 今日は彼女とショッピングに出かける予定である。

 私のあげた結晶の代わりに、可愛い眼帯をプレゼントしてくれるとのことだった。眼帯に可愛い種類なんてあるのかなという疑問と、私のためにプレゼントしてくれるという嬉しさが交じり合う。もちろん、感謝の気持ちが一番強い。

「可愛いの、あるといいなぁ」

 すでに十五分も遅れている彼女を恨めしく思いつつ、私は誰でも簡単にラジオを配信できる地平線ラジオというアプリで、素人のラジオを聞いていた。

 最近のお気に入りは、ふわふわと綿毛みたいなゆるやかさを持っている声の可愛らしい女の子だ。

地平線ラジオを聴きながら、私は目の前の風景を眺める。中学生だと思われる女の子が、同じく中学生だと思われる男の子に手を引かれながら文庫本を読んでいた。男の子、か。

 ふと、今までのことを振り返る。

 全部終わった。それが今の素直な気持ちだった。

 男の子とは手紙上で再会を果たし、彼女とは昔と同じ関係に戻れた。全部、終わったんだ。過去の清算をし、夢は覚める。そして、未来へと指標を進める。あとは、思いっきり泣くだけだ。でも、それが一番難しい。泣く。って、どうすればいいのだろう。哀しいから泣くのだろうか。泣くから哀しいのだろうか。私は、どうやって泣いていたのだろうか。ふと、感情に疎い存在のように思えた。

「…………あ」

 気付くと、涙の結晶が一つ地面に落ちて割れた。このままではまずい。そう思いながらも、心の奥の奥から溢れ出る哀しみを塞き止めることができない。誰にも涙の結晶が見られないように、必死に両手を目にあてがった。けどその抵抗は虚しく、次々に手の中へ結晶が溢れていく。もう駄目だ。終わる、終わる、終わってしまう!

 両手を放し、諦めないことを諦める。

 そのとき、

「だーれだ?」

 私の両目を後ろから両手で包み隠す。

 男の子と同じ温もりが、両目をじんわりと侵食していく。

 あ、

「え? もしかして泣いてる?」

 あぁ、

 涙の結晶が溶け、液体へと変容する。 

「私が遅刻したから? ごめん。なんかおごるから!」

 あぁあ、

「だけどそんなに泣かなくったって」

 あった。あった! ここに。こんなにも近くに!

「あぁあぁああぁあッ!」

 私の、

 私の求めていた熱量が。


     ※            ※


 あの日は結局、今まで流してこなかった分の涙が全て零れ落ちてしまったと勘違いするほど、大量の涙を流し続けた。

 彼女は遅刻したせいで私が泣き出したのだと誤解し、あれも買ってあげる、あそこにも連れていってあげると慌てふためいていたので、泣きながらもおかしかった。笑い泣きも少し交じっていたのかもしれない。

 私の運命の相手はあの男の子ではなかった。むしろ女性であったけれど、運命に性別なんて関係ないのだ。彼女とは仲の良い友人のままであることに変わりない。それがいい。

 私はこれから何度でも、泣くことができるのだから。

「おーい、ボーっとすんなー」

 彼女に呼ばれ、左手で歩行補助の杖を強く握り直す。

 あれから私は二年間の中で、少しずつ泣きながら、少しずつ全ての視力を失った。左目だけだった眼帯は両目を覆う包帯に替わり、ほんのわずかに違和感が残る。これでもだいぶ慣れてきた方だ。最初のころなんてどこになにがあるのかなんてわからなかった。もちろん、目が見えないからなにも見えないけれど、今ではなんとなくわかる。気配が、残響が、感触が、熱量が。私に、伝わってくる。

「ごめん。あなたのこと考えてた」

「なっ!」

 彼女の左側に肩を並べる。

「なんじゃそりゃ!」

 今日は成人式だ。元々あまり親しい友人はいなかったし、今は包帯に杖の姿なので、みんな自然と敬遠していた。不自然さというものは想像よりも、敏感に伝わってしまうみたいだ。みんなの戸惑う態度に彼女は怒っていたけれど、それがまた可愛くて嬉しかった。

 そして私達は、小学生のときに埋めたタイムカプセルを掘り返しに母校へと足を向ける。私も彼女とこっそり埋めたものがある。彼女からもらった花の髪留めだ。大切なものだから、大切なままにしておきたかった。その花の髪留めを、彼女とお揃いで付けよう。彼女はそれを嫌がるだろうか。

 絶え間ない永遠の一瞬を繋ぎ合わせて生きている私達は、過去から現在へ、現在から未来へ。感傷的な気持ちに浸るだけで、思いを馳せるだけで、過去へも未来へも行ける。

 先はまだ見えない。だけど、見えるから進むのは、見返りを求めるだけで。省みることもなく、見えない道を進むのは、誰かを見返すためなのだ。

 私には彼女の両手と、この両目があるから大丈夫。

 だって私の目は、

「じゃあ、行こっか?」

 私の目は、暗闇の中で一筋の光を探す、

 深海魚の瞳なのだから。


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